総括的な特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 08:00 UTC 版)
演じる内容について、高校演劇と「大人の演劇」を区別する基準はない。異なる部分は、演者が高校生であるか大人であるかだけである。しかしながら、高校生活は3年間しかなく、大会を勝ち上がることに目標が置かれることもあり、商業演劇や小劇場演劇と異なる「特殊性」を持つことがある。劇作家・演出家である平田オリザは、高校演劇について「(大会で)負けたら終わり」であることが一番の特殊性であると述べている。1つの作品を何度も上演できる商業演劇・小劇場演劇に対してと、大会で「敗退」してしまえば1年に1度きりの上演となってしまう高校演劇の作品へ対しての、それぞれの作り手がかける思いの違いがあることが伺える。 また、高校演劇出身者である中屋敷法仁は、高校演劇を「絶対に二度とできない」と表現し、そこに存在するアマチュアリズムと、高校生だけが持ち、大人が得ることができない思想・肉体を通した表現が一番の特徴であると述べている。他にロロの三浦直之は「(演劇部員は)大学で演劇サークルに入るかもしれないけど、その後も(演劇を)続けていこうと考えている子はそんなに多くない」と述べて、その独自性を指摘している。 一方で高校演劇に対する風当たりもある。特に「高校演劇は稚拙である」というイメージである。劇作家・演出家・俳優であり高校教員でもある畑澤聖悟は「『高校演劇みたいな芝居だ』というような言い方をする人がいるように、高校演劇というものが不遇に扱われてしまっている」と述べている。また自身が「高校演劇差別」と呼ぶような、大人・一般人からの偏見があることも述べている。畑澤は、本来演劇作品は作り手の違いで作品内容が評価されるべきではないのにかかわらず、高校演劇が貶められていることに対し懸念を示している。実際に演劇人の中で高校演劇出身者を「マルコー(高の字を○で囲む表記)」と呼び見下す文化は古くから存在している。事実、高校演劇出身者の横内謙介は「プロになりたければ、高校演劇出身であることは隠せと言われた」と語っている。
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