1989年〜1997年 ルノーとの黄金期とは? わかりやすく解説

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1989年〜1997年 ルノーとの黄金期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 18:13 UTC 版)

ウィリアムズF1」の記事における「1989年〜1997年 ルノーとの黄金期」の解説

1989年ターボ禁止NA統一導入されるルノー契約しマシンエンジン英仏共同開発路線整えた。ルノーエンジンとのマッチング上手くいったため、ジャッドとは比較ならない程の戦闘力高まりマンセル後任となったティエリー・ブーツェンカナダGPでは当時最遅初優勝記録という形で優勝最終戦も彼が制しシーズンで計2勝を挙げた1990年にはリカルド・パトレーゼサンマリノGP久々優勝をし、ブーツェンもハンガリーGPポール・トゥ・ウィン果たしたシーズン途中にはレイトンハウスから前衛的な空力設計エイドリアン・ニューウェイ加入堅実な性格ヘッドとの異な個性融合したFW14生み出されるマンセル復帰した1991年序盤セミオートマチックトランスミッショントラブル多発その後マクラーレン急追するも、チームミスなどが祟りタイトル逃した1992年アクティブサスペンショントラクションコントロール搭載したハイテクマシン、FW14Bが他チーム圧倒する速さで計10勝を挙げマンセルと共にダブルタイトルを獲得した。しかし、マンセルチームとの契約更新を巡る関係悪化から突如F1引退表明(後にアメリカCART転向)、パトレーゼもチーム方針に対して嫌気差しベネトン移籍した1993年はFW14Bの正常進化形であるFW15Cを投入1年間休養から復帰したアラン・プロストと、テストドライバーから昇格したデイモン・ヒルコンビ組んだ前年チャンピオン不在のためカーナンバーは"0"と"2"となるが、プロストフランス語無能示唆する"0"ではなく"2"を選んだプロスト4度目タイトル獲得最後に現役引退しヒル後半戦にかけて初優勝をふくむ3勝を挙げたウィリアムズ1992年から1993年にかけて24連続ポールポジションという記録残しF1マシン電子制御進化牽引した。このシーズン持ってメインスポンサーだったキヤノン、およびキャメルとの関係が終了1985年から使われていた「青・黄・白・赤」のカラーリング見納めになった1994年ロスマンズ新たにメインスポンサーとなり、ウィリアムズ入り熱望していたアイルトン・セナ加入したシーズン開幕前からこの組み合わせチャンピオン決定しているとさえ言われたが、ハイテクデバイス禁止受けてデザインされたFW16は極端に不安定な特性をもち、ベネトンミハエル・シューマッハ開幕連勝を許す。さらに第3サンマリノGPではセナがタンブレロコーナーのコンクリートウォールに激突帰らぬ人となった(この事故以降ウィリアムズマシンにはセナSマーク刻まれている)。イタリア検察過失致死疑いチーム首脳告訴し以後10年以上に渡り裁判が続くことになる(2005年全員無罪確定)。セナ後任にはテストドライバーデビッド・クルサード昇格したが、CART合間を縫ってマンセルスポット参戦した突如としてエース重責を負うことになったヒルは、シューマッハ失格出場停止となる間にポイント差を縮め最終戦オーストラリアGPでの直接対決持ち込んだが、シューマッハとの接触により涙を呑んだコンストラクターズ3連覇達成)。 1995年ベネトンもルノーエンジンを獲得し、同エンジンでの対決注目された。予選速さにおいてはベネトン上回っていたが、シューマッハロス・ブラウン作戦翻弄されたり、チームドライバーミスFW17信頼性に難があったことなどが災いしベネトンシューマッハにダブルタイトルを奪われる結果に終わる。ヒルは「ウィリアムズは勝つ為なら手段を選ばないチームではなかった」「ベネトン実質的にミハエル・シューマッハーのワンマンチームだから、彼を徹底的にマークすれば当然勝機は増す。でもウイリアムズそう言う戦い方選ばない矜持持っていた」と当時語っている。またこの年以って1978年以来ディドコットからグローブ本拠移転している。 1996年マクラーレン移籍したクルサード代わりCARTチャンピオンジャック・ヴィルヌーヴ加入しヒル二世ドライバーコンビを組む。ヴィルヌーヴデビュー戦からポールポジション獲得しあわや優勝と言う電撃的デビューを飾る。FW18が1612勝を挙げるほど他チーム圧倒する戦闘力誇ったこともあり、チャンピオン争いヒルヴィルヌーヴ一騎打ちとなる。