決定的な二つの役
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 06:58 UTC 版)
「ルイ・ド・フュネス」の記事における「決定的な二つの役」の解説
ド・フュネスが次への躍進をはじめたのは、映画よりもまず劇場からであった。デビュー以来彼が舞台から離れた事は無く、特に1957年、Danielle Darrieux および Robert Lamoureuxと共演したRaimu作のFaisons un rêve de Sacha Guitryでは特に成功を収めた。俳優Jacques Lorceyの自伝によると、「これは私たちのサシャ(・ギトリ)にとっての最後の大きな喜びだった。・・・この様々な事なるクリエイターたちによる成功は、劇場を生き延びさせる確信を与えた。」 1959年9月のKarsentyのツアーでは、パリで前年にClaude Magnierによって作られ Pierre MondyおよびJean-Paul Belmondoと共演したOscarの連続公演にデビューした。10月1日からは、地方及びマグリブへの100日間ツアーへも出発した。この成功により、1961年にパリでも同じ演目を再演することとなった。最初は渋っていたものの、最終的に彼はその再演を受け入れた。公演は大成功を収め、文字通りの偉業を成し遂げた。 ルイ(・ド・フュネス)はOscarを天才的に演じた。何かを生み出し、滑稽に振る舞うことに特に長けていた。彼はこの役どころに見事に花を添えたのだった。--Pierre Mondy、Oscarでの共演者 彼はこの「フェチズム的な」役をさらに磨き、1967年にはÉdouard Molinaroの監督で映画化もされた。さらに1970年にはPierre Mondyによる新たな演出で再び舞台も再演された。 並行して、1961年にはジェラール・ウーリー監督の3作目の映画『悪い女 Le crime ne paie pas』で脇役のバーテンダーを演じた。この映画では唯一の喜劇役を務めた彼は、むしろ作品を喜劇にするよう監督を納得させようとした。「君は実のところ喜劇作家で、真実を表現しようとすると喜劇にしかたどり着かないんだ。」同じ年、Robert Dhéry監督の『ミス・アメリカ パリを駆ける La belle américaine(アメリカ美人)』で彼は一人二役の双子(警察署長と工場主)を演じる。翌1962年には、Gilles Grangierの『エプソムの紳士 Le Gentleman d’Epsom』で怒りっぽく貪欲なレストラン店主を演じ、ジャン・ギャバンと共演する。1963年にはジャン・ジローがJacques Vilfridと共作した戯曲『格式張らずに Sans cérémonie』を映画化した『Pouic-Pouic(プイック・プイック)』でJacqueline Maillanと共演し、再び主役に返り咲いた。ド・フュネスは1952年、この戯曲の初演に(映画版ではChristian Marinが演じた)ホテル経営主の役で参加していたが、作品は余り知られていなかった。最終的に、その舞台の不成功およびそれを監督がプロデューサーに映画化の話を持ちかけたときの反応の悪さにもかかわらず、この映画は多くの聴衆の人気を得て、ド・フュネスの第2のキャリアを築くきっかけとなり、以後その人気が衰える事はなかった。Oscarでは、Pouic-Pouicと同様に、落ち着いているが時には怒りっぽく、子供達と不和を抱える父親役を演じ、コンメディア・デッラルテの定番役パンタローネのような役を作り上げた。このように彼はその怒りっぽく、威圧的で、しかめっつらで、「1950年代の過度な雑音を消し去った」役どころを作り上げていった。
※この「決定的な二つの役」の解説は、「ルイ・ド・フュネス」の解説の一部です。
「決定的な二つの役」を含む「ルイ・ド・フュネス」の記事については、「ルイ・ド・フュネス」の概要を参照ください。
- 決定的な二つの役のページへのリンク