関口存男とは? わかりやすく解説

関口存男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/22 14:18 UTC 版)

関口 存男(せきぐち つぎお、正字は關口存男1894年11月21日 - 1958年7月25日)は、日本ドイツ語学者(ゲルマニスト)。通称ゾンダン(ドイツ語のsondernにかけてある[注 1])。


  1. ^ 平野龍一は、この通称について、「異説を唱えることが多いのでドイツ語のゾンデルンということばにひっかけたのかもしれない」と推測している[1]。sondernという単語は、たとえば、nicht A sondern B(AではなくてB)というように用いられることが多い。
  2. ^ 当時、予科長であった野上豊一郎が引き入れた。当時、築地小劇場で上演されていたヴェデキント「春の目覚め」(野上豊一郎訳)の舞台稽古の際に、ドイツ大使が野上に質問をあびせたが、うまく答えられなかったところに、舞台裏で書割の手伝いをしていた関口が現れて通訳をしたことが二人の出会いだったという[3]
  3. ^ 近くに住んでいたオーストリア人(親称で会話する関係)や在京のドイツ人5,60人と会話した際に彼らの発音をまねしたり、同じ映画を3日も4日も見続けたりして会話力や発音を学習していたという[4]
  4. ^ たとえば、田中美知太郎によれば、官学派の学者は関口をして「悪達者」と評価していたという(田中も官学出身だが、このような評価は公平ではない、として、同調はしていない。)[5]。なお当時の法政大学文学部には東大京大などの官学出身者が多く、私学出身者は過小評価されていたという[7]
  5. ^ 民法学者の星野英一(東大名誉教授)も旧制一高時代のドイツ語の授業で関口の著書が教科書として使用されていた旨を述懐している[10]。ただし、関口のどの著書かは明らかではない。
  6. ^ もっとも、東京大学名誉教授であった常木実によれば、接続法を数字で表すようになったのは歴史的には関口存男が初めてではない。つまり、関口存男が第一式接続法、第二式接続法を用いた最初の文献は『(準備本位)独逸語文法』(尚文堂、1928年)であるが、それよりも早くアメリカのゲルマニストProkoschがProkosch and Morgan, An Introduction to German, 1923において、「first subjunctive」「second subjunctive」という表現を用いていた。また常木によれば、ドイツで初めにKonjunktivⅠ, Ⅱの名称を用いたはフランス人のFourquet(Grammarie de l'allemand, 1956)だとされるが、関口の著作を参考にしたかは不明である[17]
  7. ^ たとえば、片山正雄『詳解独逸文典』では、接続法は、「A)現在形の接続法 1)主文章に於て a)願望 b)認容 2)副文章に於て a)願望 b)認容 c)目的 d)引用、過去形の接続法 1)主文章に於て a)願望 b)謙遜なる主張 c)或然、蓋然、可能 d)疑惑 e)仮定的条件の推定的結果 f)仮定的認容の推定的結果 2)副文章に於て a)似而非事実 b)否定的結果 c)仮定的条件 d)仮定的認容」という形で整理されていた[18]。また、接続法の用法を主文章と副文章の場合に分けて、形式から説明する方法は相良守峯の著書でも見られる[19]
  8. ^ 藤田栄によれば、関口は、前置詞や副詞など20以上ものテーマで意味形態を論じる予定であったというが、健康上の問題などから、この『冠詞』に意味形態の中核的要素をことごとくつぎ込んだという[33]。実際、関口は『冠詞』をほぼ書き終えたところで急逝している。そのため、関口による「まえがき」がなく、またところどころ<→ >といった参照表記の抜けが見られる。
