角倉素庵とは? わかりやすく解説

すみのくら‐そあん【角倉素庵】

読み方:すみのくらそあん

[1571〜1632]安土桃山から江戸初期豪商京都の人。通称与一。了以の長男。父の事業継ぎ海外貿易土木事業推進したまた、書を本阿弥光悦学び角倉流嵯峨流)を創始


角倉素庵


角倉素庵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/02 08:36 UTC 版)

角倉 素庵(すみのくら そあん、元亀2年6月5日1571年6月27日〉 - 寛永9年6月22日1632年8月7日〉)は、江戸時代初期の土木事業家、儒学者、書家、貿易商。角倉了以の子。本姓は吉田、名は与一、諱は玄之(後に貞順と改め)、子元、素庵と号した。別号は期遠、西山。書道角倉流を創始。

長男に玄紀(京角倉家)、次男に厳昭(嵯峨角倉家)。藤原惺窩門下、本阿弥光悦に書を学び、近世能書家五人の一人に挙げられる。

生涯

元亀2年(1571年)、京都の豪商・角倉了以の長男として誕生。母は吉田栄可の娘。

儒学藤原惺窩に、書を本阿弥光悦に学び、書道の角倉流を創設、能書家としても近世五人の一人に挙げられている[1]。父・了以の跡を継いで貿易業や土木事業にも携わる。晩年、活版業を志すも、寛永4年(1627年らい[2]に倒れ、家業を子に譲って嵯峨野へ隠居。その後、光悦門下の俵屋宗達の協力を得て、古活字の嵯峨本(角倉本)を刊行した。また、茶の湯古田織部に学んでいる。

寛永9年(1632年)、死去。享年62。本墓は遺言により一族の墓所がある二尊院でなく、化野念仏寺に置かれた(二尊院にも墓所はある)。

昭和6年(1931年)、正五位を追贈された[3]

脚注

  1. ^ コトバンク 美術人名辞典「角倉素庵」
  2. ^ 角倉與一(素庵)書状 関西大学
  3. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.59

関連項目




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「角倉素庵」の関連用語


2
100% |||||



5
吉田光由 デジタル大辞泉
100% |||||

6
角倉 デジタル大辞泉
92% |||||

7
嵯峨流 デジタル大辞泉
74% |||||




角倉素庵のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



角倉素庵のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの角倉素庵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS