武田信守とは? わかりやすく解説

武田信守

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/04 07:54 UTC 版)

武田 信守(たけだ のぶもり)は、

  1. 甲斐源氏第15代当主。武田氏12代当主。
  2. 安芸武田氏第3代当主。

武田信守(甲斐武田氏)

 
武田 信守
時代 室町時代中期
生誕 不明
死没 享徳4年5月11日1455年6月25日
別名 弥三郎
戒名 勇山健公
墓所 山梨県甲府市東光寺町能成寺
官位 刑部大輔
幕府 室町幕府 甲斐国守護
氏族 武田氏
父母 父:武田信重、母∶不明
兄弟 信守、穴山信介、金丸光重、曽根基経、曽根賢信
信昌
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武田 信守(たけだ のぶもり)は、室町時代中期の甲斐国守護[1]。甲斐源氏第15代当主。武田氏12代当主。第16代当主・武田信昌の父。通称は弥三郎[1]刑部大輔[1]

武田信重の子[1]

父・信重が宝徳2年(1450年)に没したため家督を継いだ。しかし、実権は守護代跡部氏に握られており、政治面では目立った事跡を残せなかった。

享徳4年(1455年)5月11日、死去[1]法名は勇山健公[1]。号は能浄寺[1]

子の信昌が跡を継いだ。跡部氏の打倒を遺言したというが、定かではない。

旧地が笛吹市八代町に所在する八代の能成寺(現在は山梨県甲府市東光寺町)の開基であり、彼の墓もそこに現存する。

脚注

  1. ^ a b c d e f g 黒板 1933, p. 161.

参考文献

武田信守(安芸武田氏)

 
武田 信守
時代 室町時代前期
生誕 不明
死没 応永25年(1418年4月13日[1]
戒名 光明院殿祐光輝渓大居士[2][1]
官位 従四位下伊豆守[1]安芸守大膳大夫[2]治部少輔[1]
幕府 室町幕府 安芸国佐東郡・山県郡守護
氏族 安芸武田氏
父母 父:武田信在[2][1](または武田氏信
兄弟 信守、弟:信繁(または子)
信繁(または弟)[1]
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武田 信守(たけだ のぶもり)は、安芸武田氏の第3代当主。

安芸武田氏第2代の武田信在より、安芸佐東郡の分郡守護を引き継ぐ。

応永の乱後、幕府足利義満)は安芸国にも大内軍追討を命じ、安芸守護に山名満氏を任じた。しかし、かつて大内氏より与えられていた所領が没収・整理されることを恐れた安芸国人33名は、5か条からなる安芸国人一揆を結んで、山名氏に抵抗した。この際、信守は一揆に理解を示して消極的に協力したが、元守護家であり国人と身分差があったので加判はしていない。ただし、武田氏の有力な一族を含む[3]、安芸武田氏と関係の深い熊谷氏香川氏山県氏温科氏などはこの一揆に加わっている。後に、山名氏の統治が難航しているために幕府が直接介入し、国人討伐の命令を下すと詫びを入れて降伏した[4]。信守が幕府に従ったため、応永19年(1412年)に、新たに安芸山県郡の分郡守護を務めることとなった。

なお、応永13年(1406年)には、信守が吉川氏の分家(石見吉川氏)である吉川経見が、惣領家(本家)の跡を継ぐこと認めており、分郡守護(旧守護)としての影響力が発揮している。

生年・没年とも不明だが、死亡を応永25年(1418年)とする説がある(『武田氏系譜』)[2]。跡を武田信繁が継いだ[注釈 1]

脚注

注釈

  1. ^ 信繁は信守の子とも弟ともされている[2]

出典

  1. ^ a b c d e f 今井尭ほか編 1984, p. 324.
  2. ^ a b c d e 高野 2006, p. 83.
  3. ^ 吉田 2010, p. 18.
  4. ^ 高野 2006, p. 82.

参考文献

外部リンク


武田信守(甲斐武田氏)

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「武田信守」の記事における「武田信守(甲斐武田氏)」の解説

武田 信守(たけだ のぶもり)は、室町時代中期甲斐守護大名甲斐武田氏第15代当主第14代当主武田信重の子第16代当主武田信昌の父。通称弥三郎。 父の信重が宝徳年(1450年)に没したので家督継いだ。しかし、実権守護代跡部氏握られており、政治面では目立った事跡残せぬまま、当主になってわずか5年死去した守護代である跡部氏打倒遺言したというが、定かではない。子の信昌が跡を継いだ旧地笛吹市八代町所在する八代能成寺(現在は山梨県甲府市東光寺町)の開基であり、彼の墓もそこに現存する。 表 話 編 歴 甲斐武田氏当主1450年 - 1455年宗家信義光 信信時 時綱 信宗 信武 信信春 信満 信重 信守 信昌 信縄 信虎 晴信(信玄) 勝頼 信勝千代(信治) 信吉 | 断絶 分家支流 信道系信道 信正 信興 信安 信明 護信 信典 信之 崇信 信任 要子 信安 昌信 邦信 英信

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