  9. ^ 「語感という感性的なものを翻訳する論理のわくぐみとしての認識論について曖昧な点が感じられる」との批判もある[35]
  10. ^ 「総合(Sythetisch)」というのは、ガーベレンツがはじめて取り入れた文法概念だとされる[37]
  11. ^ 関口が30歳くらいの頃からノートにまとめだしたもので、「混沌たる鬱蒼たる、ジャングルのごとき」もので「私以外の人には恐らく利用のできない一種異様なノート」だという(関口存男の生涯と業績, p. 59-61)関口存男「わたしはどういう風にして獨逸語をやってきたか」。
  12. ^ 中村英雄によれば、ある日本のゲルマニストが書いたドイツ語史の中で、高名な学者の仕事が高い評価を受けている一方で、「関口存男には終りのほうにほんの二、三行が振りあてられ、その仕事は主として啓蒙的方面における実用語学であるとして片付けられていた。」と述べている[42]。また、池内紀によれば、「『語学の天才』には少なからず反語的なひびきがあった。専門のドイツ語だけではなく、さまざまなことばに通じている語学的ナンデモ屋。『ドイツ語の鬼才』もまたそうだった。伝統あるドイツ語学界の横紙破りといったニュアンスをおびていた」という[43]
  13. ^ たとえば、ドイツ語学者の塩谷饒は、関口の『冠詞』を「なみなみならぬ努力の結晶として高く評価されねばなるまい」と評価するものの、関口自身については、「主として実用語学の場であるが、昭和初期から欧米学者の意見に追随せず日本人に適した文法書を数多く出版してきた関口存男氏の著には純粋なドイツ語学も多くの刺戟を受けて来た」として、ドイツ語学者というより実用語学の人という評価をしている[44]
  14. ^ たとえば、真鍋良一[45]橋本文夫[46]有田潤[47] は、それぞれの立場で関口の意味形態論を論じている。
  15. ^ コセリウは、関口の意味形態論に不鮮明なところがあったり、これに対する関口の立場がところどころ矛盾しているとしつつも、関口の直感的アプローチをできるだけ客観化し、実際に使える方法論を展開させるという試み、または比較言語や言語外の基準の分析によって、分析と説明のための「枠組みモデル」を作る試みが必要だろう、という[48]
  16. ^ 関口は意味形態をドイツ語で「Sinngebilde」と考えていたようだが[57]、本書では「Bedeutungsform」と訳されている。
  17. ^ 関口は、30歳前後に演劇では食べていけないことを悟り、ドイツ語で食べていく決心をしたという(関口存男の生涯と業績, p. 59)関口存男「わたしはどういう風にして獨逸語をやってきたか」
  18. ^ 2008年に三修社から復刻版が出版されている。
  19. ^ 各巻(第13篇を除く)がPOD版として分冊販売されている。
  20. ^ 上巻に当たる「基礎入門編」が関口一郎によって補訂され、『関口・新ドイツ語の基礎』として三修社から出版されている。
  21. ^ 関口一郎によって補訂され、『新版 関口・初等ドイツ語講座 上・中・下』として三修社から出版されている。
  22. ^ 原本は第3版。著者集に収められている著作のうち、本書のみ三省堂から出版されていた著作である。なお、関口の死後に藤田栄によって改定された第四版(1980年出版)には文例と課題の解答が付されている。
  23. ^ 各巻がPOD版として分冊販売されている。
  1. ^ a b 平野龍一「何のために語学を勉強するのか-語学は人を凡人にする?-」『東大の内と外』(東京大学出版会、1986年[初出は1982年])63頁
  2. ^ 関口存男の生涯と業績, p. 表紙.
