武蔵野 武蔵野の概要

武蔵野

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/05 04:59 UTC 版)

秋枯れの。荻は“武蔵野の原野”を代表する植物のひとつであった。

「どこまでもつづく原野」として、あるいは「月の名所」として、古来さまざまな文芸作品、美術・工芸作品に題材とインスピレーションを与えてきた。

名称に「武蔵野」を持つ地名、作品、その他については以下に記載。

武蔵野の範囲

武蔵野の範囲について明確な定義はないが、広辞苑によれば「荒川以南・多摩川以北で、東京都心までの間に拡がる武蔵野台地」であり、また広義には「武蔵国全部」を指すこともあるとされる[1]。 またたとえば、江戸後期に出版された『江戸名所図会』(後述)は、「南は多摩川、北は荒川、東は隅田川、西は大岳(たいがく)・秩父根[注釈 1]を限りとして、多摩橘樹都筑荏原豊島足立新座高麗比企入間等すべて十郡に跨る」と解説している[2]

1898年(明治31年)に国木田独歩は随筆『武蔵野』を著したが(後述)、この作品は後に広く愛読され、その後の“武蔵野観”に大きな影響を与えることとなった[3][注釈 2]。作中、国木田は友人の言葉として以下のとおり引言し、武蔵野の地理的範囲の再定義を試みている。

武蔵野は先づ雑司谷から起つて線を引いて見ると、それから板橋中仙道の西側を通って川越近傍まで達し、君の一編に示された入間郡を包んで円く甲武線立川駅に来る。此範囲の間に所沢[注釈 3]田無[注釈 3]などいふ[注釈 4]がどんなに趣味[注釈 5]が多いか…殊に夏の緑の深いころは。さて立川[注釈 3]からは多摩川を限界として上丸辺まで下る。八王子[注釈 3]は決して武蔵野には入れられない。そして丸子から下目黒に返る。此範囲の間に布田登戸二子などのどんなに趣味が多いか。以上は西半面。 東の半面は亀井戸辺より小松川へかけ木下川[注釈 6]から堀切を包んで千住近傍へ到つて止まる。この範囲は異論があれば取除いてもよい。しかし一種の趣味があつて武蔵野に相違ないことは前に申したとほりである。

この国木田の記述によると、武蔵野の範囲は現在の東京23区西部と北多摩西多摩、埼玉県川越市以南の中南部、神奈川県川崎市北部のごく一部ということが推測される。山手線の内側は武蔵野台地の端で、ギザギザなため坂が多く山の手と言われている。タウン紙やTV、不動産関係などでは武蔵野、三鷹、小金井、調布、狛江、西東京、東久留米、清瀬の各市を指すことが多い。

武蔵野の原イメージ

旅すがら武蔵野の奥深く分け入った西行が、人里離れた草原の庵(いおり)にて老僧と出会うワンシーン。『西行物語』に登場するこのエピソードは広く知られ、後々よく引用された。画像は俵屋宗達による『西行物語絵巻』の模写より。

万葉集から中世文学まで

人の手が入る以前の武蔵野は照葉樹林であったが、やがて焼畑農業が始まり、その跡地が草原落葉広葉樹二次林となり、“(まき)”と呼ばれる牧草地に転用されるなどして、平安期頃までには原野の景観が形成されたといわれている[3]

武蔵野の名の成り立ちは言うまでもなく「武蔵の野」ということだが、元来、武蔵国周辺のいわゆる東人たちが、みずからの住む山野を指して呼んだものであった。 「武蔵野」の名が初めて史料に現れるのは万葉集で、第14巻「東歌」に彼らの詠んだ歌が編まれて残っている。

武蔵野のをぐきがきぎし立ち別れ去にし宵より背ろに逢はなふよ (万葉集 ⑭東歌 相聞 #3375)

恋しけば袖も振らむを武蔵野のうけらが花の色に出なゆめ (同上 #3376)

武蔵野の草葉もろ向きかもかくも君がまにまに我は寄りにしを[注釈 7](同上 #3377)

(ほか数首あり)

中世になると多数の歌が武蔵野を題材として詠まれ[3]、なかには後世までたびたび引用されるものもあった[2]

むらさきのひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る (詠人知らず、古今和歌集

をみなへしにほへる秋の武蔵野は常よりも猶むつましきかな (紀貫之後撰和歌集

行く末は空もひとつの武蔵野に草の原より出づる月かげ (九条良経新古今和歌集

武蔵野やゆけども秋のはてぞなきいかなる風か末に吹くらむ (久我通光、新古今和歌集)

玉にぬく露はこぼれてむさし野の草の葉むすぶ秋の初風 (西行新勅撰和歌集

むさしのは月の入るべき峰もなし尾花が末にかかる白雲 (藤原通方、続古今和歌集

めぐりあはむ空行く月のゆく末もまだはるかなる武蔵野の原 (藤原定家新千載和歌集

長月の霜にさえゆくむさし野のゆかりに遠きくさのもとかな (藤原定家)

