穴山信懸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 08:10 UTC 版)
穴山 信懸(あなやま のぶとお)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。
注釈
- ^ 生年は嘉吉2年から宝徳2年間に想定されている(秋山 2009)
- ^ 天輪寺殿、官途名は兵部少輔あるいは形部少輔。
- ^ 信懸の母については系図類には記されないが、信懸は山梨市矢坪の永昌院で行われた理関大師13回忌の施主となっていることから(『菊潭集』)、実母であると考えられている。なお、信介には嘉吉元年(1441年)に死去した前室と考えられている松岳寿貞大師がおり、応永33年(1426年)に夭折した嫡男乙若丸がいる。
- ^ 永正10年に信懸を暗殺した清五郎については『勝山記』記事のみに名が見られ、各種武田氏系図類には一切名が記載されていないが、『平塩寺過去帳』には穴山清五郎に比定される可能性のある「清五郎」の名が記載されている。
出典
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