化野念仏寺とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 化野念仏寺の意味・解説 

化野念仏寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/03 00:32 UTC 版)

化野念仏寺
西院の河原
所在地 京都府京都市右京区嵯峨鳥居本化野町17
位置 北緯35度1分36.50秒 東経135度39分52.28秒 / 北緯35.0268056度 東経135.6645222度 / 35.0268056; 135.6645222 (化野念仏寺)座標: 北緯35度1分36.50秒 東経135度39分52.28秒 / 北緯35.0268056度 東経135.6645222度 / 35.0268056; 135.6645222 (化野念仏寺)
山号 華西山(かさいざん)
院号 東漸院
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 伝:弘仁2年(811年
開山 伝:空海
正式名 華西山 東漸院 化野念仏寺
公式サイト あだしの念仏寺
法人番号 6130005000316
テンプレートを表示

化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)は、京都市右京区嵯峨鳥居本化野町にある浄土宗寺院山号は華西山。本尊阿弥陀如来化野東山鳥辺野(とりべの)、洛北の蓮台野と並ぶ平安時代以来の墓地であり、風葬の地として知られる。

歴史

伝承によれば弘仁2年(811年)、空海が当地に野ざらしになっていた遺骸を埋葬して供養のために千体の石仏を埋め、五智如来の石仏を建てて五智山如来寺を建立したのに始まるとされる。その後、法然が念仏道場を開き、名称も念仏寺となったという。

本尊は阿弥陀如来像(寺伝では湛慶作というが実際の作者は不明)、本堂は江戸時代正徳2年(1712年)に寂道により再建された。

明治30年代に宗教奉仕団体、福田海(ふくでんかい)の開祖である中山通幽(なかやまつうゆう)師が、埋没していた無縁仏を掘り出し集めた。そしてそれらは釈尊宝塔説法を聴く人々の姿になぞらえて配列、安祀している。その数は約八千体で、石仏と共に発掘される壺や古銭の時代考証によると平安から、鎌倉室町、江戸の各時代に及ぶ。この無縁仏の霊にローソクをお供えする千灯供養は地蔵盆の夕刻より行われる。石仏や石塔の一処に会して肩を寄せ合う様に並ぶ全景は、空也上人の地蔵和讃にあるように、嬰児が一つ二つと石を積み上げた河原の有様を思わせることから賽の河原にちなんで西院(さい)の河原という[1]

境内には水子地蔵もあり、地蔵菩薩の縁日には水子供養が行われている。

境内

行事

  • 6月24日 浄焚式と水子総供養 不用となったお守り・お札・塔婆など拝んで燃やします。他の月の24日は、水子供養を開催。
  • 8月23日24日 千灯供養。
  • 11月23日 お火焚き祭 境内のお社の1年間の感謝祭。
  • 12月31日 除夜の鐘[1]

交通アクセス

鳥居本バス停あるいは愛宕寺前バス停までは

  • 阪急嵐山線 嵐山駅から嵐電嵐山駅経由の京都バス清滝行で18分。日中は1時間おきの運転のため、時刻を予め調べておく必要がある。また、土曜・休日は帰路のみ嵐電嵐山駅は経由しない。
  • JR京都線 京都駅から京都バス72番清滝行で60分だが、京都駅を17時台発の平日・休日1本、土曜2本しかないため、観光用には使えない。
  • 四条河原町・三条京阪から京都バス62番清滝行で60分だが、四条河原町・三条京阪を朝7時台発の1本しかないので注意。

脚注

  1. ^ a b 『あだしの念仏寺』あだし野念仏寺発行拝観パンフレット 1994年 4p 12p

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「化野念仏寺」の関連用語

化野念仏寺のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



化野念仏寺のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの化野念仏寺 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS