飯富道悦とは? わかりやすく解説

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飯富道悦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/04 09:27 UTC 版)

 
飯富道悦
時代 室町時代後期 - 戦国時代
生誕 不明
死没 永正12年10月17日1515年11月22日
戒名 笑岳悦公居士?
主君 武田信虎
氏族 飯富氏甲斐源氏
源四郎、虎昌?、山県昌景?

飯富 道悦(おぶ どうえつ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将甲斐武田氏の家臣。

天沢寺

生涯

戦国時代の甲斐国では守護・武田氏と有力国衆との抗争が繰り広げられたが、『勝山記』によれば、永正12年(1515年)10月17日に武田信虎は西郡の国人である大井信達信業を攻め、大井氏の本拠である富田城[1]を囲んだ[2]。武田方は深田に馬を乗り入れて、道悦・源四郎や今井信房、於曽備州、小山田大和守、甘利衆らが戦死したという[3][4]

道悦は信虎・晴信父子に仕えた飯富虎昌昌景の実父、もしくは近親者とされる[5]。この謀反の際に飯富源四郎という人物も戦死しており、この名は昌景の仮名と一致する[5]。このため、この飯富源四郎が虎昌・昌景兄弟の父親にあたる可能性が指摘される[6]。ただしこの場合、昌景の生年をかなり繰り上げる必要性があり、疑問も残されている。

『一蓮寺過去帳』によれば法名は「宣阿弥陀仏」[7]。山梨県甲斐市亀沢には飯富氏の菩提寺である天沢寺が所在し、『甲斐国志』によればかつて飯富虎昌の位牌が伝来していたという[8]。この位牌には「笑岳悦公居士」と記され、「悦」の一字が共通することから道悦のものであるとも考えられている[9]

脚注

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  1. ^ 南アルプス市戸田。
  2. ^ 『山梨県史 通史編2 中世』p.267
  3. ^ 『山梨県史 通史編2 中世』p.267
  4. ^ 丸島(2015)、p.217
  5. ^ a b 柴辻俊六 著『武田信虎のすべて』新人物往来社、2007年、p.194
  6. ^ 丸島(2015)、p.217
  7. ^ 丸島(2015)、p.217
  8. ^ 丸島(2015)、p.217
  9. ^ 丸島(2015)、p.217

参考文献

書籍
史料
  • 『一蓮寺過去帳』



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