研究者・評論家・作家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 17:27 UTC 版)
「田母神論文問題」の記事における「研究者・評論家・作家」の解説
研究者・評論家の間でも、リベラル左派・保守派の一部が田母神批判の立場にあるのに対し、一部の保守派言論人(石破茂は民族派と定義している)がこれに反論し、田母神論文を擁護するという構図となっている。 肯定派 東京大学名誉教授の小堀桂一郎はこの論文について「ここには私共自由な民間の研究者達が、20世紀の世界史の実相は概(おおむ)ねかうだつたのだ、と多年の研究から結論し、信じてゐる通りの歴史解釈が極(ご)く冷静に、条理を尽して語られてゐる」と語っている。『WiLL』では同年11月号で中西輝政が「田母神論文の歴史的意義」と題する論文で全面的に田母神を支持し、秦郁彦と保坂正康に反論した。西尾幹二も同誌で「何に怯えて『正論』を封じたのか」と政府の対応を批判した。 また、同誌では同年12月号で潮匡人・懸賞審査委員長を務めた渡部昇一や、櫻井よしこ・柿谷勲夫等による「田母神論文を殺すな」と題する特集を打つなど、田母神論文への反対者をリベラル左派と位置づけ、徹底抗戦の構えをとっている。さらに日本大学教授の百地章、軍事評論家の佐藤守、漫画家の小林よしのりらや、その他一部の保守系言論人も田母神への支持を表明している。 論文選考委員の一員でもあった花岡信昭客員編集委員は産経新聞紙上で「防衛省内局の役人的発想を排し、『自衛官にも言論の自由はある』とやっていたら、その後の展開はまったく違ったものになっていただろう」として、保守層の支持回復にもつながったのではないかと政権批判をし、田母神に同情的な論評をした。 また、懸賞論文で佳作になった岩田温は田母神の論文はおおむね正しいとしながらも、史料選定など一部に問題があることを指摘した上で「懸賞論文の入選作の多くが、コミンテルン陰謀論らしい。(中略)陰謀論には懲り懲りというのが、率直な感想である」と懸賞全体への批判もおこなっている。 否定派 この論文に対して、東京新聞には小林節、纐纈厚、笠原十九司、上杉聡など近現代史研究者などから「基本的な事実関係に誤りが多い」などの批評が提載され、『週刊新潮』には、引用元の『盧溝橋事件の研究』の著者秦郁彦が蘆溝橋事件について「私は著書で、事件の発端は(宋哲元率いる軍閥)第29軍の兵士が偶発的に撃った銃弾だった、と結論づけているんですよ。それを、私が中共派であるかのように書くのは心外です」との批判が掲載された。また秦は「論文というより感想文に近いが全体として稚拙と評ざるをえない。結論はさておき、根拠となる事実関係が誤認だらけで論理性もない」と全体の印象を語った。 森本敏拓殖大学大学院教授は田母神論文に対し、「証拠や分析に基づく新たな視点を展開するならともかく、他人の論評の中から都合の良いところを引用して、バランスに欠ける論旨を展開している点である。あの程度の歴史認識では、複雑な国際環境下での国家防衛を全うできない」として、日本は侵略国家でないと主張するのはあまりに偏った見方であると批判している。また一石を投じる目的をもって公表したのであれば、その影響についても責任を有するし、村山談話がおかしいと思うなら防衛省内で大臣相手に堂々と議論すべきであり、懸賞論文に出すなどと言う行為は政府高官のすべきことではないと批判した。その一方で、今回の問題では国内世論が左右にはっきり分かれたが、これは歴史認識が確立していないからであり、近代史に関する歴史教育の重要性を痛感させられると指摘した。 軍事評論家の前田哲男は論文やそれまでの発言も含めて「自衛隊の反国民的体質と文民統制無視に関わる問題」「これを一過性の事象として放置するなら、『言論の暴走』 は 『行動の暴発』 に転化するおそれなしとしない」と懸念を表している。 東洋学園大学准教授櫻田淳は産経新聞紙上で阿南惟幾の「農民の救済を唱え政治の改革を叫ばんとする者は、先ず軍服を脱ぎ然る後に行え」という発言を引用して政治(活動)家や歴史家でない航空幕僚長が政治を語る必然性を疑問視し、田母神の行動を「自衛隊が築いてきた実績の積み重ねに逆行し、自衛隊への共感と信頼を失わせる」と批判した。 同様に自身も元自衛官である軍事評論家の小川和久は、「空自トップとして立場をわきまえない幼児的な行動だ」と批判した。 防衛庁出身の評論家である太田述正は、田母神が「あのような論文を書いたら大騒ぎになるということを予想できなかった」「そもそもあの論文が村山談話に抵触するとは思わなかった」等と述べていることから、「究極のKY」と批判し、政府の方針に背反することを書いた高級軍事官僚がクビになるのは当たり前のことだという見解を示した。 陰謀論派 一方、作家でと学会会員の唐沢俊一は論文の歴史観について「トンデモ陰謀論(陰謀史観)の典型的なパターンが現れている」とし、また論文について現状に対する状態に憤りを感じられるが、安易に「誰々が悪い」という判断にいたり、「言いたいことを言った」という自己満足に浸っている陰謀論者によく見られるものであるとしながらも、その一方でブログなどネットの世界では「どこが悪いのか」という声が多いことに注目し、これは複雑な政治問題を、黒か白か、右か左かとはっきりさせ、一方を「悪」とすることで片付けようとする傾向があり、悪役を手っ取り早く見つけたいという欲求の現れである。結果として考え方の豊かさや多様性が失われていることを問題だとしている。論文は陳腐で幼稚だと非難するのは簡単であるが、陰謀論に空幕長という要職にある人間がはまってしまう現状に危うさがあることに気が付かないといけないとしている。 なお、田母神論文には「陰謀」の用語は出ていないが、典型的なルーズベルト陰謀論であると秦は朝日新聞に寄稿した『事実誤認の「感想文」』の文中で評しているほか、週刊朝日の田岡俊次との対談で「コミンテルンの陰謀論が四つも五つも出てくる。歴史上の出来事はすべて特定の人間や団体の陰謀によって起きたという「陰謀史観」を唱える人は少なくないが、ふつうは一つか二つしか出さないものなのに」と述べているほか、田岡も「彼によれば、コミンテルンが蔣介石も米国も日本も、世界中を手玉にとったことになります」と述べており、田母神が航空将校であり専門分野であるはずの空軍史において、フライングタイガースが日本と戦った時期を間違って認識していると指摘している。以上のことから田母神の歴史観は、いわゆる陰謀史観であるとの評価も存在している。
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