武蔵野
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/05 04:59 UTC 版)
「武蔵野」の名をもつもの
地名
地名に「武蔵野」の名が使われる場合がある。
かつての武蔵国にあたる地域の中で自治体名、住居表示名に「武蔵野」が使われている例は以下のとおり。
- 東京都 武蔵野市
- 東京都 府中市 武蔵台(武蔵台は武蔵野台地の略[22])
- 東京都 昭島市 武蔵野
- 東京都 福生市 武蔵野台
- 東京都 西多摩郡 瑞穂町 むさし野
- 埼玉県 ふじみ野市 福岡武蔵野 - 旧・上福岡市 武蔵野
- 埼玉県 ふじみ野市 大井武蔵野 - 旧・入間郡 大井町 武蔵野
- 埼玉県 深谷市 武蔵野
- 埼玉県 川越市 むさし野
- 埼玉県 川越市 むさし野南
四股名
- 武蔵野和田右エ門 - 宝暦年間(1760年代)の力士。最高位幕下筆頭。
- 戸田川鷲之助 (4代) - 天明年間(1780年代)の力士。最高位前頭3枚目。冨士ヶ嶽 → 武蔵野幸内 → 戸田川幾右エ門 → 戸田川鷲之助(4代)と改名。
- 武蔵野久五郎 - 文化(1810年代)の力士。最高位幕下9枚目。
- 佐渡ヶ嶽沢右エ門 (3代) - 文化・文政年間(1810・20年代)の力士。最高位前頭筆頭。武蔵野初五郎 → 桟シ初五郎(初代) → 桟シ初右エ門 → 佐渡嶽沢右エ門(3代) → 佐渡ヶ嶽沢右エ門と改名。
- 武蔵野門太 - 天保・弘化年間(1840年代)の力士。最高位前頭4枚目。
- 武蔵野弥助 - 安政年間(1850年代)の力士。最高位前頭5枚目。武ノ川弥助 → 武蔵野弥助と改名。
- 武蔵野英之助 - 1880年頃の力士。最高位十両6枚目。
- 1940年代の力士。最高位幕下5枚目。
- 1950年代の力士。最高位序二段47枚目。
- 1960年頃の力士。最高位序二段80枚目。
その他
「武蔵野」はまた以下の名称にも使われている。
普通名詞
- 「武蔵野うどん」 - 東京都多摩地域と埼玉県西部(かつての武蔵国の入間郡と多摩郡)に伝わるうどんのこと。「手打ちうどん」とも呼ばれる。
- 江戸時代に使われていた図抜けて大きい盃の総称。武蔵野は広大すぎて全てを一望に収めることができない、すなわち「野、見尽くさず」ということから、盃が大きすぎて飲み干すことができない「飲み尽くさず」にかけた語呂合わせであるという。『毛吹草』や『西鶴織留』などに記述がある[23]。
固有名詞、商標など
- 『武蔵野』 - 国木田独歩による随筆作品。また、同作を収めた作品集の標題。 → 上記#国木田独歩の描いた武蔵野を参照。
- 『武蔵野』 - 山田美妙による短編の時代小説。
- 『武蔵野夫人』 - 大岡昇平による恋愛小説。1950年に発表され大ヒットした。国分寺崖線の周辺を舞台としている。
- 「武藏野陵」、「武藏野東陵」 - 昭和天皇、香淳皇后の陵。
- 「武蔵野公園」、「武蔵野の森公園」 - いずれも東京都立の公園。
- 「武蔵野線」 - 武蔵野地域を半環状につなぐ東日本旅客鉄道の鉄道路線。また、「むさしの号」は武蔵野線を経由する列車の愛称。
- 「武蔵野文化協会(旧・武蔵野会)」 - 武蔵野の自然と人文の研究を推奨する団体。
- 「むさし野詩人」 - 1977年にヒットした、野口五郎のシングル曲。
- 「武蔵野」- エレファントカシマシの楽曲。
- 「武蔵野樹林」 - 角川文化振興財団が発行する雑誌。株式会社KADOKAWAが埼玉県所沢市東所沢に「ところざわサクラタウン」と「角川武蔵野ミュージアム」の誕生に伴い、武蔵野をテーマに作られた。現在は、2019年春・夏・秋号が出版されている。また、2020年4月20日に2020春号が発売予定。
- 小惑星(3249) Musashinoは武蔵野にちなんで命名された[24]。
その他企業、法人施設などの名称に「武蔵野」の名を冠することがある。たとえば武蔵野銀行、武蔵野美術大学、武蔵野 (食品製造)、むさしの村など。
注釈
- ^ 秩父根は古い山名。青梅あたりより秩父方向へ聳える山塊を指すものかと思われる。
- ^ a b 柳田國男は著書『武蔵野の昔』(1918年(大正7年))の中で、「近年のいはゆる武蔵野趣味は、自分の知る限りに於ては故人国木田独歩君を以て元祖と為すべきものである」と述べている。
- ^ a b c d 各市へのリンクを設けたが、現在の市域全域を指しているわけではないことに注意。
- ^ ここでいう「駅」は鉄道駅ではなくいわゆる宿駅、宿場町のこと。ここでは集落などを含めた地域そのものを指している。
- ^ 趣き、味わい。
- ^ きねがわ。現在の墨田区東墨田三丁目あたりから荒川の対岸あたりにかけての一帯。当時荒川はここを流れてはいなかった。
- ^ 府中のけやき並木南端・大國魂神社近くに歌碑がある。
