武田信虎とは? わかりやすく解説

武田信虎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 04:40 UTC 版)

武田 信虎(たけだ のぶとら)は、戦国時代武将甲斐守護大名戦国大名武田信玄の父。甲斐源氏第18代当主。武田氏15代当主。


注釈

  1. ^ 『高白斎記』は直接明応7年正月6日生まれであることを記述しているが、『大井俣神社本紀』は具体的な日付を欠くものの天文8年に信虎が42歳の厄年に息子の晴信を大井俣神社(現在の大井俣窪八幡神社)に派遣して大規模な祈祷や修繕を行ったとするものである(逆算すると明応7年生まれとなる)。一方の『武田信虎誕生疏』は理由は書かれていないものの天文8年の信虎の誕生日に大規模な祈祷を行ったとする内容である。平山はこの両者の記事は無関係ではなく、天文8年正月6日に42歳の誕生日を迎えた信虎が国内の寺社に厄年の祈願をさせたことを意味しているとする。
  2. ^ 『甲斐国志』によれば双方合意の上で、信虎が隠居したとされる。
  3. ^ 晴信は家督相続に際して官途名を「左京大夫」から「大膳大夫」に改めており、信虎期の外交方針を転換し、信濃諏訪氏との関係を手切とし、信濃侵攻を本格化させ山内上杉氏とも敵対していく。
  4. ^ 此年六月十四日武田太夫様(晴信)親ノ信虎ヲ駿河ヘ押シ越シ申シ候。余リニ悪行ヲ成サレ候間、カヨウニメサレ候。サルホドニ地下、侍、出家、男女共ニ喜ビ満足候コト限リナシ(『妙法寺記』)。
  5. ^ 山科言継は弘治2年(1556年)に駿河へ下向しており、翌弘治3年2月25日の連歌会においては信虎の子信友が参加している。
  6. ^ 駿河時代に誕生した娘。その下に京都で誕生した娘がおり、父の死後に武田勝頼に引き取られて武田氏滅亡時に死去したとみられ、『信長公記』に登場する「信虎京上臈のむすめ」はその娘と推定されている[64]
  7. ^ 当時の勝頼は東美濃で織田信長と対峙して、2月6日に明知城を落としている。それから1か月後には信虎が死去していることから、信虎と勝頼の対面は2月の限られた時期に限定されることになる(平山優は2月15日頃の出来事と推測する)[71]
  8. ^ ただし、高遠に禰津常安の邸宅があったとする記録はなく、高遠で死去したのが誤りなのか、禰津屋敷で死去したのが誤りなのかの可能性があるという[72]

