武蔵野
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近現代の武蔵野
雑木林に囲まれた哀愁漂う武蔵野の風景像は国木田以外にも徳富蘆花などの文士によって形成され、国木田の『武蔵野』が教科書に採用されることでその影響力はさらに強固なものとなった[5]。1910年代以降には、新宿の映画館武蔵野館(1920年開業)のように、いろいろな事物で「武蔵野」をキャッチコピーに含ませたり冠にすることが流行し、今日で言う地域ブランドを形成していった[5]。1911年には武蔵野鉄道が開業し、武蔵野の開発と観光化が加速していったが、1921年に寺田寅彦は東武東上線を使って写生旅行を行い、古き良き武蔵野の面影を成増に見出した経験を随筆『写生紀行』で詳細に語っている[5]。
戦後の復興期、東京郊外では①畑地、②山林・原野、③水田の順に宅地化がいっそう進行した[3]。東京緑地計画により戦前に多数買収された農地も、農地改革によりその大半を失った[3]。そのような中でたとえば1960年代に玉川上水・五日市街道ぞいの街道屋敷林やいくつかの丘陵地などが郷土風景の保護を目的として風致地区に指定されるような事例もあった[3][13]が、全体として都市化・スプロール化の進行は防ぎようもなく、現在では一部の公園や農地、風致地区などの緑地を除けば、市街地が隙間なく東京郊外の武蔵野地域にひろがっている[注釈 15]。
いっぽうで、各種燃料・肥料の発達した現代では、薪炭や落ち葉堆肥の確保のために雑木林に入るということがなくなり、特段の意図をもって継続的な手入れを行わないかぎり、雑木林を維持することはできなくなってきている。
現在、東京都や埼玉県下で自然に親しむような取り組みを行う場合に、「武蔵野」をキーワードに行われる場合がある[注釈 16]。また「武蔵野の自然」「武蔵野の森」といった言葉が美称として使われることもある[注釈 17]。 “武蔵野の原野”の記憶は遠く忘れられて久しいが、国木田の唱えた“武蔵野の雑木林”のイメージはいまでも生きながらえており、そのような植生を再現しようという動きもあるが、しかしながら、本物の“武蔵野特有の雑木林”を実際に目にする機会が失われるにつれて、再現される植栽の樹種などは武蔵野本来の固有性を失い、ごく平凡な二次林と変わらないものに置き換わりつつあるという[3]。
里山景観と武蔵野
埼玉県
埼玉県西南部の武蔵野台地上では、比較的開発が及ばなかったために昔ながらの農村風景をある程度残している地域が存在する。代表的な例として、埼玉県入間郡三芳町の上富(かみとめ)地区(三富新田[14]の一部)が挙げられる。 この地域では、柳沢吉保の命による開拓当時から300年以上続く「屋敷林 - 畑地 - 雑木林」がセットになった土地利用が比較的よく保存されており、1960年代以降工場や配送センターなどの建設による蚕食を受けてきてはいるものの、地元営農家グループ[15]や地域の教育委員会などによって、受け継がれてきた生活空間の維持が意識的に取り組まれている。
このほか県下ではナショナルトラスト方式で土地の買い取りをすすめる「トトロの森」[16]やさいたま緑のトラスト協会[17]などの取り組み例もある。また、新座市にある平林寺では、43haにおよぶまとまった境内林が開発を免れ残されていて、「武蔵野の雑木林の面影の残る広大な境内林」であるとして国によって天然記念物に指定されている[18]。
宮崎駿のアニメ作品「となりのトトロ」は丘陵と農地の入り混じった美しい農村風景を描いた作品として知られるが、こうした風景は昭和中期の所沢周辺の農村地域をモデルとして創造されたと言われている。
東京都など
東京都内ではスプロール化はより進行しており、比較的平坦な土地について言えば、まとまった広さの里山景観を見ることはほとんどできない。数ヘクタール以下程度の運よく宅地化を免れた比較的小規模な雑木林や竹林などが保全され、行政の委託を受けたNPOなどが維持管理をしている例は各地にいくつか見られる[注釈 18]。
宅地化の進まなかった傾斜地周辺ではまとまった量の緑地が残されてきたケースがあり、国分寺崖線ぞいなどもその一例だが、より広い空間をもつ山すそ地などでは谷戸を中心とした里山づくり・保全がすすめられている例がある。たとえばあきる野市の横沢入[19]、八王子市の堀之内地区[20](ただここの2カ所は国木田の言うところの『武蔵野』の範囲には含まれない)や、いずれも狭山丘陵に抱かれるさいたま緑の森博物館、野山北・六道山公園など。
また多摩川を南へ渡れば、もともと武蔵野台地よりも起伏が激しく谷戸が多かった(多摩丘陵)関係で、町田市、川崎市、横浜市などでは一定数の谷戸が谷戸田を含む里山景観地として保全されている。
そのほかいくらか珍しい事例として、「昭和30年代の農村風景を再現」しようという昭和記念公園の「こもれびの里」[21]のような取り組みもある。
とはいえ、これらの多くは範囲が狭小だったり、周囲が山地だったりするため、国木田が書き残した武蔵野とはまた別種の景観を呈しているというべきであろう。
注釈
- ^ 秩父根は古い山名。青梅あたりより秩父方向へ聳える山塊を指すものかと思われる。