- ^ 武蔵国に入った。
- ^ 今の済海寺(港区三田四丁目)の場所にあったという。
- ^ 3日ほども草を分けて進んだが(原野は)尽きることがない。
- ^ 本来の道をはずれて行けば宿場などもあるが。
- ^ 前述・九条良経の歌を思い出している。
- ^ a b 「草より出て草に入る」は前掲・藤原通方の歌をもじった「むさしのは月の入るべき山もなし草より出でて草にこそ入れ」に拠ったもので、月が何もない草原から上って何もない草原に沈む、つまりどちらを向いても山が見えない関東平野の広さを表現したもの。「草の枕に旅寝の日数を忘れ」は新千載和歌集にある「草枕同じ旅寝の変はらねば日数忘るる武蔵野の原」のことで、何日歩きつづけても原野がつづく意であり、やはり広大さの表現。
- ^ 徳川家康の江戸入城。
- ^ 参考までに東京都都市整備局[1]がまとめた「東京の土地利用 平成19年多摩・島しょ地域」(多摩地域(エリア別) (PDF))から引けば、かつて“武蔵野”の主たる舞台であった3地域の土地利用の現状は以下のとおりである。
なお、分類の「原野」には市街地内の更地など緑地的要素のないものも含み、本記事中の「原野」とは意味が異なることに注意。
分類 原野 森林 水面 農用地 公園等 宅地/道路等/その他 北多摩北部(西東京、小平、東久留米、清瀬、東村山) 0.7% 3.0% 0.6% 15.1% 5.5% 75.1% 北多摩南部(武蔵野、三鷹、調布、狛江、小金井、府中) 2.7% 1.2% 1.6% 8.2% 7.4% 78.9% 北多摩西部(国分寺、国立、立川、昭島、東大和、武蔵村山) 2.3% 6.0% 2.7% 11.6% 5.4% 72.0% - ^ 例として、東京都建設局による「武蔵野の路」整備計画など。
- ^ たとえば武蔵野の森公園など。また「武蔵野の自然をイメージした内装」のホテルの例などもある[2]。
- ^ 一例として、財団法人世田谷トラストまちづくりの「市民緑地制度」(世田谷区内各地)や、武蔵野の森を育てる会が管理する「境山野緑地」(武蔵野市境)など。
出典
- ^ 『広辞苑 第5版』 岩波書店。
- ^ a b c 『江戸名所図会 二』 斎藤幸雄他編、有朋堂文庫、1927年 328-333ページ [3] (国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c d e f g h i j k l 『武蔵野のイメージとその変化要因についての考察』 山根ますみ/篠原 修/堀 繁、造園雑誌 53巻5号、1990年 [4]
- ^ 花札 - 世界大百科事典 第2版 コトバンク 2021年4月10日閲覧。
- ^ a b c d 立教大学観光学部(編)『大学的 東京ガイド:こだわりの歩き方』 昭和堂 2019年 ISBN 978-4-8122-1814-3 pp.87-103,.109-121
- ^ 新田村落の典型、武蔵野 (水土の礎 - 社団法人 農業農村整備情報総合センター)
- ^ a b 『武蔵野図屏風(田家秋景)』 作者不詳、江戸時代 (東京富士美術館)
- ^ a b 『武蔵野図屏風』 作者不詳、江戸時代中期 (島根県立美術館)
- ^ 『武蔵野図』 伊達宗重、17世紀 (登米市 ふるさとライブラリー)
- ^ 『色絵武蔵野図茶碗』 野々村仁清、江戸時代 (文化遺産オンライン)
- ^ 『武蔵野図扇面』 酒井抱一、18-19世紀 (千尋の美術散歩)
- ^ a b 『不二三十六景』のうち「武蔵野」 歌川広重(山梨県立美術館) - 時代も遅く、いわゆる「武蔵野図」の範疇からは外れるが、同様のモチーフを踏襲している。
- ^ 風致地区種別一覧(PDF) (風致地区制度 - 東京都建設局)
- ^ 埼玉県・三富 (地域森林景観 - 東京大学大学院 森林風致計画学研究室)
- ^ 三富落ち葉野菜研究グループ
- ^ トトロの森の紹介 (公益財団法人 トトロのふるさと基金)
- ^ 公益財団法人さいたま緑のトラスト協会
- ^ 埼玉県下の国指定天然記念物(PDF)
- ^ 横沢入 (横沢入里山管理市民協議会)
- ^ 八王子堀之内里山保全地域(東京都環境局)
- ^ こもれびの里 (国営昭和記念公園)
- ^ 『府中の町紹介』府中市図書館編集発行
- ^ 鈴木晋一 『たべもの史話』 小学館ライブラリー、1999年、pp.152-154
- ^ “(3249) Musashino = 1961 XA = 1975 QL = 1977 DT4”. MPC. 2021年9月11日閲覧。
- 1 武蔵野とは
- 2 武蔵野の概要
- 3 国木田独歩の描いた武蔵野
- 4 近現代の武蔵野
- 5 「武蔵野」の名をもつもの
- 6 脚注
武蔵野と同じ種類の言葉
- 武蔵野のページへのリンク