「歴史の終わり」とは何か?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 09:36 UTC 版)
「歴史の終わり」の記事における「「歴史の終わり」とは何か?」の解説
「歴史の終わり」とは、国際社会において民主主義と自由経済が最終的に勝利し、それからは社会制度の発展が終結し、社会の平和と自由と安定を無期限に維持するという仮説である。民主政治が政治体制の最終形態であり、安定した政治体制が構築されるため、政治体制を破壊するほどの戦争やクーデターのような歴史的大事件はもはや生じなくなる。そのため、この状況を「歴史の終わり」と呼ぶ。 当然だが、人類の滅亡による人類史の終わりを意味するのではない。ここで言う「歴史」とは、本質論的には、弁証法的なイデオロギー闘争の過程であり、現象論的には戦争やクーデターなどによる政治体制(国家、王朝、原始的な共同体も含めた政治的統治組織など)の興亡の変遷である。歴史とは、国家が成立し、発展し、やがて崩壊する過程である。「剣を執る者は皆、剣によって滅びる」とは、歴史の鉄則であり、諸行無常と栄枯盛衰を繰り返す歴史に永遠などあるはずもなく、古代ポリス、マケドニア王国、古代ローマ帝国、オスマン帝国、モンゴル帝国、中国の歴代王朝、ブルボン王朝、フランス第一帝政、ナチスドイツ、ソビエト連邦など、強権的な支配で覇権を極めた国家は、すべて崩壊した。しかし、歴史を脱却した民主国家は、崩壊せず永久に存続するという主張である。 すべての民族、文化圏、宗教圏に妥当する網羅的なグランド・セオリー(大理論)である普遍的な歴史(近代化のプロセス。リオタールの用語で言えば「大きな物語」)としての「歴史の終わり」であり、その他の歴史、文化史、技術史、芸術史、スポーツ史、個人史などの個別的な歴史(リオタールの用語で言えば「小さな物語」)は、もちろん不断に変革を繰り返して、継続されていく。 フクヤマは、ソビエト連邦の崩壊を以って「歴史は終わった」と主張した。しかし、これは、ソビエト連邦が崩壊し直ちに世界中が民主化され、世界中から戦争やテロが廃絶されるという意味の、楽天的な世界平和論や政治安定論ではない。ソビエト連邦の崩壊によって、「最良の政治体制は何か」「全人類に普遍的な政治体制は何か」「恒久的な政治体制は存在するのか」という社会科学的論争やイデオロギー論争に最終的な決着がついたことを意味している。民主主義が正しいということは、民主教育を受けた民主国家の国民は当たり前のように聞こえる。しかし、フクヤマの主張で重要なのは、民主主義は絶対的(全世界のどこを見回してもリベラルな民主主義に対抗できるイデオロギーは存在しない)であり、普遍的(民主主義はどんな民族、文化圏、宗教圏でも問題なく適合する)であり、恒久的(民主体制は人類統治の最終形態であるがゆえに、滅びることはない)なイデオロギーであるという点である(弁証法という概念のなかでは、絶対、普遍、永遠は同じことを意味する。相対的真理とはある一時期、一地域でしか通用しないものを指すが、絶対的真理とはいつでもどこでも成立するものを指す)。民主国家の国民が民主主義が正しいと信じ込んでいるのも、他の独裁国と同様、教育や情報統制の結果であり、ただの洗脳や思い込みに過ぎないのではないかという批判もあり、民主主義は社会科学的に正しいという命題を証明することは、学術史上、きわめて困難な問題だった。 科学的な証明とその実用化の間には時間差がある。それと同じように、具体的には、世界中が発展途上国も含めてみな民主化されるのはまだ時間がかかり、その間、こと発展途上国は、まだ政情不安定で戦争やテロが起こりやすく、民主国家と全体主義国家との戦争も起こりえる。9・11同時多発テロのように民主主義先進国が全体主義側テロの標的にされることもある。しかし、民主主義各国では、もはや民主体制が内乱や革命によって破綻することは起こり得ない、ということである。よって、フクヤマ的歴史終焉論が現象論的に、社会科学として反証されるときは、現在の先進民主国家体制が崩壊し、次の異なる政治体制に移行したときである(リベラルな民主主義が弁証法的に止揚、アウフヘーベンされたとき)。 フクヤマの歴史終焉論が誤解を受けやすいのは、歴史終焉論は本質論と現象論の二重性を持っているからである。フクヤマが指摘しているのは、あくまでもイデア的な、論理的な、抽象的な、ヘーゲル=コジェーブ主義的な意味での本質論的な歴史の終わりである。正確には1989年に「歴史の終わり?」を発表した段階では、まだ国際政治史的にはベルリンの壁も存在し、冷戦が終結していたわけでもなく、ソ連が崩壊していたわけでもなかった。それがゆえに、その後のベルリンの壁崩壊と東欧の民主化を的中させた予言者としてフクヤマは注目を集めたのである。フクヤマは当時ソ連が行っていたペレストロイカ、新思考外交、グラスノスチなどの諸改革、リベラル民主主義に対する最大のアンチテーゼである前衛主義的共産党一党独裁体制が、自己の誤りを認めて自己反省していく過程、イデオロギー改革そのものに歴史の終わりを見たのである。その後のベルリンの壁崩壊や冷戦の終結、ソ連の崩壊は、本質的な歴史の終わりの現象形態でしかない。本質論的な歴史が終結した以上、現象論的な歴史が終焉するのは不可避であり、あくまでも時間差の問題でしかないのである。これは、西洋哲学に古くからある抽象的なイデアこそ実体であり、本質であり、現象はその影、追従に過ぎないというプラトン的二元論に基づいた思考である。フクヤマは後のインタビューで、発展途上国も含めたすべての世界の国が民主化し、現象論的な意味で全世界の歴史が終わるまで、あと200年はかかるだろうと述べている。 また、フクヤマは、崩壊したソビエト連邦が核武装していた点にも着目している。究極兵器である核兵器を多数保有し、世界最強規模の軍事力を保持したソビエト連邦が崩壊したことは、ソフトパワー(文化力)が究極のハードパワー(軍事力)を覆した決定的な事件であり、これは長い人類史的にみても画期的な出来事である。最強の軍事国家が崩壊するなど、それ以前の国際政治学の常識では考えられないことだった。これは「武力こそ正義である」というハードパワー中心の歴史時代の終わりと、「ペンは剣よりも強い」というソフトパワー中心の脱歴史時代の始まりを意味している。 「歴史の終わり」は、たびたび「共産主義体制にたいする資本主義体制の勝利宣言」といわれるが、厳密にいえば、経済体制よりも政治体制について本質的に述べた論文であり、正確には「一組織、一党派が政治と経済を強く統制する一党独裁体制などの寡頭政治や、一個人または一王家の指導者原理、カリスマ的支配、伝統的支配による専制政治に対する、万民が平等に政治家や政策を選択できる多数決原理にもとづいたリベラルな民主主義体制の最終的な勝利宣言」と呼ぶほうが本旨に合っている(だから、ニーチェ論が重要になってくる)。フクヤマは資本主義経済、自由主義経済の生産性と効率性を高く評価しているが、民主主義体制の永続性ほど強く資本主義体制の永続性を主張しているわけではないし、その根拠を示しているわけでもない。どのように経済体制や生産構造が変化しても、どのような世界恐慌が起こっても、民主体制そのものが否定されたり、崩壊することはないと指摘しているのである。そもそも、フクヤマにとって米ソ冷戦を経済体制の争いと解釈することは歴史の誤読なのである。
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