むさしのは木蔭も見えず時鳥幾日を草の原に鳴くらん (一色直朝、桂林集)

むさし野といづくをさして分け入らん行くも帰るもはてしなければ (北条氏康、武蔵野紀行)

なお、11世紀に書かれた『更級日記』(菅原孝標女)と14世紀初めの『とはずがたり』(後深草院二条)は、いずれも自叙伝というジャンルのノンフィクションだが、各作中では「馬上の人物が見えないほど」に草の生い茂った土地として武蔵野が描かれており、当時の武蔵野の実態の一端をうかがい知ることができる。

今は武蔵の国になりぬ[注釈 8]。(中略) むらさき生ふと聞く野も、(あし)・のみ高く生ひて、馬に乗りて弓もたる末見えぬまで高く生ひ茂りて、中をわけ行くに、竹芝といふ寺[注釈 9]あり。 (更級日記)
八月の初めつ方にもなりぬれば、武蔵野の秋の景色ゆかしさにこそ今までこれらにも侍りつれと思ひて、武蔵の国へ帰りて、浅草と申す堂あり。(中略) 野の中をはるばると分けゆくに、女郎花よりほかはまたまじるものもなく、これが高さは馬に乗りたる男の見えぬほどなれば、おしはかるべし。三日にや分けゆけども尽きもせず[注釈 10]。ちと傍へ行く道にこそ宿などもあれ[注釈 11]、はるばるひととほりは来し方行く末野原なり。観音堂はちとひき上りて、それも木などはなき原の中におはしますに、まめやかに草の原より出づる月影と思ひ出づれば[注釈 12]、今宵は十五夜なりけり。 (とはずがたり)

以上のように、中古から中世にかけての日本人がもっていた“武蔵野のイメージ”は、総じて「野草の野原」、のちには「月の美しい、茫漠としてどこまでもつづく原野」といったものであったと言うことができる[3]

江戸時代

花札の別名を「武蔵野」というが[4]、そのイメージを象徴する「芒に月」の札[5]

江戸開府以降、人口の急増を見込んで、近郊各地の新田開発が旺盛に進められた。 進歩した測量技術と社会資本によって玉川上水野火止用水が開削され、武蔵野台地上でも農業が可能になった[6]。 こうして進められた開拓によって“原野”は徐々に姿を消し、代わって、田畑、社寺林屋敷林街道防風林雑木林など、今日“武蔵野の自然”と呼ばれているものが人の手によってもたらされていくこととなった[3]

しかしながら、文芸上に現れる武蔵野のイメージは中世までのそれと変わらず、むしろ失われゆく武蔵野を惜しむものが多かったという[3]。 たとえば前述の『江戸名所図会』は現在の1都3県にまたがり各地の観光地名所を網羅した大部作で、「武蔵野」および関連項目には多くの紙面を割いて解説している[2]が、そこには次のように書かれている。

草より出て草に入る[注釈 13]、又草の枕に旅寝の日数を忘れ[注釈 13]、問ふべき里の遙かなりなど、代々(よよ)の歌人袂をしぼりしが、御入国[注釈 14]の頃より、昔に引きかへ十万戸の炊煙紫霞と共に棚引き、僅(わづか)に其の旧跡の残りたりしも、承応より享保にいたり四度まで新田開発ありて、耕田林園となり、往古の風光これなし。されど月夜狭山に登りて四隣を顧望するときは、曠野蒼茫、千里無限(せんりきはまりなく)、往古の状を想像するに足れり。
武蔵野図屏風(17世紀、サントリー美術館蔵)

江戸時代には、美術の世界でも「武蔵野図」と呼ばれるジャンルの作品が制作された[7][8][9][10][11][12]。 とりわけ「武蔵野図屏風」の名で呼ばれる屏風絵は一時流行し、後には定型化した様式をもつに至って[7][8]、類似の作品が多数つくられた。 茶器や刀装具、調度品などの工芸作品も含め、これらの作品に共通するのは、薄(すすき)をはじめとして桔梗女郎花野菊などの秋草、月、東国を表す記号でもある富士山などを題材とし、寂寞とした秋の野を描き出している点であり[12]、前述のような武蔵野のイメージ、美意識の視覚化を試みている。


