運輸省による割当
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 07:34 UTC 版)
戦後の私鉄各社は第二次世界大戦中の酷使や戦災の結果多数の電車が損耗し、私鉄および軌道事業者における戦災等による被災車は2133両と国鉄の被災車542両を大きく上回っており、一方で買出し客を中心に輸送需要が増加したことで、著しい輸送力不足となっていた。 そのため、運輸省は戦後発注した600両の電車のうち、1946年度分の中から約120両を63系が入線可能と思われる私鉄に割当て、その分の中小型車を割当てた会社から地方中小私鉄に譲渡させる制度を設け、その際の譲渡価格の算定式なども定められていた。割当て先は鉄道軌道統制会(1945年12月に解散し、同月に日本鉄道協会として再発足)が検討・審査を行い、東武鉄道、東京急行電鉄(小田原線・江ノ島線→現・小田急電鉄、厚木線→現・相模鉄道)、名古屋鉄道、近畿日本鉄道(南海線→現・南海電気鉄道)、山陽電気鉄道の5社に対し1948年までに合計120両が供給された。一方、京阪神急行電鉄と西武農業鉄道(→現・西武鉄道)は割当てを辞退している(西武には割当てにより2両(モハ63092、モハ63094)入線したが、何らかの障害があったらしく、モハ50012、モハ50118と交換した)。 割当てられた63系は、運輸省が国鉄分も含め一括発注した中から各私鉄に割当てたため、4両(東武・東急各2両)を除き省番号を持ち、実際に車体へ記入されたものも存在するが、省に車籍編入されたことはない。 「国鉄72系電車の新旧番号対照#モハ63形私鉄割当車番号」も参照 東武鉄道 40両が割当てられて6300系となり、代わりに上信電気鉄道、上毛電気鉄道、新潟交通、長野電鉄、高松琴平電鉄、上田丸子電鉄に車両が供出されている。その後名古屋鉄道から14両を譲受した。1952年に7300系と改称。1959年以降、新造車体への載替え改造を実施した。 詳細は「東武7300系電車」を参照 東京急行電鉄 20両が割当てられて1800形となり、小田原線・江ノ島線に8両、厚木線に12両が投入されて、代わりに東京急行電鉄各線の車両の中から庄内交通、京福電気鉄道、日立電鉄、静岡鉄道、高松琴平電鉄に車両が供出されている。1947年の東急の経営委託解除の際に6両は小田原線に移動したが残る6両が相模鉄道の所有となって1951年に改番されて3000系となり、その後1964-66年に車体更新を実施して3010系となった。小田急電鉄では、1948年に名古屋鉄道から譲受した6両を編入し、その後1957年以降に車体更新を実施した。 詳細は「小田急1800形電車」および「相鉄3000系電車」を参照 名古屋鉄道 20両が割当てられて3700系(初代)となり、代わりに野上電気鉄道、熊本電気鉄道、山陰中央鉄道、尾道鉄道、蒲原鉄道に車両が供出された。しかし、名古屋本線に当時存在した急カーブ(枇杷島橋梁付近)が通過できず、運行可能な区間に制約(栄生以東に限定)があったため十分に活用できなかった。そのため、従来車の車両限界に合わせた運輸省規格型車両である3800系(割当て20両、その後1954年まで増備して計71両となる)の割当てを受け、3700系は1948年に東武鉄道へ14両、小田急電鉄へ6両譲渡された。なお、名古屋鉄道が独自に20 m4扉車を導入したのは1979年(地下鉄直通車の100系)である。 詳細は「名鉄3700系電車 (初代)」を参照 近畿日本鉄道 20両が割当てられ、モハ1501形となり、代わりに福井鉄道と淡路鉄道に車両が供出された。1947年5月から、南海電気鉄道分離独立(1947年6月)後の1948年6月にかけて全車が南海本線に配置され、同社の所有となった。全車が近畿車輛製の制御電動車で、南海の戦前の車両と同じ2連または3連の球形白色ガラスの灯具を持つ車内灯を装備し、ベンチレーターをガーランド型2列とするなどの仕様となった。架線電圧が600 Vであり、また在来車との混用の必要性から、主制御器はCS5ではなくALF単位スイッチ制御器を装備した。1959年以降、一部が制御車に改造され、使用機器は1521系とED5201形電気機関車に引継がれている。1968年までに全廃された。 詳細は「南海1501形電車」を参照 山陽電気鉄道 20両が割当てられ、代わりに高松琴平電鉄に車両が供出された。63系唯一の標準軌仕様。初期車6両は剥き出しの天井のままであったが、それ以降の14両は天井にジュラルミン板を張って納入され、原番号が63800番台であったことから800形800 - 819となった(当初は63800形であったとする説がある)。当時の山陽電鉄には神戸市内に併用軌道区間があり、本形式も1968年の神戸高速鉄道開業まで道路上を走行した。20 m級の電車が併用軌道を走行した数少ない事例であった。1957年の西代車庫火災による焼損をきっかけとして、車体を新造した2700系への更新、もしくはその構体を生かしたままでの更新改造を実施したが、いずれも全車が廃車されている。 詳細は「山陽電気鉄道700形電車」を参照 私鉄各社への影響 上記の私鉄各社のうち、63系導入以前から同等の電車を運用していたのは南海線と、戦中・戦後に20 m級国鉄電車の借入れがあった東京急行電鉄小田原線のみで、それ以外の私鉄の中には導入にあたり、カーブ半径の緩和、プラットホーム幅削減や障害物撤去、架線電圧の昇圧、あるいは変電所の増強など工事によって63系を走行させる条件を整えた会社もあり、その結果、著しく輸送力が増強された。東武鉄道では、1953年から1961年にかけて63系(7300系)同様の4ドア20 m車体の7800系(当初7330系)164両を導入して高度経済成長初期の通勤輸送の主力とし、以後主力通勤電車は20 m4ドア車体が基本となった。このほか、63系割当ではじめて20 m級電車を本格導入した相鉄と、戦前から20 m級電車を運用してきた南海、戦時中に20 m国電が入線していた小田急でも1960年代以降本格的に20 m4扉車体の通勤電車を主力としたが、いずれも20 m級電車に対応した車両限界となっていたので、導入障壁は低かった。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}63系電車の私鉄割当てはラッシュ輸送における「扉数の多い大型電車」の優位性を各鉄道会社に認識させるきっかけとなったと言える[要出典]。20 m・片側4扉構造の車体は、国鉄のみならず大手私鉄通勤電車の標準構造となっている[要出典]。 なお、その後私鉄各社の車両増備には運輸省規格形電車の新造・導入が認められるようになり、63系の割当てはこの120両で終了となった。運輸省規格形電車は1947年に運輸省が「私鉄郊外電車設計要項」に基づき日本鉄道協会に規格を制定させたもので、63系の導入を辞退した京阪神急行電鉄なども運輸省規格形電車が導入したほか、63系を導入した東武鉄道、東京急行電鉄(小田急)、名古屋鉄道、山陽電気鉄道でもこれを導入している。
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