決定的な事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 05:31 UTC 版)
4月29日の夜、ヌンガーの強盗団が小麦粉を盗もうとフリーマントルの商店に押し入った。これに対し、店を管理していたピーター・チッドローは発砲して応戦した。この騒動でイェーガンの兄弟であったDomjumが撃たれ、数日後には投獄された牢屋で死亡した。この報に触れたイェーガンは復讐を誓い、プレストン岬 (en) で強盗団の生き残りたちを合流した。ブルクリーク (en) の本街道沿いに集結した50〜60人のヌンガーたちは、やがて食糧を運搬する移住者の荷車隊を見かけた。ヌンガーたちは荷馬車襲撃を決め、数日後に待ち伏せてこれを襲い、2人の白人男性・トムとジョン・ベルビックを槍で突き刺して殺した。本来、部族の掟ではDomjumの死に対する償いならば奪える命は一人分であるはずだった。が、後に集団のひとりマンディが証言したところによると、殺された二人の男は前々から現地人を虐待しており、事実ベルビックは以前にアボリジニや有色人種の船員に対する暴行で有罪判決を受けていた。また、アレクサンドラ・ハズラクは略奪にあせる気持ちが暴走した結果だとも主張したが、これには反論も提示された。 しかしながら、ベルビック殺害の一件を理由に、フレデリック・アーウィン (en) 中佐はイェーガン、Midgegooroo、マンディを有罪とし、Midgegoorooとマンディの捕縛には20UKポンドの、イェーガンには生死を問わない30UKポンドの賞金が掛けられた。マンディは無実を主張して認められたが、イェーガンとMidgegoorooは追われる身となったことを感じ取り、自分たちの縄張りから去って北のヘレナ谷へ逃亡した。しかし事件から4日後、Midgegoorooはヘレナ川で逮捕され、数日後には死刑判決を受けて銃殺に処された。だがイェーガンはその後の消息が掴めなかった。
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