注釈

  1. ^ 秩父根は古い山名。青梅あたりより秩父方向へ聳える山塊を指すものかと思われる。
  2. ^ a b 柳田國男は著書『武蔵野の昔』(1918年(大正7年))の中で、「近年のいはゆる武蔵野趣味は、自分の知る限りに於ては故人国木田独歩君を以て元祖と為すべきものである」と述べている。
  3. ^ a b c d 各市へのリンクを設けたが、現在の市域全域を指しているわけではないことに注意。
  4. ^ ここでいう「駅」は鉄道駅ではなくいわゆる宿駅、宿場町のこと。ここでは集落などを含めた地域そのものを指している。
  5. ^ 趣き、味わい。
  6. ^ きねがわ。現在の墨田区東墨田三丁目あたりから荒川の対岸あたりにかけての一帯。当時荒川はここを流れてはいなかった。
  7. ^ 府中のけやき並木南端・大國魂神社近くに歌碑がある。
  8. ^ 武蔵国に入った。
  9. ^ 今の済海寺港区三田四丁目)の場所にあったという。
  10. ^ 3日ほども草を分けて進んだが(原野は)尽きることがない。
  11. ^ 本来の道をはずれて行けば宿場などもあるが。
  12. ^ 前述・九条良経の歌を思い出している。
  13. ^ a b 「草より出て草に入る」は前掲・藤原通方の歌をもじった「むさしのは月の入るべき山もなし草より出でて草にこそ入れ」に拠ったもので、月が何もない草原から上って何もない草原に沈む、つまりどちらを向いても山が見えない関東平野の広さを表現したもの。「草の枕に旅寝の日数を忘れ」は新千載和歌集にある「草枕同じ旅寝の変はらねば日数忘るる武蔵野の原」のことで、何日歩きつづけても原野がつづく意であり、やはり広大さの表現。
  14. ^ 徳川家康の江戸入城。
  15. ^ 参考までに東京都都市整備局[1]がまとめた「東京の土地利用 平成19年多摩・島しょ地域」(多摩地域(エリア別) (PDF))から引けば、かつて“武蔵野”の主たる舞台であった3地域の土地利用の現状は以下のとおりである。 なお、分類の「原野」には市街地内の更地など緑地的要素のないものも含み、本記事中の「原野」とは意味が異なることに注意。
    分類 原野 森林 水面 農用地 公園等 宅地/道路等/その他
    北多摩北部(西東京小平東久留米清瀬東村山 0.7% 3.0% 0.6% 15.1% 5.5% 75.1%
    北多摩南部(武蔵野三鷹調布狛江小金井府中 2.7% 1.2% 1.6% 8.2% 7.4% 78.9%
    北多摩西部(国分寺国立立川昭島東大和武蔵村山 2.3% 6.0% 2.7% 11.6% 5.4% 72.0%
  16. ^ 例として、東京都建設局による「武蔵野の路」整備計画など。
  17. ^ たとえば武蔵野の森公園など。また「武蔵野の自然をイメージした内装」のホテルの例などもある[2]
  18. ^ 一例として、財団法人世田谷トラストまちづくりの「市民緑地制度」(世田谷区内各地)や、武蔵野の森を育てる会が管理する「境山野緑地」(武蔵野市)など。

出典

  1. ^ 『広辞苑 第5版』 岩波書店。
  2. ^ a b c 『江戸名所図会 二』 斎藤幸雄他編、有朋堂文庫、1927年 328-333ページ [3]国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 『武蔵野のイメージとその変化要因についての考察』 山根ますみ/篠原 修/堀 繁、造園雑誌 53巻5号、1990年 [4]
  4. ^ 花札 - 世界大百科事典 第2版 コトバンク 2021年4月10日閲覧。
  5. ^ a b c d 立教大学観光学部(編)『大学的 東京ガイド:こだわりの歩き方』 昭和堂 2019年 ISBN 978-4-8122-1814-3 pp.87-103,.109-121
  6. ^ 新田村落の典型、武蔵野水土の礎 - 社団法人 農業農村整備情報総合センター
  7. ^ a b 『武蔵野図屏風(田家秋景)』 作者不詳、江戸時代東京富士美術館
  8. ^ a b 『武蔵野図屏風』 作者不詳、江戸時代中期島根県立美術館
  9. ^ 『武蔵野図』 伊達宗重、17世紀 (登米市 ふるさとライブラリー
  10. ^ 『色絵武蔵野図茶碗』 野々村仁清、江戸時代 (文化遺産オンライン
  11. ^ 『武蔵野図扇面』 酒井抱一、18-19世紀 (千尋の美術散歩
  12. ^ a b 『不二三十六景』のうち「武蔵野」 歌川広重山梨県立美術館) - 時代も遅く、いわゆる「武蔵野図」の範疇からは外れるが、同様のモチーフを踏襲している。
  13. ^ 風致地区種別一覧(PDF)風致地区制度 - 東京都建設局
  14. ^ 埼玉県・三富地域森林景観 - 東京大学大学院 森林風致計画学研究室
  15. ^ 三富落ち葉野菜研究グループ
  16. ^ トトロの森の紹介公益財団法人 トトロのふるさと基金
  17. ^ 公益財団法人さいたま緑のトラスト協会
  18. ^ 埼玉県下の国指定天然記念物(PDF)
  19. ^ 横沢入 (横沢入里山管理市民協議会)
  20. ^ 八王子堀之内里山保全地域東京都環境局
  21. ^ こもれびの里国営昭和記念公園
  22. ^ 『府中の町紹介』府中市図書館編集発行
  23. ^ 鈴木晋一 『たべもの史話』 小学館ライブラリー、1999年、pp.152-154
  24. ^ (3249) Musashino = 1961 XA = 1975 QL = 1977 DT4”. MPC. 2021年9月11日閲覧。






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