総括電報
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3月7日、栗林は最後の戦訓電報(戦闘状況を大本営に報告する一連の電報)である総括電報「膽参電第三五一号」を発する。名義は膽部隊長(第109師団長栗林)で、宛先は参謀次長(参謀本部:大本営陸軍部)と、栗林中将の陸軍大学校時代の兵学教官である恩師・蓮沼蕃陸軍大将(当時、帝国最後の侍従武官長)であった(「参謀次長宛膽部隊長蓮沼侍従武官長ニ伝ヘラレ度」「以上多少申訳的ノ所モアルモ小官ノ率直ナル所見ナリ 何卒御笑覧下サレ度 終リニ臨ミ年釆ノ御懇情ヲ深謝スルト共二閣下ノ御武運長久ヲ祈リ奉ル」)。 後の作戦立案などに生かすため参謀本部(大本営陸軍部)に送る戦訓電報を、畑違いである蓮沼侍従武官長にも宛てた理由としては、栗林が強く訴えている陸海軍統帥一元化と海軍批判が黙殺されることを危惧したためであり、また、栗林が硫黄島で展開した一連の防衛戦術は、栗林が陸大学生時代に蓮沼教官から教わったものを基本としていることによる(「硫黄島ノ防備就中戦闘指導ハ陸大以来閣下ノ御教導ノ精神ニ基クモノ多シ 小官ノ所見何卒御批判ヲ乞フ」)。 防衛計画段階において海軍側が水際防御と飛行場確保に終始こだわったこと(地下陣地の構築と海軍の反対) アメリカ軍上陸時に栗林が厳禁としていた上陸用舟艇・艦艇への砲撃を海軍の海岸砲が行った結果(防衛戦術)、摺鉢山の火砲陣地を露呈させてしまい全滅したこと(アメリカ軍の上陸) 海軍が摺鉢山に危険な魚雷庫を配置した結果、先述の砲撃により誘爆を起こし大爆発し周辺兵員を死傷させたばかりか、爆発時に空いた大孔によりアメリカ軍に突破口を与えてしまい摺鉢山の早期陥落につながったこと(摺鉢山の戦い) 特に海軍側の数多い大失態の例として以上の3例があり、以下の「膽参電第三五一号」の原文の太字は陣地構築および戦闘中における海軍の不手際や無能・無策の批判となる。なお、栗林はこのように海軍側および中央を猛烈に批判しているが、栗林自体は軍人を目指す弟に対し陸士ではなく海兵受験を薦めるなど海軍嫌いというわけではない。 一 現代艦砲ノ威力二対シテハ 「パイプ」山地区ハ最初ヨリ之ヲ棄テ水際陣地施設設備モ最小限トシ 又主陣地ハ飛行場ノ掩護二拘泥スルゴトナク 更二後退シテ選定スルヲ可トス(本件因ツテ来ル所海軍側ノ希望二聴従セシ嫌アリ) 二 主陣地ノ拠点的施設ハ 尚徹底的ナラシムルヲ要ス其ノ然ルヲ得サリシハ 前項水際陣地ニ多大ノ資材、兵力、日子ヲ徒ニ徒費シタルカ為ナリ 三 主陣地二於テ陣前撃滅ノ企図ハ不可ナリ数線ノ面的陣地二夫々固有部隊ヲ配置スル縦深的抵抗地区ヲ要ス 四 本格的防備二着手セシハ昨年六月以降ナリシモ 資材ノ入手困難、土質工事不適当、空襲ノ連続等二依リ 工事ノ進捗予期ノ如クナラサリシ 実情ナリ又兵力逐次増加セラレシ為兵カ部署ハ彌縫的トナリシ怨ミアリ 五 海軍ノ兵員ハ陸軍ノ過半数ナリシモ 其ノ陸上戦闘能力ハ全く信頼ニ足ラサリシヲ以テ陸戦隊如キハ解隊ノ上陸軍兵力ニ振リ向クルヲ可トス 尚本島ニ対シ海軍の投入セシ物量ハ陸軍ヨリ遥カニ多量ナリシモ之カ戦力化ハ極メテ不充分ナリシノミナラス 戦闘上有害ノ施設スラ実施スル傾向アリシニ鑑ミ陸軍ニ於テ之カ干渉指導の要アリ 之カ陸海軍ノ縄張的主義ヲ一掃シ両者ヲ一元的ナラシムルヲ根本問題トス 六 絶対制海、制空権下ニ於ケル上陸阻止ハ不可能ナルヲ以テ 敵ノ上陸ニハ深ク介意セス専ラ地上防禦ニ重キヲ置キ配備スルヲ要ス 七 敵ノ南海岸上陸直後並二北飛行場二突破楔入時 攻勢転移ノ機会アリシヤニ観ラルルモ 当時海空ヨリノ砲撃、銃撃極メテ熾烈ニシテ自滅ヲ覚悟セサル限リ不可能ナリシカ実情ナリ 八 防備上最モ困難ナリシハ 全島殆ト平坦ニシテ地形上ノ拠点ナク且飛行場ノ位置設備カ敵ノ前進楔入ヲ容易ナラシメタルコトナリ 殊ニ使用飛行機モ無キニ拘ラス敵ノ上陸企図濃厚トナリシ時機二至リ 中央海軍側ノ指令ニヨリ第一、第二飛行場ノ拡張ノ為 兵カヲ此ノ作業二吸引セラレシノミナラス 陣地ヲ益々弱化セシメタルハ遺憾ノ極ミナリ 九 防備上更二致命的ナリシハ 彼我物量ノ差余リニモ懸絶シアリシコトニシテ結局戦術モ対策モ施ス余地ナカリシコトナリ 特二数十隻ヨリノ間断ナキ艦砲射撃並ニ 一日延一六〇〇機ニモ達セシコトアル敵機ノ銃爆撃二依リ 我カ方ノ損害続出セシハ痛恨ノ至リナリ
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