米墨戦争と金の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 22:17 UTC 版)
「ジョン・サッター」の記事における「米墨戦争と金の発見」の解説
1847年、米墨戦争の結果メキシコの領土がアメリカ合衆国の手中に収まった。サッターはまず、独立した「カリフォルニア共和国」の樹立の支援をしたが、連邦軍が手短に彼の砦のコントロールを奪うと、サッターは、多勢に無勢だったため抵抗しなかった。1848年にアメリカン川沿いのコロマの粉ひき小屋で、使用人のジェームズ・マーシャルが金を発見した。 サッターのこれを穏便にする企ては失敗した。商人で新聞業者である、サミュエル・ブラマンがサッターの水車小屋で得た金をサンフランシスコに持ち帰り、「金の発見」を宣伝したのである。たくさんの人々がにわかに押し寄せ、サッターが働いている周辺の全てを破壊した。しかし、全てを失うことから守るために、彼は息子のアウグストゥス・サッターに今の土地を譲渡した。 アウグストゥス・サッターはスイスから1848年9月にやってきて、父とともに働いていたが、土地の商業的可能性を解し、サクラメント川にちなんだ「サクラメント」と命名した新しい町の建設のための計画を迅速に立て始めていた。 父の方はこれに対し、憤慨していた。彼は、「サッターヴィル」と町に命名したかったし、それを「ニュー・ヘルヴェティア」領域の近くに建設したかった。
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