決定的期日に関する学説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/25 21:34 UTC 版)
「マンキエ・エクレオ事件」の記事における「決定的期日に関する学説」の解説
「決定的期日」も参照 決定的期日またはクリティカル・デートとは、紛争発生後に自国の立場を有利にするために意図して作り出された事実を証拠として排除し、紛争がどの段階で成熟したかを決定する基準として国際裁判で用いられる。特に領域紛争において問題とされることが多い。国際裁判所により決定的期日が定められると、決定的期日よりも以前に存在した事実・行為に限って証拠力が認められ、特殊な事情がない限り決定的期日以降に当事国が自国の立場を有利にするために行った行為の証拠力が否定されることとなる。このマンキエ・エクレオ事件では、こうした決定的期日が定められたか否かについて学説上の争いがある。決定的期日が定められなかったとする立場では、マンキエ・エクレオ事件においては紛争発生以前から徐々に国家活動が展開され、紛争発生後も中断することなく継続しているという特殊事情にかんがみ、条件付きながら決定的期日以降の行為についても考慮するという立場をとったとして、ICJは決定的期日の選定に意義を認めなかったと解する。これに対して決定的期日が設定されたとする立場では、フランスが主権を主張し紛争が発生するまで国家活動は漸進的に展開されてきたという特殊事情から、紛争発生以後の行為であっても「当事国の法的立場を改善する意図でなされた措置でない限り」考慮するとしたのであり、紛争発生時である1886年と1888年を決定的期日として設定したと解する。
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