「歴史の科学」の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/28 09:18 UTC 版)
「ルイ・アルチュセール」の記事における「「歴史の科学」の発見」の解説
当時各国の共産主義を取り巻いていたヒューマニズムの風潮に、アルチュセールは警鐘を鳴らした。彼の目するところ、それは凄惨な粛清を生んだスターリン主義と地続きのものであった。加えて マルクス主義ヒューマニズムには、若きマルクスの疎外された主体性の奪還というテーマですべてを語ろうとするきらいがあった。そうではない。マルクスのもっと重大な発見は、別なところにある。若きマルクスはその時代の学問的風潮に未だ捉われていたのであり、『ドイツ・イデオロギー』を境目として、真に彼独自の思想が展開されるのだ。アルチュセールはそう考えた。これが、「認識論的切断」のテーゼである。 アルチュセールの説くところ、マルクス独自の思想は、ヘーゲル的なプロブレマティック(問題系、問題設定)を脱するところに開花する。ヘーゲルにおける「現象」と「本質」の関係、単一の内的原理から社会を説明する方法を、マルクスはひっくり返す。それも、ただひっくり返すのではなく、「現象‐本質」という前提(プロブレマティック)そのものを問い直し、「(経済的)土台による規定と上部構造による反作用」という別な問題を提示する。こうして、「重層的決定」の概念が登場する。ここにおいて、社会の一元的な規定原理というものは想定しえないのである。 このような理論的前提のもと、アルチュセールは、マルクスの知的態度を「"無"歴史主義」と称し、さらにその発見を「歴史の科学」と規定した(cf.『資本論を読む』中、筑摩書房版)。彼によれば、いわゆる史的唯物論とは、ある社会を、その歴史的変容に即して分析する、ひとつの科学に他ならない。
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