とう‐ぎゅう〔‐ギウ〕【闘牛】
読み方:とうぎゅう
1 牛と牛とを角をつき合わせてたたかわせる競技。また、その牛。愛媛県宇和島、鹿児島県徳之島などで行われている。牛合わせ。《季 春》
2 闘牛士と牛とがたたかう競技。ギリシャ・ローマに起こり、現在ではスペインのほか、ポルトガルやメキシコなどでも行われている。「—場」
とうぎゅう〔トウギウ〕【闘牛】
闘牛
闘牛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 01:20 UTC 版)
スペインでの闘牛は2000年代に入り、動物愛護団体からの強い批判にもさらされ、衰退する傾向にある。2007年8月に国営放送が闘牛の生放送を中止し、2011年にはスペイン全土で闘牛のテレビ中継が終了した。1991年にカナリア諸島で初の「闘牛禁止法」が成立。2010年7月28日にはスペイン本土のカタルーニャ州で本土としては初の闘牛禁止法が成立し、2012年から州内での闘牛が禁止されることになった。これを受けて、州都バルセロナで2011年9月25日に行われた興行がカタルーニャ州では最後の闘牛となった。ただし、カタルーニャでの闘牛禁止の背景には単なる動物愛護だけではなく、独自の文化や言語を持つカタルーニャの地域主義の要素が大きいとの見方もある。
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闘牛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 02:52 UTC 版)
多くの著名な闘牛士の報告によると、雄牛はわざと鎮静剤や下剤などで弱らせてあるという。ショーの前に48時間の間暗闇に閉じ込められて、目が見えないまま明るい場所に放たれることもある。雄牛が疲れ果てたところで後ろから首にナイフを刺し、大量出血させるために搔き回す。
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闘牛(トロ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 09:32 UTC 版)
「牛」の生成過程において、身体能力が異常発達したタイプの者たちを総称した表現。
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闘牛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 00:40 UTC 版)
スペインから伝わった闘牛は、サッカーやルチャ・リブレ同様、メキシコ国民に人気が高いスポーツである。メキシコ市内にある闘牛場で観光客でも気軽に見ることができる。
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闘牛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 23:34 UTC 版)
ここでは Culin (1893) に述べられているルールを記述する。 3人から6人で遊ぶ。ひとりが親となる。最初の親はサイコロで決める。各人は賭けてから5枚の手札を見て、そのうち3枚を、目の合計が10の倍数になるように捨てる。捨てられない場合は「無牛」といってその場で負けとなり、賭け金は親のものになる。親が無牛の場合は、親の負けとなり、3枚を捨てることのできたすべての子に賭け金と同額を支払う。 親とひとり以上の子ともに3枚を捨てることができた場合、残り2枚(これを「牛」と呼ぶ)の合計の1の位の大きさを競う。丁三と二四は3と6のどちらにもなり得る。親より多ければ賭け金を同額を得る。親より少なければ賭け金は親のものになる。同点なら引き分けとなり、賭け金のやりとりは発生しない。 親が無牛だったときは、次回の親は変わらない。それ以外の場合は右隣の人が次の親になる。 現在では通常トランプを使って行われ、多くの役がある。バカラのように、だれが勝つかに観客が賭けるやり方もあるが、省略する。 Culinは役について何も記していないが、現在の中国の闘牛・朝鮮のトリジッコテン・日本の五枚株などの同系のゲームはいずれもペアを作ると役になる。
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闘牛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 09:34 UTC 版)
カタルーニャの闘牛が初めて文献に登場するのは1387年であり、1834年にはバルセロナにアル・トリン闘牛場が、19世紀末にはより規模の大きなアレーナス闘牛場(スペイン語版)が、1914年にはアル・スポルト闘牛場(後のムヌマンタル闘牛場)が建設された。20世紀初頭のバルセロナは3つの闘牛場を有する一大闘牛都市であり、その後スペイン内戦からフランコ体制下を経た1970年代まで、ムヌマンタル闘牛場は世界最高の闘牛場だった。バルセロナ以外ではフィゲーラス、タラゴナ、ジローナ、ウロット、サン・ファリウ・ダ・ギショルス、リュレット、ビックなどに闘牛場があり、一方でカタルーニャ地方南部では闘牛ではなくコラボウス(カタルーニャ語版)(牛追い)が人気だった。 レジャーの多様化、スペイン文化の象徴である闘牛ではないカタルーニャ文化の見直しなどの要因により、1970年代半ばからカタルーニャ地方で闘牛は衰退しはじめた。子供の観戦や闘牛場の新設が禁止されたほか、1989年以降には反闘牛都市宣言を行う自治体が増えた。2009年にはカタルーニャ共和主義左翼(ERC)を中心として闘牛禁止法案がカタルーニャ州議会に提出され、2010年にはこの法案が可決された。ERC、カタルーニャ緑のイニシアティブがこの法案に賛成票を投じ、カタルーニャ国民党(スペイン語版)とシウダダノスが反対票を投じ、集中と統一やカタルーニャ社会党は党内でも票が割れた。 2011年にはアレーナス闘牛場がショッピングセンターに生まれ変わった。カタルーニャ州の闘牛禁止法は2012年1月1日に施行され、禁止法に関連してタラゴナ県で盛んなトロ・アンブラード(スペイン語版)(牛の角に松明を付ける祭礼)や牛追いの是非についての議論も沸き起こった。
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闘牛
「 闘牛」の例文・使い方・用例・文例
- その牛は闘牛士目がけて突進した
- この闘牛場は最大1万人の観客を収容する。
- 今年から闘牛は禁止になりました。
- たくさんの人が闘牛を観戦している。
- 彼は闘牛を見たかったが、父はどうしても彼を行かせようとはしなかった。
- スペインは闘牛の本場である.
- 闘牛士は大きく見えを切って退場した.
- 闘牛での活動
- 本物の闘牛場で撮られた写真
- 闘牛で牛の首や肩に打ち込む飾りの付いた矢
- 闘牛の行われる競技場
- 4歳未満の雄牛による闘牛
- 闘牛のファン
- 闘牛をする人
- 闘牛中に牛の首や肩に飾りつきの槍(バンデリリャ)を刺す闘牛士
- 最後のパセを行い、雄牛を殺すことを任ぜられる、主役の闘牛士
- 4歳未満の牛と戦うことが要求される闘牛士
- 闘牛の最初のほうで、牛を槍で突いて刺激し、頭を低くさせる騎手
- 闘牛時のマタドールまたはその応援チームの一つ
- マタドールが雄牛を殺す闘牛の瞬間
闘牛と同じ種類の言葉
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