「歴史的な優勝」とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/12 04:29 UTC 版)
「天野康博」の記事における「「歴史的な優勝」とその後」の解説
「天野康博物語(最終回)」によると、天野は2センター付近で福島を抜けるという自信があったという。その2センターとは、福島が高橋の落車の影響を受けた箇所でもある。中野を力で倒せる機会はこのときがラストチャンスと思われた福島だったが、この一戦が最後の特別競輪決勝進出となり、また3着となった中野はこの決勝戦の後に、「Mr.競輪」の地位を着実に築き上げていくという、まさしく歴史的な一戦となったわけである もっとも、前述した通り、天野はその後、特別競輪の優勝はおろか、決勝進出すら果たすことはなかった。デビュー時より失格、落車が目立つ競走(通算失格回数41、競走棄権回数66)ぶりに加え、後に桐箪笥作りを体得することに没頭するあまり、オールスター競輪優勝以後は練習に身が入らなくなったと言われている(天野康博物語より)。 2003年12月30日、当日はKEIRINグランプリ03が行われた京王閣競輪場の第2レース(9着)を最後に事実上現役を引退。正式な競輪選手引退日となる選手登録削除日は2004年1月20日であった。通算戦績は2407戦221勝。現在は古美術商を営んでいる。
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