  3. ^ 飯田泰三、岡孝、高橋彦博、栃木利夫、萩原進、平松豊一、山川次郎、山本弘文編『法政大学図書館100年史』(法政大学図書館、2006年)103頁(飯田泰三執筆)
  4. ^ 関口存男の生涯と業績, p. 73関口存男「わたしはどういう風にして獨逸語をやってきたか」
  5. ^ a b c 田中美知太郎『田中道太郎全集第13巻 時代と私[増補版]』(筑摩書房、1987年)217-220頁
  6. ^ 真鍋良一「関口存男先生」『語学漫筆 ドイツ語の語法をめぐって』(三修社、1983年)
  7. ^ 宮永孝「昭和八、九年の『法政騒動』」社会志林59巻4号(2013年)197頁
  8. ^ 澤柳大五郎「レェヸット事件」世界54号(1950年)107-114頁(関口について触れているのは112頁)
  9. ^ a b 産経新聞2001年8月6日夕刊4頁
  10. ^ 星野英一『ときの流れを超えて』(有斐閣、2006年)25頁
  11. ^ 倉田卓次「冠詞[三修社、全三巻]-関口存男著-」『続々裁判官の書斎』(勁草書房、1992年[初出は1991年])63頁
  12. ^ 倉田卓次「冠詞[三修社、全三巻]-関口存男著-」『続々裁判官の書斎』(勁草書房、1992年[初出は1991年])73頁
  13. ^ 関口存男の生涯と業績, p. 45-59関口存男「わたしはどういう風にして獨逸語をやってきたか」
  14. ^ 関口存男の生涯と業績, p. 55-63関口存男「わたしはどういう風にして獨逸語をやってきたか」
  15. ^ 関口存男の生涯と業績, p. 70関口存男「わたしはどういう風にして獨逸語をやってきたか」
  16. ^ 産経新聞1994年5月8日朝刊13頁
  17. ^ 常木実『接続法-その理論と応用』(郁文堂、1960年)122頁以下
  18. ^ 片山正雄『改新独逸文法辞典』(有朋堂、1948年)所収
  19. ^ 相良守峯『ドイツ文法[岩波全書135](岩波書店、1951年)
  20. ^ 関口存男『関口存男著作集[POD版]ドイツ語学篇1-ドイツ文法接続法の詳細-』19-33頁(三修社、2000年)
  21. ^ 佐藤清昭「関口文法の今日的意義」ドイツ文学79号(1987)年176頁
  22. ^ 有田潤「『意味形態』の成立」『ドイツ語学講座Ⅰ』(南江堂、1985年)86頁参照
  23. ^ 関口存男責任監修『獨逸語第講座』4巻(関口存男著作集[POD版] ドイツ語学篇6独逸語大講座(3)(4)(三修社、2000年)所収)347頁
  24. ^ 関口存男『冠詞- 意味形態的背景より見たるドイツ語冠詞の研究-第一巻:定冠詞篇』(三修社、1960年)28頁
  25. ^ 関口存男『関口存男著作集[POD版]ドイツ語学篇2-独作文教程』(三修社、2000年)454-455頁
  26. ^ 関口存男の生涯と業績, p. 508国松孝二「意味形態論の解説の試み」
  27. ^ 関口存男『関口存男著作集[POD版]ドイツ語学篇2-独作文教程』(三修社、2000年)453頁
  28. ^ 関口存男『関口存男著作集[POD版]ドイツ語学篇3-ドイツ語学講話』(三修社、2000年)330頁
  29. ^ 関口存男『冠詞- 意味形態的背景より見たるドイツ語冠詞の研究-第一巻:定冠詞篇』(三修社、1960年)』798頁
  30. ^ a b 関口存男『冠詞- 意味形態的背景より見たるドイツ語冠詞の研究-第一巻:定冠詞篇』(三修社、1960年)』313頁
  31. ^ 有田潤「『意味形態』批判」『ドイツ語学講座Ⅱ』(南江堂、1987年)39-65頁
  32. ^ 関口存男『冠詞- 意味形態的背景より見たるドイツ語冠詞の研究-第一巻:定冠詞篇』(三修社、1960年)』712頁
  33. ^ 藤田栄「まえがき」関口存男『冠詞- 意味形態的背景より見たるドイツ語冠詞の研究-第一巻:定冠詞篇』(三修社、1960年)』
  34. ^ 関口存男『冠詞- 意味形態的背景より見たるドイツ語冠詞の研究-第一巻:定冠詞篇』(三修社、1960年)』9頁
  35. ^ 塩田勉「関口文法の問題点をめぐる若干の批判」ドイツ語研究1号(1979年)50頁
