甲斐国の飯富氏とは? わかりやすく解説

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甲斐国の飯富氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 04:00 UTC 版)

飯富氏」の記事における「甲斐国の飯富氏」の解説

戦国時代には甲斐武田氏家臣として飯富氏登場する甲斐守護武田信虎家臣飯富道悦がおり、『勝山記によれば永正12年1519年10月17日信虎西郡国人大井信達攻めた際に子息とみられる源四郎とともに戦死したという。飯富源四郎信虎・晴信(信玄)期の譜代家老である飯富虎昌山県昌景父親にあたると考えられている。 飯富虎昌栗原氏甲斐の有力国人今井氏とともに武田信虎対向したが、享禄4年1531年)の合戦敗退し信虎服従した。虎昌は武田氏臣従信虎・晴信(信玄)期の譜代家老衆となり、信濃侵攻川中島の戦い活躍するまた、虎昌は晴信の嫡男である義信傅役務める。虎昌は永禄8年1565年10月武田家中における義信事件連座して切腹している(高野山成慶院甲斐国供養帳』)。 虎昌の弟である山県昌景山県氏名蹟継ぎ信玄・勝頼期の譜代家老として存在している。虎昌の子とされる人物飯富がおり、『高白斎記によれば天文20年1551年11月22日村上義清方の坂木番手衆の東条某を討ち取ったという。永禄2年1559年)の相模国後北条氏分限帳小田原衆所領役帳』には他国衆として武田家臣である小山田氏向山氏とともに飯富左京亮」の名が記されている。飯富左京亮は稲後身であると考えられており、後北条氏との取次務めていることが確認されるその他の飯富一族義信事件契機史料上からは見られない

※この「甲斐国の飯富氏」の解説は、「飯富氏」の解説の一部です。
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