米基地航空隊の空襲
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「ミッドウェー海戦」の記事における「米基地航空隊の空襲」の解説
日本軍空襲隊(友永隊)がミッドウェー島を攻撃していた頃、南雲機動部隊は「0400に至り敵第一次攻撃あり、その後0730頃迄殆ど連続執拗なる敵機の襲撃を受ける」というようにアメリカ軍機の継続的な空襲に悩まされていた。午前4時5分(07:05)、重巡洋艦利根はアメリカ軍重爆撃機10機を発見する。アメリカ軍攻撃隊の正体は、ミッドウェー基地から発進したTBFアベンジャー雷撃機6機(フィバリング大尉)と、爆弾の代わりに航空魚雷を抱えたB-26マローダー双発爆撃機4機(コリンズ大尉機)だった。シマード大佐(ミッドウェー司令官)が友永隊の迎撃に全戦闘機を投入してしまったため、彼らは戦闘機の護衛なしに進撃してきたのである。赤城と利根が発砲し、直掩の零戦10機が迎撃する。アベンジャー6機のうち3機は直掩機により撃墜され、残り2機も投下後に撃墜、アーネスト中尉機だけが生還した。赤城はアメリカ軍の魚雷を全て回避した。被害は機銃掃射で赤城三番高角砲が旋回不能(30分後に修理完了)、砲員に負傷者が出たほか、両舷送信用空中線が使用不能となり、赤城(旗艦)の通信能力に支障が生じた。赤城を狙ったB-26隊は魚雷2-3本命中を主張しているが、実際には回避されている。B-26は2機が撃墜され、生還した2機もひどく損傷して放棄された。 ミッドウェー基地から発進したアメリカ軍陸上機による空襲は、ミッドウェー島の基地戦力が健在である証拠であった。友永隊の報告をふまえ、南雲中将はミッドウェー島基地への再空襲を決定する。近藤信竹中将の率いるミッドウェー攻略部隊(第二艦隊)の上陸開始は6月7日と決定されている。それまでにアメリカ軍基地航空戦力を壊滅させなくてはならなかったからである。午前4時15分(07:15)、南雲司令部は各艦で待機中の攻撃隊に対し、「本日航空機による攻撃を実施する為第二次攻撃隊を編成せよ。兵装は爆装に転換(0415通達、第二次攻撃隊本日実施、待機攻撃隊爆装に換え)」と通知し、陸上攻撃用爆弾への換装を命じた。アメリカの研究調査によれば第二航空戦隊(飛龍、蒼龍)に対しては特に兵装転換の指示は出されず、爆装しない状態で待機中だったとの意見もある(但しどの記録資料か、誰の研究かについては明記がない)。海戦前に飛龍で行われた実験では、魚雷から爆弾への転換に1時間半から2時間かかっている。燃料補給と弾薬補給を求める直掩戦闘機が着艦するため飛行甲板を開けねばならず、兵装転換作業は各空母格納庫で行われた。 その頃、アメリカ海軍第17任務部隊の指揮官フレッチャー少将は、ミッドウェー基地航空隊の活躍によって南雲機動部隊の位置をほぼ特定することに成功し、攻撃するタイミングをうかがっていた。午前3時7分(06:07)、フレッチャー少将はスプルーアンス少将に「南西に進み、敵空母を確認せば、それを攻撃せよ」と命じ、これを受けたスプルーアンス少将は午前4時(07:00)過ぎに攻撃隊発進を命令、第16任務部隊は次からなる117機の攻撃隊を発進させた。 空母エンタープライズF4F戦闘機10機(VF-6、指揮官:ジェームズ・グレイ大尉) SBD爆撃機33機(指揮官:第6航空群司令クラレンス・マクラスキー少佐、VB-6、指揮官:リチャード・ベスト大尉、VS-6、指揮官:ウィルマー・ギャラハー大尉) TBD雷撃機14機(VT-6、指揮官:ユージン・リンゼー少佐) 空母ホーネットF4F戦闘機10機(VF-8、指揮官:サミュエル・ミッチェル少佐) SBD爆撃機35機(VB-8、指揮官:ロバート・ジョンソン少佐、VS-8、指揮官:ウォルター・ローディ少佐) TBD雷撃機15機(VT-8、指揮官:ジョン・ウォルドロン少佐) しかし午前4時28分(7:28)に日本軍の偵察機が艦隊上空に現れたことから、スプルーアンス少将は全機を飛行甲板に並べて一気に発艦させるのを待たず、出撃準備ができた飛行隊から逐次発艦、攻撃に向かわせた。中には戦闘機隊の護衛なしの攻撃隊もあったものの、結果的に、このスプルーアンス少将の決断が勝因の一つになる。 また、日本軍の空母4隻全ての所在を確認した第17任務部隊(フレッチャー少将)も、警戒のために出していた偵察機(当日はヨークタウンが警戒担当)の収容を終えた後の午前5時30分(8:30)に、次からなる35機の攻撃隊を発進させた。 空母ヨークタウンF4F戦闘機6機(VF-3、指揮官:ジョン・サッチ少佐) SBD爆撃機17機(VB-3、指揮官:マクスウェル・レスリー少佐) TBD雷撃機12機(VT-3、指揮官:ランス・マッセイ少佐) ヨークタウンは(09:05)に攻撃隊を発進させると、すぐにウォリー・ショート大尉のSBD爆撃機17機(VS-5)、戦闘機6を甲板に並べ、発進準備を行った。