  36. ^ 関口存男『冠詞- 意味形態的背景より見たるドイツ語冠詞の研究-第三巻:無冠詞篇』(三修社、1962年)』382-383頁
  37. ^ 佐藤清昭「「話(わ)Sprechenの文法」としての関口文法-『冠詞』における記述を中心に-」ドイツ語学研究12号(2013年)5頁
  38. ^ 江沢健之助「関口文法と現代言語学」言語26号(1997年)11頁
  39. ^ 佐藤清昭「関口存男文例集ー分類の観点と利用の可能性ー」浜松医科大学紀要 一般教育 第12号(1998年)58頁
  40. ^ 菅谷泰行「関口文法の可能性―その国際的評価の動きをめぐって―」関西医科大学教養部紀要17号(1997年)11頁
  41. ^ 細谷行輝・山下仁・内堀大地(責任編集)『冠詞の思想 関口存男著「冠詞」と意味形態論への招待』(三修社 2016年)321-330頁
  42. ^ a b 中村英雄「関口存男の横顔」『池上草堂襍記』(角川書店、1989年)353頁
  43. ^ 池内紀『ことばの哲学 関口存男のこと』(青土社、2010年)201頁
  44. ^ 塩谷饒『ドイツ語学入門』(大学書林、1967年)180-181頁
  45. ^ 真鍋良一『真鍋ドイツ語の世界―ドイツ語の語法―』(三修社、1979年)267頁以下
  46. ^ 橋本文夫「意味形態とは何か」『ドイツ語と人生 橋本文夫記念論文集』(三修社、1980年)89頁以下
  47. ^ 有田潤「『意味形態』批判」『ドイツ語学講座Ⅱ』(南江堂、1987年)39頁以下
  48. ^ Coseriu, Sprachtheorie und Grammatik bei Sekiguchi:in Deutsche Präpositionen. Studien zu ihrer Bedeutungsform, S.64.)。
  49. ^ 毎日新聞1990年10月8日夕刊8頁
  50. ^ 朝日新聞1996年9月10日夕刊7頁
  51. ^ 細谷行輝・山下仁・内堀大地(責任編集)『冠詞の思想 関口存男著「冠詞」と意味形態論への招待』(三修社、2016年)13頁
  52. ^ 佐藤清昭「「話(わ)Sprechenの文法」としての関口文法-『冠詞』における記述を中心に-」ドイツ語学研究12号(2013年)3頁
  53. ^ 牧野紀之「まえがき」『関口ドイツ文法』(未知谷、2013年)
  54. ^ 佐藤清昭編・解説『ドイツ語「関口文法」へのいざない [第1巻] 関口存男の言葉』(三修社、2021年)7-8頁。
  55. ^ Coseriu, Über Tsugio Sekiguchi in Sekiguchi-Grammatik und die Linguistik von heute, 2009, S.14(姫路での講演を文書化したもの).
  56. ^ 山下仁(書評)「Kennosuke Ezawa, Kiyoaki Sato, Harald Weydt(Hg.):Sekiguchi Grammatik und die Linguistik von heute」ドイツ文学142号(2011年)211頁
  57. ^ 有田潤「『意味形態』批判」『ドイツ語学講座Ⅱ』(南江堂、1987年)64頁
  58. ^ 山下仁(書評)「Kennosuke Ezawa, Kiyoaki Sato, Harald Weydt(Hg.):Sekiguchi Grammatik und die Linguistik von heute」ドイツ文学142号(2011年)210頁
  59. ^ 鈴木一策「関口存男の冠詞論と大野晋の助詞論」環【歴史・環境・文明】4号(2001年)141頁
  60. ^ 齋尾鴻一郎「意味形態的方法論について」ドイツ文学35号(1965年)117頁
  61. ^ 関口存男の生涯と業績, p. 518荒木茂雄「先生の業績と著書」
  62. ^ 池内紀『ことばの哲学 関口存男のこと』(青土社、2010年)101頁
  63. ^ 人生に深く関わる「哲学」を作品に潜ませる 注目の劇団・楽劇座ヘインタビュー”. SPICE. 2017年7月17日閲覧。


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