上村頼孝とは? わかりやすく解説

上村頼孝(うえむら よりたか) ????~1567

左衛門大夫 頼吉
◇父:上村頼興 子:上村頼辰
 肥後相良氏臣。兄頼重(晴広)が相良氏家督継いだ為、上村当主となった。しかし、兄が死にその子義陽が継ぐと、これに不満を持った義陽後見していた父頼興が亡くなると、弟頼堅、長蔵と共に謀反起こし(三兄弟の乱)失敗薩摩逃れた。後に許され帰国したが、やがて殺される

上村頼孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/02 19:36 UTC 版)

上村 頼孝(うえむら よりよし/よりたか[1])は、戦国時代武将相良氏の家臣。上村頼興の次男で上村氏14代当主。相良氏17代当主相良晴広は実兄。


  1. ^ 八代日記』では頼孝の名を「頼吉」と充ててあり、『人吉市史 第一巻』、並びに『戦国人名事典 コンパクト版』(新人物往来社ISBN 4-404-01752-9 でも「よりよし」としている。
  2. ^ 現・宮崎県えびの市


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