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内田百閒

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 00:32 UTC 版)

內田 百閒(うちだ ひゃっけん、1889年明治22年〉5月29日 - 1971年昭和46年〉4月20日)は、日本小説家随筆家。本名榮造󠄁。別号は百鬼園(ひゃっきえん)。号の「百閒」は、故郷岡山にある旭川の緊急放水路の百間川から取ったもので、当初は「百間」と表記していたが、後に「百閒」に改めた[1]


  1. ^ 百間以前の筆名として、內田雪隠、內田流石、內田盧橘子、內田曳象などを使っている。
  2. ^ 三島由紀夫は、責任編集した『日本の文学34 內田百閒・牧野信一・稲垣足穂』(中央公論社、1970年)の解説で、百閒を「現代随一の文章家」とし、その文章を「洗練の極、ニュアンスの極、しかも少しも繊弱なところのない、墨痕あざやかな文章というもののお手本」と評している。
  3. ^ 芸術院会員を辞退 「いやだ」と内田百閒氏 朝日新聞(夕刊) 1967年12月7日
  4. ^ 『週刊文春』2021年12月23日号「作家のペンと家・第三回 内田百閒」18頁
  5. ^ 同・19頁写真(撮影・林忠彦)
  6. ^ 多田基「“イヤダカラ、イヤダ”のお使いをして」 - 平山三郎編『囘想 內田百閒』(津軽書房、1975年)収録。
  7. ^ 「著者の遺志により、かなづかいは原文のままとした。漢字は正字体を新字体・略字体にあらためた。」- 旺文社文庫版『阿房列車』(1979年)の編集部註記より。
  8. ^ 百閒の仮名遣いに関する意志・意向については、「驛の歩廊の見える窓」(『東海道󠄁刈谷驛』収録)の「四 假名遣ひ」および「五 略画活字」等を参照のこと。
  9. ^ 中村武志「內田百閒の作品を新漢字、新仮名づかいにするについて」 - 內田百閒『冥途・旅順入城式』(岩波文庫、1990年)および福武文庫版作品集に収録。





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