- ^ a b 柳田國男は著書『武蔵野の昔』(1918年(大正7年))の中で、「近年のいはゆる武蔵野趣味は、自分の知る限りに於ては故人国木田独歩君を以て元祖と為すべきものである」と述べている。
- ^ a b c d 各市へのリンクを設けたが、現在の市域全域を指しているわけではないことに注意。
- ^ ここでいう「駅」は鉄道駅ではなくいわゆる宿駅、宿場町のこと。ここでは集落などを含めた地域そのものを指している。
- ^ 趣き、味わい。
- ^ きねがわ。現在の墨田区東墨田三丁目あたりから荒川の対岸あたりにかけての一帯。当時荒川はここを流れてはいなかった。
- ^ 府中のけやき並木南端・大國魂神社近くに歌碑がある。
- ^ 武蔵国に入った。
- ^ 今の済海寺(港区三田四丁目)の場所にあったという。
- ^ 3日ほども草を分けて進んだが(原野は)尽きることがない。
- ^ 本来の道をはずれて行けば宿場などもあるが。
- ^ 前述・九条良経の歌を思い出している。
- ^ a b 「草より出て草に入る」は前掲・藤原通方の歌をもじった「むさしのは月の入るべき山もなし草より出でて草にこそ入れ」に拠ったもので、月が何もない草原から上って何もない草原に沈む、つまりどちらを向いても山が見えない関東平野の広さを表現したもの。「草の枕に旅寝の日数を忘れ」は新千載和歌集にある「草枕同じ旅寝の変はらねば日数忘るる武蔵野の原」のことで、何日歩きつづけても原野がつづく意であり、やはり広大さの表現。
- ^ 徳川家康の江戸入城。
- ^ 参考までに東京都都市整備局[1]がまとめた「東京の土地利用 平成19年多摩・島しょ地域」(多摩地域(エリア別) (PDF))から引けば、かつて“武蔵野”の主たる舞台であった3地域の土地利用の現状は以下のとおりである。
なお、分類の「原野」には市街地内の更地など緑地的要素のないものも含み、本記事中の「原野」とは意味が異なることに注意。
分類 原野 森林 水面 農用地 公園等 宅地/道路等/その他 北多摩北部(西東京、小平、東久留米、清瀬、東村山) 0.7% 3.0% 0.6% 15.1% 5.5% 75.1% 北多摩南部(武蔵野、三鷹、調布、狛江、小金井、府中) 2.7% 1.2% 1.6% 8.2% 7.4% 78.9% 北多摩西部(国分寺、国立、立川、昭島、東大和、武蔵村山) 2.3% 6.0% 2.7% 11.6% 5.4% 72.0% - ^ 例として、東京都建設局による「武蔵野の路」整備計画など。
- ^ たとえば武蔵野の森公園など。また「武蔵野の自然をイメージした内装」のホテルの例などもある[2]。
- ^ 一例として、財団法人世田谷トラストまちづくりの「市民緑地制度」(世田谷区内各地)や、武蔵野の森を育てる会が管理する「境山野緑地」(武蔵野市境)など。
出典
- ^ 『広辞苑 第5版』 岩波書店。
- ^ a b c 『江戸名所図会 二』 斎藤幸雄他編、有朋堂文庫、1927年 328-333ページ [3] (国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c d e f g h i j k l 『武蔵野のイメージとその変化要因についての考察』 山根ますみ/篠原 修/堀 繁、造園雑誌 53巻5号、1990年 [4]
- ^ 花札 - 世界大百科事典 第2版 コトバンク 2021年4月10日閲覧。
- ^ a b c d 立教大学観光学部(編)『大学的 東京ガイド:こだわりの歩き方』 昭和堂 2019年 ISBN 978-4-8122-1814-3 pp.87-103,.109-121
- ^ 新田村落の典型、武蔵野 (水土の礎 - 社団法人 農業農村整備情報総合センター)
- ^ a b 『武蔵野図屏風(田家秋景)』 作者不詳、江戸時代 (東京富士美術館)
- ^ a b 『武蔵野図屏風』 作者不詳、江戸時代中期 (島根県立美術館)
- ^ 『武蔵野図』 伊達宗重、17世紀 (登米市 ふるさとライブラリー)
- ^ 『色絵武蔵野図茶碗』 野々村仁清、江戸時代 (文化遺産オンライン)
- ^ 『武蔵野図扇面』 酒井抱一、18-19世紀 (千尋の美術散歩)
- ^ a b 『不二三十六景』のうち「武蔵野」 歌川広重(山梨県立美術館) - 時代も遅く、いわゆる「武蔵野図」の範疇からは外れるが、同様のモチーフを踏襲している。
- ^ 風致地区種別一覧(PDF) (風致地区制度 - 東京都建設局)
- ^ 埼玉県・三富 (地域森林景観 - 東京大学大学院 森林風致計画学研究室)
- ^ 三富落ち葉野菜研究グループ
- ^ トトロの森の紹介 (公益財団法人 トトロのふるさと基金)
- ^ 公益財団法人さいたま緑のトラスト協会
- ^ 埼玉県下の国指定天然記念物(PDF)
- ^ 横沢入 (横沢入里山管理市民協議会)
- ^ 八王子堀之内里山保全地域(東京都環境局)
- ^ こもれびの里 (国営昭和記念公園)
- ^ 『府中の町紹介』府中市図書館編集発行
- ^ 鈴木晋一 『たべもの史話』 小学館ライブラリー、1999年、pp.152-154
- ^ “(3249) Musashino = 1961 XA = 1975 QL = 1977 DT4”. MPC. 2021年9月11日閲覧。
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