また米潜水艦ノーチラスは日本戦艦を雷撃したあと、午前6時10分(09:10)に「敵巡洋艦(駆逐艦嵐)を雷撃するも命中せず、爆雷6発で攻撃される」と日誌に記録したが、誰にも報告しなかった。 午前4時28分(7:28)、利根の4号機(機長は偵察員の甘利洋司 一等飛行兵曹、操縦員は鴨池源 一等飛行兵、電信員は内山博 一等飛行兵)は赤城の南雲機動部隊司令部に対して「敵らしきもの10隻見ゆ、ミッドウェーより方位10度、240浬 (南雲機動部隊から200浬)」と発信した。草鹿参謀長によれば、利根4号機の報告を南雲司令部のある赤城が受信したのは午前5時(08:00)ちょうどと述べている。一方、戦闘詳報(功績調査用に書き直されたもの)では、午前4時45分(7:45)に魚雷から陸用爆弾への兵装転換を一時中断したとあり、南雲司令部は発信から約10分後に受信したという意見もある。この位置報告はずれており、実際の米艦隊の位置は160kmも南であった。新規に搭載した機体であったため、コンパスの自差修正ができず、コンパスに10度のずれがあった為という意見もある。この位置情報の錯誤は南雲の判断に極めて重大な影響を及ぼした。一航艦航空参謀吉岡少佐によれば、この報告を受けた際の南雲司令部は特に動揺もなく平静だったという。しかし発着指揮所から様子を聞いていた淵田中佐によれば、予期せぬ米艦隊発見報告に南雲司令部は興奮していたという。利根機の報告を受け、参謀長の草鹿龍之介少将は、敵空母が付近にいると感じたものの「敵らしき」だけでは命令の変更には不十分であり、「艦種知らせ」と指示した。しかし利根4号機は鈍足の零式水上偵察機であり、敵が空母であれば直掩機もいるので敵への接近は容易ではなかった。また、利根4号機からの電報を受ける前、あるいは受けた直後、第二航空戦隊司令官山口多聞少将が「本朝来種々の敵機来襲にかんがみ、敵機動部隊出撃の算あり。考慮せられたし」という信号文を赤城に送ったという主張もある。午前4時47分(07:47)、南雲司令部は「艦種を確かめ触接せよ」と利根4号機に命令した(これについて日本軍戦闘詳報とミッドウェー時間は約21時間ずれているので、ミッドウェー現地時間6月4日午前8時は日本軍記録6月5日午前5時となり、両軍の戦闘レポート(戦闘詳報)に記入された日付時刻が異なることは、ミッドウェー海戦の研究を混乱させることがある)。 なお、利根の4号機が米艦隊の位置を報告する前、筑摩1号機(機長:黒田信大尉/筑摩飛行長)が米軍機動部隊上空を通過していたが、雲の上を飛んでおり、米艦隊を発見できなかった。さらに、アメリカ艦載機と接触しながらこれを報告しなかった。 利根の4号機からの返信を待つ南雲機動部隊に、新たなアメリカ軍航空隊が接近していた。日本時間午前4時53分(07:53)、戦艦霧島から敵機発見を意味する煙幕が展開され、ヘンダーソン少佐が指揮するミッドウェー基地のアメリカ海兵隊所属SBD ドーントレス爆撃機16機が艦隊上空に到達した。午前4時55分(7:55)、同隊は日本軍直掩機(零戦)の迎撃を受けヘンダーソン機以下6機が撃墜され、なおも空母飛龍と蒼龍を空襲するも命中弾を得られず、ヘンダーソン隊長機を含む合計8機を失った。ヘンダーソン戦死後に攻撃隊を率いたエルマー・G・グリデン大尉は、航行する日本空母の甲板に日の丸が描かれており容易に見分けられたと述べている。アメリカ軍側は飛龍に命中弾2、加賀に命中弾3を主張しているが、命中した爆弾は1発もない。アメリカ軍機の攻撃は続いた。午前5時10分(8:10)、B-17爆撃機17機(スウィニー中佐指揮)による空襲が行われ、赤城、蒼龍、飛龍が狙われたが損害は無かった。攻撃したB-17隊も無傷だったが、空母に直撃弾1、不確実1発を主張している。1機のB-17乗組員達は基地に戻ると、彼らの爆撃が日本艦隊を撃破したと主張した。最後に海兵隊のSB2Uビンディケーター爆撃機11機(ノリス少佐)による空襲が行われた。この隊は零戦の防御網をくぐり抜けて空母を狙うのは困難と判断し、戦艦榛名を狙った。直掩機の迎撃で1機を失い、2機が燃料切れで不時着、直撃弾2発を主張したが、榛名は無傷だった。日本軍の戦闘詳報は「0510:赤城、飛竜ニ爆弾命中スルヲ認ム(誤認)」、「敵飛行機、蒼竜(原文ママ)ニ急降下、利根(水偵)揚収」、「加賀後方ニ爆弾投下命中セズ」、「赤城左120及500mニ爆弾2個弾着スルヲ認ム」、「利根左100及4000mに爆弾投下、蒼竜飛竜、盛ニ発砲、蒼竜周囲ニ猛烈爆弾投下」、「赤城後方ニ爆弾投下、命中セズ」、「敵飛行機10機、榛名ニ対シ急降下、爆弾投下命中セズ」など、断続的に空襲を受けていることを記録している。ニミッツ提督は「ミッドウェー基地隊は日本軍艦艇10隻に損傷を与え、1-2隻を沈めたかもれないが阻止に失敗し、基地隊主戦力は失われた」とキング大将に報告した。この後、ミッドウェー基地航空隊はSB2U 5機、SBD 6機で夜間攻撃に出撃したが会敵せず、SB2U 1機を事故で喪失した。
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