甲斐国の鵜飼と起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/12 21:36 UTC 版)
日本列島における鵜飼の歴史は古く、古代中国の歴史書『隋書』に記されているほか、日本の歴史書では『古事記』『日本書紀』にも登場する。東日本では群馬県高崎市に分布する5世紀後半代の保渡田古墳群から出土した鵜形埴輪があり、古墳時代には儀式・行事としての鵜飼が行われていたとも考えられている。 甲斐国(現在の山梨県)において、古代・中世の笛吹川での鵜飼を記す記録は少ないが、江戸時代の伝承に拠れば、石和で鵜飼が始まったのは800年前の平安時代からとされている。考古学的には甲府市川田町に所在する外中代遺跡から出土している暗門絵画土器が注目される。外中代遺跡は古墳時代から平安時代の集落遺跡で、周辺には桜井畑遺跡や川田遺跡群、大坪遺跡など古墳時代から奈良・平安時代の遺跡が数多く分布する。石和鵜飼が行われた笛吹川にも近く、暗門絵画土器には魚をくわえた鳥の姿が連続して描かれており、鵜飼を描いているとも考えられている。 甲斐国における鵜飼は笛吹川における石和鵜飼のほか、江戸時代(19世紀)の『甲斐名所寿古六』に描かれる「忘川」の鵜飼や、『甲州道中図屏風』に描かれる桂川の鵜飼が知られる。「忘川」の指す河川は諸説あるが荒川を指すとする説があり、『甲斐名所寿古六』では日本各地の鵜飼において一般的な漁師が船へ乗り込み鵜飼を行う「船鵜飼」として描かれている。対して石和鵜飼は漁師が直接川へ入る「徒歩(かち)鵜飼」と呼ばれる類例の少ない鵜飼である。幕末期の成立であると考えられている『甲州道中図屏風』に載る桂川の鵜飼も徒歩鵜飼として描かれている。
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