特異なアメリカスタイルとは? わかりやすく解説

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特異なアメリカスタイル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 14:19 UTC 版)

アメリカ文学」の記事における「特異なアメリカスタイル」の解説

米英戦争と共にアメリカ固有の文学文化生み出したいという願望増し多く新し文学界重要な人物現れた。その中でワシントン・アーヴィング1783年 - 1859年)、ウィリアム・カレン・ブライアント1794年 - 1878年)、ジェイムズ・フェニモア・クーパー1789年 - 1851年)およびエドガー・アラン・ポー1809年 - 1849年)が特筆されるアーヴィングアメリカ固有のスタイル開発した最初作家考えられることが多く(ただし異論出ている)、『サルマガンディー』(Salmagundi)や良く知られ風刺『ディートリヒ・ニッカーボッカーによるニューヨークの歴史』(A History of New York, by Diedrich Knickerbocker、1809年)でユーモアある作品著したブライアントロマンチック自然に触発され初期の詩人であり、ヨーロッパ影響から離れた1832年ポー短編小説書き始めた。その中には赤死病の仮面』(The Masque of the Red Death1841年)、『落とし穴と振り子』(The Pit and the Pendulum1842年)、『アッシャー家の崩壊』(The Fall of the House of Usher1839年)および『モルグ街の殺人』(The Murders in the Rue Morgue1841年)があり、人間心理以前隠されていた面を探求し小説範囲推理小説ファンタジーにまで拡げた。クーパーのナッティ・バンポーに関する『レザーストッキング・テイルズ』(Leatherstocking Tales、『モヒカン族の最後』(The Last of the Mohicans)はその第2作)は国内でも海外でも好評博した。 この時代人気のあったユーモア作家としては、ニューイングランドのセバ・スミス(1792年 - 1868年)とベンジャミン・P・シラバー(1814年 - 1890年)がおり、南部デイヴィッド・クロケット1786年 - 1836年)、オーガスタス・ボールドウィン・ロングストリート(1790年 - 1870年)、ジョンソン・J・フーパー1815年 - 1863年)、トマス・バングス・ソープ(1815 - 1878年)およびジョージ・ワシントン・ハリス(1814年 - 1869年)はアメリカフロンティアについて書いた。 ニューイングランド・ブラーマンズはハーバード大学とそれがあるマサチューセッツ州ケンブリッジ繋がりとする作家集団だった。その中心となったのは、ジェイムズ・ラッセル・ローウェル1819年 - 1891年)、ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー1807年 - 1882年)およびオリバー・ウェンデル・ホームズ1809年 - 1894年)だった。 1836年ラルフ・ウォルドー・エマソン1803年 - 1882年)は元牧師であり、『自然』(Nature)と呼ぶ衝撃的なノンフィクション出版したその中で自然界勉強し反応することで、既に組織化され宗教とは離れ、高い精神状態達することが可能であると主張したその作品彼の周り集まった作家達に超絶主義呼ばれる運動を起こさせただけでなく、その講義聞いた大衆にも影響与えたエマーソン共鳴者で最も才能豊かだったのは恐らく革新的反逆児だったヘンリー・デイヴィッド・ソロー1817年 - 1862年)だった。ソローの中の池端にあった丸太小屋2年間ほとんど一人暮らした後で、『ウォールデン-森の生活』(Walden1854年)を書いた。これは本1冊分にのぼる回顧録であり、組織化され社会お節介指図反抗することを奨励している。その過激な書き方アメリカ人性格にある個人主義に向かう深く根ざした傾向表現している。超絶主義影響されその他の作家としては、ブロンソン・オルコット(1799年 - 1888年)、マーガレット・フラー1810年 - 1850年)、ジョージ・リプリー(1802年 - 1880年)、オレステス・ブラウンソン(1803年 - 1876年)およびジョーンズ・ベリー(1813年 - 1880年)がいた。 奴隷制度廃止運動関わる政治紛争によって、ウィリアム・ロイド・ガリソン1805年 - 1879年)とその新聞リベレーター」における作品刺激与え、また詩人ジョン・グリーンリーフ・ホイッティアや、世界的に有名になった『アンクル・トムの小屋』(Uncle Tom's Cabin1851年)を書いたハリエット・ビーチャー・ストウ1811年 - 1896年)が続いた1837年青年ナサニエル・ホーソーン1804年 - 1864年)が、『二度語られた話』(Twice-Told Tales)として象徴主義オカルト事件豊富なその作品集めたホーソーン長編の「恋愛小説」として寓話風な小説を書くようになり、罪、誇りおよび生まれ故郷ニューイングランドにおける感情的抑圧といった主題開拓した。その傑作緋文字』(The Scarlet Letter1850年)は、姦通犯し不義の子産んだことでその地域社会から迫害され女性過酷なドラマである。 ホーソーン小説はその友人であるハーマン・メルヴィル1819年 - 1891年)に大きな影響与えたメルヴィルはその船乗り時代経験風変わりセンセーショナルな海洋説話小説変えることでその名前を残したメルヴィルホーソーン主題である寓話や暗い心理描写影響受けて淡々たる思索豊富なロマンを書くようになった。『白鯨』(Moby-Dick)では、冒険的捕鯨の旅強迫観念、悪の性質、および原理対す人間戦いというような主題掘り下げる舞台になった。他にも短編傑作ビリー・バッド』(Billy Budd1924年死後出版)では、戦時艦船上における義務同情心葛藤ドラマ化した。メルヴィル豊富な作品存命中にほとんど売れず死後暫く忘れられ存在だった。死後30年経た1921年再評価の動きおこったメルヴィルホーソーンおよびポーによる反超絶主義作品当時文学界の小ジャンル暗黒ロマン主義構成するのである

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