出典

  1. ^ 甲斐国志
  2. ^ 平山(2006・②)、p.55
  3. ^ 秋山敬「武田信虎の生年について」『武田氏研究』第35号、2006年。 
  4. ^ 平山 2019, pp. 18–20.
  5. ^ 廣瀬廣一『武田信玄伝』紙硯社、1944年。 
  6. ^ 平山 2019, pp. 14–17.
  7. ^ 平山(2006)、p.2・①
  8. ^ a b c d e 平山(2007・①)、p.55
  9. ^ a b c 丸島(2007・①)、p.117
  10. ^ 平山(2006)、pp.2 - 3
  11. ^ 平山 2019, p. 82.
  12. ^ 平山(2006)、p.3
  13. ^ a b 平山(2007・①)、p.56
  14. ^ a b c d 平山(2007・①)、p.57
  15. ^ a b 平山(2007・①)、p.58
  16. ^ 平山(2007・①)、pp.58 - 59
  17. ^ a b 平山(2007・①)、p.59
  18. ^ a b c d 丸島(2007・①)、p.118
  19. ^ 平山(2007・①)、pp.59 - 60
  20. ^ a b c d 平山(2007・①)、p.60
  21. ^ a b c d e f 平山(2007・①)、p.62
  22. ^ 平山(2007・①)、p.60 - 61
  23. ^ a b c d 丸島(2006・①)、p.119
  24. ^ 『高白斎記』『王代記』
  25. ^ 丸島(2007・①)、pp.119 - 120
  26. ^ a b c d e 丸島(2007・①)、p.120
  27. ^ a b 平山(2006)p.7
  28. ^ a b 平山(2007・①)、p.62
  29. ^ a b c d e 平山(2006)p.8
  30. ^ 堀内亨「武田氏と富士山」『山梨県史 通史編 2中世』
  31. ^ 平山(2007・①)、pp.62 - 63
  32. ^ 長谷川幸一 著「戦国大名武田氏と曹洞宗-武田信虎による大泉寺開創-」、戦国史研究会編 編『戦国期政治史論集 東国編』岩田書院、2017年、202-205頁。ISBN 978-4-86602-012-9 
  33. ^ a b c d 丸島(2007・①)、p.123
  34. ^ 丸島(2007・①)、p.124
  35. ^ a b 丸島(2007・①)、p.125
  36. ^ a b c 丸島(2007・①)、p.126
  37. ^ 丸島(2007・①)、pp.125 - 126
  38. ^ a b c d e 丸島(2007・①)、p.127
  39. ^ 丸島(2007・①)、p.128
  40. ^ a b c d 平山(2007・①)、p.63
  41. ^ a b 平山(2006)p.9
  42. ^ 平山(2007・①)、p.63 - 64
  43. ^ 平山(2007・①)、p.64
  44. ^ 黒田基樹「享禄元年の徳政令」『山梨県史 通史編2 中世』
  45. ^ a b 政略結婚だったが夫婦は仲が良かったとされる。 結婚の翌年、難産の末に母子ともに死去している。 『勝山記』『山資』6所載による。
  46. ^ 丸島(2007・①)、p.128 - 129
  47. ^ a b c 丸島(2007・①)、p.121
  48. ^ a b 平山(2006)、p.10
  49. ^ a b c d e f 丸島(2007・①)、p.129
  50. ^ a b c d 丸島(2007・①)、p.122
  51. ^ 平山(2006)、p.11
  52. ^ a b c d 丸島(2007・①)、p.130
  53. ^ a b c d e f 丸島(2007・①)、p.131
  54. ^ 『戦武』 - 4012号
  55. ^ a b 平山 2002, p. 129.
  56. ^ 小和田哲男『武田信玄』講談社、1987年。 
  57. ^ 平山 2019, pp. 249–263.
  58. ^ 平山 2019, pp. 354–356.
  59. ^ 大木丈夫「武田信虎悪行伝説の形成について」『武田氏研究』第49号、2013年11月15日、28-45頁。 
  60. ^ a b 平山 2019, pp. 375–379.
  61. ^ 『証如上人日記』
  62. ^ 多聞院日記
  63. ^ a b 言継卿記
  64. ^ 平山 2019, pp. 33–34.
  65. ^ 平山 2019, pp. 368–371.
  66. ^ 『中世・志摩国編年実記(鳥羽市文化財調査委員編纂)』
  67. ^ 平山 2019, pp. 377–379.
  68. ^ 平山 2019, pp. 391–394.
  69. ^ 平山 2019, pp. 399–401.
  70. ^ 『軍鑑』
  71. ^ 平山 2019, pp. 402–407.
  72. ^ 平山 2019, p. 407.
  73. ^ 武田信虎公銅像が完成しました(甲府市観光協会:2018年12月21日、2019年1月5日閲覧)
  74. ^ 甲府開府500年記念事業について - 甲府商工会議所
  75. ^ 信玄の父、武田信虎を映画化 暴君否定し再評価へ”. 産経ニュース (2021年9月25日). 2022年9月13日閲覧。


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雪花の虎」の記事における「武田信虎」の解説

晴信の父。老臣諫言聞き入れず内政取り組もうとしなかったため、晴信に謀られて国外追放され、娘の嫁ぎ先である駿河今川義元の下に身を寄せ隠居の身となる。

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