最終戦日本GPヒル史上初の親子二代チャンピオン決定する契約延長交渉決裂マンセル同様にチャンピオンチームを去ることになった。そしてこの一件ニューウェイ堪忍袋の緒が切れる最後一押しとなってしまい(これに関する事前の相談もなかった)、後述理由もあり、ニューウェイマクラーレンへの移籍決断することとなった。 このヒル解雇劇についてあまり語られておらず、本人当時はこの件について語りたくないと沈黙し後年インタビューいくつか語ったものの、詳細不明である。これに関して書かれ当時記事の内容では、契約金交渉が行われていないことからウィリアムズヒル放出内定している可能性があり、ヒル大きく譲歩しない残留難し考えられており、当時ストーブリーグの噂でもヒル1997年ウィリアムズ残留できるか怪しいという見解占めていた。また、ウィリアムズから見れば1994年1995年ヒルがドライバーズタイトル獲得可能性があったにもかかわらずミハエル・シューマッハ敗れ結果になったことから今年度見切りをつけることにしたという見方もあった。他にもフレンツェンの起用に関しては、フジテレビ1996年F1総集編にて将来エンジン獲得有利なドライバーとしてフレンツェンを起用するというコメントナレーション語られたことや1994年セナチーム対し1995年ドライバーとしてフレンツェンの起用提案していたという噂があり、チームはそれをここにきて実現することを選んだという考察挙げている(1996年時点では一連のウィリアムズ動きからBMW将来的参戦するのではという噂話とどまっており、BMWウィリアムズエンジン供給契約締結とその期間が2000年から長期契約であることが発表されたのは1997年9月になってからである)。 この時期出来事について後年インタビューいくつか語られており、ヒルに関しては、1997年契約がないことについてチームから詳細な説明はなかったと語りヒル自身契約金に関して弁護士に任せていたため、契約金に関する問題に関して自身の関わっていなかったとコメント。むしろ、この年1996年)の好成績は(ヒル放出する予定であったウィリアムズ側にとっては予想外行き詰まってしまったのだろうと語っている。フランクは、ニューウェイチーム株式保有に関して難色示したことが結果的にニューウェイ離脱招いたとして自分ミスだったとも認めている。ただし、ニューウェイチーム側がドライバー人事に関する約束を守らなかったことを挙げている。その背景には1992年チームマンセルを巡る一連の出来事を受け、それ以降ドライバー選択に関して自分意見取り入れることを条件契約延長していた。しかし、1996年ドライバー選択でもテスト走行結果見切るはずだったヴィルヌーヴ起用し、さらに、個人的に親しかったヒル放出して1997年はフレンツェンを獲得する事後報告されたため、そのやり方嫌気がさし、チームこれ以上留まらないことを決断した。そんな時期にメルセデスエンジンの開発担当するイルモア代表者マリオ・イリエンマーチ時代友人)から、メルセデスエンジンを搭載するマクラーレンへの加入誘われた、と語っている。一方でヘッドニューウェイマクラーレン代表のロン・デニス交渉していることを示唆する書類を偶然目にし、その交渉内容チーム応じられない内容であることが判明。それで半ば諦めた語っている。 どのような経緯があったとしても、後年フランク・ウィリアムズ自身が「ヒル放出」を「あれは大きな失敗だったな」と認めるほどであり、FW19での活躍最後にBMWのワークスエンジンを得るまで一旦チーム低迷期に入ることとなる。 翌1997年ヒル替わりハインツ・ハラルド・フレンツェン加入。だが、ニューウェイ最後の仕事としてFW19の完成見届ける同時に出社拒否。そのため、チームとの間で法廷闘争にまで発展チーム内の混乱はあったが、FW19が依然優位というのが大方の予想であった。ところが、ヒルニューウェイといったマシン精通した人材一時的に穴が開いてしまったことにより、マシンセッティング苦慮しチーム戦略ミスなどもあって、ヴィルヌーブフェラーリシューマッハ激しタイトル争いとなった最終戦ヨーロッパGP直接対決では、シューマッハとの接触乗り切ったヴィルヌーヴチャンピオン獲得し、コンストラクターズタイトルも制した。このシーズンをもってルノー予定通りF1から撤退9年間に渡る蜜月関係ピリオド打たれた。

※この「1989年〜1997年 ルノーとの黄金期」の解説は、「ウィリアムズF1」の解説の一部です。
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