ファシリテーター 価値観

ファシリテーター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/21 01:30 UTC 版)

価値観

組織開発において、変革のツールになるのはファシリテーター自身の価値観であり、アメリカのナショナル・トレーニング・ラボラトリー英語版(NLT)は、組織開発のファシリテーターに必要な価値観を次のように示した[54]

  1. 人間尊重:人間は基本的に善であり、その人に適した場が与えられれば、自律的・主体的にその人の力を発揮すると考える、「人間を信じる」価値観。[54]
  2. 民主的:多くの人が参加して物事を決めることで、決定の質が良くなり、実行されやすくなると考える、「みんなで考える」価値観。ナチスから逃れてアメリカに亡命したユダヤ人でNLT創始者のクルト・レヴィンの、民主的な世の中への希望の影響が大きい。[54]
  3. クライアント(当事者)中心:ファシリテーターやコンサルタントではなく、当事者が中心になって取り組む、という価値観。[54]
  4. 社会・環境志向:組織(グループ)を機械ではなく、有機的な生命体システムと捉え、組織を内部の要素が相互に関連するまとまりと考え、社会を取り巻く社会・環境との共存を目指す、「世の中のために」という価値観。[54]

こうしたファシリテーターの価値観には、レヴィンをはじめとするNLTメンバーの理念が受け継がれている[54]。ドナルド・アンダーソンは、「発達・学習を信じること」が組織開発のファシリテーターに最も重要な価値観であるとしている[54]

批評

権力の行使の隠微・指導性の放棄

パウロ・フレイレは、教育者と学習者の対等性を主張し(理解されにくいが、教育者と学習者が同じ立場で学習の場に立ちあうということではない)、特に学習者の主体性を重視していたことから、ファシリテーターの源流とみなされることがあるが、彼は教育におけるファシリテーターに対して批判的であり、教育者の指導性を放棄する「放任主義教育」と呼んでいる[65]。「私はファシリテーターであると自称したことはありません。また、はっきりさせておきたいのは、教育者である以上、常に教えながらファシリテートしているということです。教えずにファシリテートするファシリテーターという考えは受け入れられません」と語り、指導性を否定するファシリテーターは教育者と呼ばれるための資格をもたないと考えた[65]

フレイレは、ファシリテーターが教育者である以上、学習者を評価し、カリキュラムを管理する権力をもっているにもかかわらず、権力を行使していないように振る舞い、権力を隠しながら行使するという欺瞞を指摘している[65]。ファシリテーターは、権威主義と見られることを恐れるあまり権威を放棄し、教育者という主体性を放棄しており、学習者との対話も拒否した、学習プロセスの外に立つ傍観者でしかないとみなした[66]。学習者の主体性を尊重すると称して装われた中立的立場は、教育者と学習者を切り離し、教育者の権力に対する学習者の注意をそらし、学習者を従順にし、ファシリテーター達が否定する権威主義の教育よりも、巧妙に、効果的に、学習者を支配できる教育、学習者の飼いならしになっていると考えた[66]

こうしたファシリテーターの条件を作りだしているのは権威主義と権威の混同だと思います。権威主義を脱しようとして、教育者としての権威を放棄することはできません。実際、このようなことはありえないのです。教育者は、教えようとする主題に関する知識の深さと広さをつうじて、一定の権威を保持しているからです。教育者ではなくファシリテーターだと主張する教育者は、どういうわけか、教えるという仕事、したがって対話する仕事を放棄しています。[65]

フレイレの「解放の教育」は、教育者と学習者が互いの権威を尊重するものであり、教育者と学習者それぞれの主体性を尊重し、互いに交流する民主的な関係を目指した[67]

中堀仁四郎は、「トレーニングの中では、トレーナー(今でいうファシリテーター)は自分が”権力”を持つ立場にいることに気付いているべきである。トレーニングは協働の学習であるのだから。Tグループの学習プロセスは、そこにいるものの相互協力的なものである。お互いの責任、参加かどのようになっているか了解されていなければならない。(中略)”権力”の問題がどのようになっているかに気づいていなければならない。」と述べている[68]

信田さよ子らは、DV加害者更生プログラムのワークショップに関する資料で、「意識するとしないとにかかわらず、筆者らファシリテーターは彼ら(プログラム参加者)に対して権力的立場にあることは疑いがない。厳密な意味での対等性はそこにはない。」と指摘している[69]

倫理観が欠如している場合の問題

アメリカでは1960年代にすでに、Tグループなどの集団での体験学習・コミュニケーション技能訓練(ラボラトリー・トレーニング)の倫理性の基準の必要性が論じられた[68]。中堀仁四郎は、「倫理基準はそれが本来の目的から外れて用いられないように、一定の基準に達しない技術の提供を禁止することを目的としている。」と述べている。

ベーシック・エンカウンター・グループの発展と同時代の1970-80年代に、グループ療法ゲシュタルト療法やTグループ、感受性訓練(ST)が、ネットワークビジネスなどの誤った目的で利用されて凶器と化し、日本でも社員教育・組織開発としての感受性訓練が1980年代に流行して社会的な問題となり、マインドコントロールという言葉が流行した[54]。市場ニーズにファシリテーターの育成が追い付かず、倫理観に欠けたファシリテーターが暴走し、研修中の参加者に対する心理操作、個人の尊厳を危うくするような「しごき」的トレーニング、つるし上げ、暴力などの問題が起こり、参加者の心身を傷つけ、自殺者も出ている[54][70]

中原淳は、組織開発は、集団精神療法から手法を発展させているが、こうした人の心を扱う手法は本来訓練を受けたプロが行うものであり、組織開発はその成り立ちから、倫理観に欠けるファシリテーターが暴走した場合、グループダイナミクスを活用するセラピーの手法が悪用され、参加者に害を与える危険性を孕んでいることを指摘している[70]

関連項目


注釈

  1. ^ ラップアラウンドとは、アメリカ、カナダ等で行われているソーシャルワークのアプローチの一種。児童福祉、少年司法、精神保健、教育などの分野において、行動面・情緒面・精神面に深刻で複雑な問題を抱える子どもや若者に対して、コミュニティを基盤として子どもと家族を支援するチームを組み、クライエントの自己決定を重視した、柔軟で包括的な支援やサービスを行うチームアプローチ。1年半 - 2年程度集中的に関わって支援し、エンパワーすることで、彼らが自らの周囲の環境や問題に目を向け、理解し、その意味をリフレーミングすることを重視しており、クライエントが地域をまきこんだ(ラップアラウンドした)形でつながりを作り、成長し、自分たち自身で必要なものに手を伸ばし、生活していく力を身につけることを目指す。[43][44]ラップアラウンド・ファシリテーターは、この支援チームの会議を主導、管理し、必要な支援を行うことができるよう議論を援助する。

出典

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