日本の海底ケーブル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 03:24 UTC 版)
日本最初の海底ケーブルは1871年に敷設された長崎-上海間及び長崎-ウラジオストク間のものである。現在の長崎市南山手一丁目18番地には「国際電信発祥の地」の碑があるが、かつてここにあったホテルベルビューの一室を借りていた大北電信会社によって同年8月12日、一般公衆電報の取り扱いが始まった。これは日本における国際電報事業が開始された日であり、翌年開通した欧亜陸上電信線と接続された。その後1883年に呼子-釜山間の海底電信線も敷設された。 一方、国内通信では、1873年にお雇い外国人指導の下で関門海峡に敷設したのが始まりである。1896年には、日清戦争で獲得した台湾への電信線敷設のため、日本最初の本格的海底ケーブル敷設船となる沖縄丸を導入。日露戦争では逓信省技師浦田周次郎らが軍用海底電線を敷設。国産船では小笠原丸が、1906年に後述の太平洋横断ケーブル工事を目的として建造されている。 1906年8月1日に、日米間太平洋横断国際海底ケーブルが開通した。これは、日本が東京から敷設したケーブルと、米国がサンフランシスコ-マニラ線のグアムから分岐して敷設したケーブルを父島で接続したもので、当初のルートは東京-小笠原(父島)-グアム-ミッドウェー-ホノルル-サンフランシスコであったが、1931年5月に東京側の陸揚地が鎌倉に変更された。 1914年8月末、同盟国のイギリスが芝罘・青島・上海に接続しているドイツ帝国の海底ケーブルを切断した。11月、青島の戦いが終結。このあと切断したケーブルの利権について日英間で交渉が行われた。1916年3月、切断したケーブルを日本が付け替え工事。青島-上海間は佐世保-上海間に、上海-ヤップ島間は沖縄沖で切られて那覇-ヤップ間に利用された。竣工は5月であった。 1919年、戦勝国がヨーロッパとアジアで切断し各国が実効支配しているドイツ帝国のケーブルは、パリ講和会議でその処遇が中心議題の一つとなった。3月の十人委員会席上でロバート・ランシングとウッドロウ・ウィルソンが、ドイツへ返還するか、または戦勝国が共同管理するという措置を提案した。しかし、決着はつかなかった。 1920年、ワシントン会議 (1922年) の予備会が1920年10月10日から12月14日の間にワシントンで開かれた。ケーブルをめぐる交渉には特別分会が設けられ、議長はジョン・W・デイビスが務めた。各国の代表として日本の幣原喜重郎、イギリスのブラウン、フランスのラネル、イタリアのブランビルが参加した。十数次にわたる会合を経て、議論は本会に持ち越された。 1921年、本会議でイタリアを除く参加国が、以下の3点で合意した。 ヤップ-上海間は日本に、ヤップ-グアム間は合衆国に、ヤップ-メナド間はオランダに帰属させる。 各線の両端は、1. で割り当てを受けた国が運用する。アメリカ・オランダはヤップ島でいかなる課税・警察を受けない。 日本はヤップ - 那覇線を上海まで延長する。 1922年2月11日、2. の見返りとして、アメリカは日本のヤップ島領有権を認めた。 戦時中までもっていた海底ケーブルの所有権について、日本は戦後処理によりその大部分を失った。 1964年TPC-1(Trans Pacific Cable, 神奈川-グアム-ハワイ)が開通し、電話回線128回線が実現された。1969年JASC(新潟-ナホトカ)の120回線が敷かれた。しばらくしてからTPC-2(1975年、沖縄-ハワイ、電話回線:845回線)に続き、ECSC(熊本-上海、1976年、電話回線:480回線)、OLUHO(沖縄-ルソン-香港、1977年、電話回線:1,200回線)、OKITAI(沖縄-台湾、1979年、電話回線:480回線)、JKC(浜田-釜山、1980年、電話回線:2,700回線)などの同軸ケーブルが敷設された。そしてTPC-3(1989年、容量:560 Mbps)では、初めて光ファイバーが用いられ、NPC(1990年、容量:1 Gbps)、TPC-4(1992年、容量:1 Gbps)、TPC-5CN(Cable Network: 環状、1995年、容量:10 Gbps)が建設され、日米間の通信とともに、アジア地域と欧米との中継を含めたバックボーンとして重要な役割を担った。 日本に接続されるその他の国際海底ケーブルには、APCN(10 Gbps, 陸揚国:韓国、香港、フィリピン、台湾、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア)や、インド洋を経由するSEA-ME-WE3(40 Gbps, 陸揚国:韓国、中国、台湾、香港、マカオ、フィリピン、タイ、ブルネイ、ベトナム、シンガポール、マレーシア、インド、インドネシア、ミャンマー、オーストラリア、スリランカ、パキスタン、オマーン、アラブ首長国連邦、ジブチ、トルコ、サウジアラビア、エジプト、キプロス、ギリシャ、イタリア、モロッコ、ポルトガル、フランス、イギリス、ベルギー、ドイツ)などもある。 その後、インターネット時代を迎え、より大容量な海底ケーブルへと進化した技術には、WDM(Wavelength Division Multiplexing:光波長多重)や光ファイバーがあげられる。これらの技術によって、China-US CN(2000年、容量:80 Gbps)、Japan-US CN(2001年、容量:400 Gbps)、Unity(2010年、容量:20 Tbps)へと飛躍的な大容量化が実現された。 TPC-1、TPC-2などの退役した同軸ケーブルは地震研究などに転用されている。 欧米のネットバブルにより、従来の通信事業者主体からプライベートケーブルと呼ばれる非通信事業者系ケーブルが登場した結果、インターネット時代といえども供給過剰ともいわれる一方、国際的な更なるブロードバンド化に伴う需要の受け皿にもなっている。 2014年8月、KDDIが中国電信、Google, シンガポール・テレコムなどと日米間海底光通信ケーブル FASTER の共同建設・投資を協定。11日、NECとの間で FASTER のシステム供給契約を発効した。2016年6月に建設を完了、運用を開始した。日本側地上局は千葉県南房総市と三重県志摩市に設置。前者はすでにケーブル過密域である。KDDI によると、海底ケーブルは日本の国際トラフィックの99%を担っている。
※この「日本の海底ケーブル」の解説は、「海底ケーブル」の解説の一部です。
「日本の海底ケーブル」を含む「海底ケーブル」の記事については、「海底ケーブル」の概要を参照ください。
- 日本の海底ケーブルのページへのリンク