業界出展方式への転換
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開館直後の1965年度の年間入場者数が約53万人であったのに対し、1970年度は約41万人に減少した。特に団体入場者数が開館以来一貫して減少傾向であった。決定的であったのは1970年に開催された日本万国博覧会の開催であった。 他方、1970年代に入ると、自然科学系の博物館で視聴覚を合む総感覚的展示が増え、入場者の理解を促すため参加性の高い展示が増加するようになった。科学技術館のこれまでの展示について「故障が多い」「展示内容が難しい」といったことが入場者減少の理由として挙げられていた。このような状況を受け、展示内容のリニューアルが計画された。 リニューアルについてシカゴ科学産業博物館が行っていた企業出展方式を参考に、業界出展方式が採用された。業界出展方式とは、展示テーマと関連する業界団体や助成団体の協力により展示や内容更新を行っていく方式である。業界出展方式の目論見は以下の通りである。 展示物の製作および維持管理のための費用を業界団体に負担してもらうことで財団の財政健全化をはかること。 1企業のショールームするのではなく、社会教育施設としての特性を業界単位の支援で発展させること。 展示のリニューアルを1室ごとに行い、来館者にアピールすること。 産業界が日本科学技術振興財団の活動に常に関心を払ってもらるようにすること。 以下に、業界出展方式に変更した後の展示内容を示す。 業界出展方式後の展示内容展示室テーマ名出展団体・出展企業完成日展示概要5階D室 宇宙開発 宇宙開発事業団 1982年3月1日 液体ロケットエンジンや人工衛星の実物展示。衛星放送の受信コーナー。 5階E室 原子力 電気事業連合会日本電機工業会など 1980年3月31日 キューリー婦人が原子力研究の創生期を語る「アトミックシアター」。原子力発電の原理、放射線の性質などの紹介。 5階F室 楽しい実験室 液化窒素を使った超低温実験、形状記憶を使った実験などのサイエンスショー 4階B室 イメージホール 日本航空 1974年10月1日映像更新:1981年9月29日 9枚の連続したスクリーンによる円形劇場で、360度全周映像が映し出される。日本からヨーロッパへの空の旅の映像が流されていた。 4階C室 鉄鋼 日本鉄鋼連盟鋼材倶楽部 1974年11月30日 高炉の模型、鉄製品のサンプルの展示など。 4階D室 石油化学 石油化学工業協会 1975年2月15日 原油からナフサ、ナフサから石油製品に姿を変える高分子化学について紹介。 4階E室 食料と農業 全国農業協同組合中央会 1978年3月31日 米の生産と栄養を主テーマとし、果樹栽培など日本の農業を紹介。ニワトリの有精卵から実際にヒヨコが生まれる孵卵器の実演展示。 4階F室 土木・建築 日本建設業団体連合会 1981年6月24日 日本の建設業を紹介した立体映像ホール。耐震実験や免震ゴムの実物展示など。 3階C室 電力 電気事業連合会 1976年3月31日 2種類の放電実験装置。15席の観客の顔を15台のマルチモニタに映し出す撮影システムを備え電気に関するクイズの出題されるインタラクティブ展示など。 3階D室 エレクトロニクス 日本電気工業会日本電子機械工業会日本電子工業振興会通信機械工業会 1977年3月1日 コンピュータグラフィックスの優秀作を展示するギャラリー。観客の動作をカメラでとらえてコンピュータ処理後にスクリーンに映し出すパフォーマンススタジオなど。 3階E室 時と生活 服部セイコー 1979年3月31日 電気通信 電気通信科学財団 1979年3月31日 新技術 光産業技術振興協会 1987年10月1日 都市ガス 東京ガス 1983年4月1日 医療福祉 医療福祉機器研究所 1983年4月1日 マイクロモーター マブチモーター 1984年4月1日 3階F室 自動車 日本自動車工業会 1979年3月31日 「マジックビジョン」と呼ばれる特殊映像システムによる自動車のメカニズムの紹介。3台のモニターとパーソナルコンピュータを使った自動車運転シミュレーター。 2階C室 自転車 日本自転車普及協会 1974年10月1日 自転車の構造、自転車の発達史、自転車の正しい乗り方をチェックするシミュレーターなど。 2階D室 ロボット 日本産業用ロボット工業会 1983年3月25日 産業用ロボットの実演展示(1989年まで)。さまざまな分野で使われているロボットを紹介するビデオコーナー。 1975年(昭和50年)4月1日より、これまでの月曜休館から年末年始を除く年中無休に変更した。1977年(昭和52年)には当時のスーパーカーブームを背景に「スーパーカーフェア」と題した特別展を実施し、1977年8月の月間入場者数が83,050人を記録した。1979年(昭和54年)11月、「第1回全国ロボット大会」の会場となり、大会最終日の日曜日には1日の入場者数が15,000人とこれまでの最高記録となった。また1979年(昭和54年)は日本科学技術振興財団の創立20周年、科学技術館開館15周年にあたり、これを記念してC棟とD棟の間に3階建ての展示室の増築が決定した。また「ミュージアムショップ」が1階に開設された。 このような改革の実行と企画イベント開催により、1976年度の年間入場者数は約60万人、1980年度は約85万人と増加傾向に転じた。 1987年(昭和63年)、NHK総合テレビの「地球大紀行」の放映と並行して「NHK地球大紀行展」が開催された。スミソニアン自然史博物館所蔵の隕石、鉱物、化石などが展示された。会期中、約2ヶ月間で、20万人が訪れた。
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