淡路鉄道
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淡路鉄道(あわじてつどう)は、かつて兵庫県淡路島において鉄道路線を運営していた鉄道事業者である[2][3]。
出典
- ^ 江本 (1960) による。標高は施工基準面
- ^ a b c d [『淡路島みなとの歴史』(2014年5月 兵庫県港湾協会)]
- ^ 幻の淡路鉄道 16ミリフィルム発見、上映
- ^ a b c “島に列車走った44年間”. 読売新聞兵庫版. (2014年1月6日). オリジナルの2014年2月1日時点におけるアーカイブ。 2015年12月10日閲覧。
- ^ 江本 (1960) による
- ^ 鉄道ファンNo.457"島の鉄道 淡路交通回想"より
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1912年10月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 江本 (1960) では1914年6月
- ^ 1925年7月1日「地方鉄道駅名改称」『官報』1925年7月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1922年12月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 江本 (1960) では1922年11月21日
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年11月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始並営業哩程変更」『官報』1925年5月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年6月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 神戸新聞1966年9月30日付
- ^ 澤内一晃「南海の二軸客車」『鉄道ピクトリアル』No.835
- ^ 1998年時点「島の鉄道 淡路交通回想」III」、101頁
- ^ 中川浩一「私鉄高速電車発達史」『鉄道ピクトリアル』No.218、40頁
- ^ 藤井信夫「淡路交通」『鉄道ピクトリアル』No.262、64-65頁
- ^ 橋本英樹・近藤是・白井昭「12号蒸気機関車 (PDF) 」(中部産業遺産研究会シンポジウム資料、2004年)P8。
- ^ 淡路鉄道の映像上映 勇姿再び 横浜の博物館 - 神戸新聞NEXT2015年3月6日
- ^ Dr.Drive洲本駅前SS 宝扇商事(株) - ENEOS - 2022年5月11日閲覧
- ^ 下内膳遺跡
- ^ 藤井信夫 鉄道ピクトリアル失われた鉄道・軌道を訪ねて「淡路交通」(1972-2 p166)
注記
- ^ a b 山添駅は廃線までに廃止されている
- ^ 鉄道法規によらない産業用の軌道(21世紀にも現存する屋久島の安房森林軌道や、1983年まで運行された南大東島のサトウキビ軌道など)は離島にも存在するほか、第二次世界大戦終結まではこのほかに沖縄県(沖縄本島など。通常の粘着走行方式外では、2003年に開業した沖縄都市モノレール線がある。→沖縄県の鉄道を参照)や、外地と呼ばれた太平洋戦争前の日本領である台湾・樺太に例がある。
- ^ 先山 - 二本松区間廃止時は先山 - 二本松は桑間交差点経由で運行されていたためルートは異なる。県病前 - 先山も市内線路線廃止前に区間廃止されている。
- ^ 「西淡・湊・市線」とはルートは異なる。
- ^ 2006年(平成18年)10月1日以降、下加茂は2013年4月30日まで県病前
- ^ 官報では福良町について「同縣同郡福良町」と記載されているが、当時の福良町は津名郡ではなく三原郡である。なお『鉄道省文書』収録の官報掲載案では当該箇所に二重線が引かれ三原郡に訂正されている(No1「軽便鉄道敷設の件」3頁『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便・淡路鉄道・大正元年 - 大正五年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可))
- ^ 木炭自動車が多用されたのと同様の理由による。最初に改造されたのはキハニ5号であるが、特に勾配区間での出力低下が著しく、23.4km全線をガソリン燃料車なら40分30秒で走れるところ、木炭車は46分30秒を要したという。 湯口徹『内燃動車発達史(下巻)』ネコ・パブリッシング、2005年7月30日 発行、p251頁。ISBN 4-7770-5118-8。
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