八景の一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 14:08 UTC 版)
@media all and (max-width:720px){body.skin-minerva .mw-parser-output div.mw-graph{min-width:auto!important;max-width:100%;overflow-x:auto;overflow-y:visible}}.mw-parser-output .mw-graph-img{width:inherit;height:inherit} [全画面表示] 水戸八景の位置1 青柳夜雨2 太田落雁3 山寺晩鐘4 村松晴嵐5 水門帰帆6 巌船夕照7 広浦秋月8 僊湖暮雪 青柳夜雨 (あおやぎのやう).mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度23分19秒 東経140度28分31秒 / 北緯36.38858度 東経140.47533度 / 36.38858; 140.47533 (水戸八景「青柳夜雨」碑) 碑のある場所:水戸市青柳町、鹿島香取神社境内南の那珂川堤防の柳の木の下。 碑の形状等:横120cm、縦103cmの黒灰色の自然石。 かっては川岸に柳が植えられていたこの地からは那珂川を渡る渡し船、那珂川越しの水戸の城下町などの眺望があった。 太田落雁 (おおたのらくがん)北緯36度32分48秒 東経140度31分25秒 / 北緯36.54680度 東経140.52372度 / 36.54680; 140.52372 (水戸八景「太田落雁」碑) 碑のある場所:常陸太田市栄町、東崖の展望台。 碑の形状等:横140cm、縦170cmの花崗岩で赤味を帯びている。 かっては、この地域には真弓千石と呼ばれた水田が広がっており、眼下に水田、遠く先に阿武隈山地の眺望があった。 山寺晩鐘 (やまでらのばんしょう)北緯36度32分08秒 東経140度31分02秒 / 北緯36.53551度 東経140.51730度 / 36.53551; 140.51730 (水戸八景「山寺晩鐘」碑) 碑のある場所:常陸太田市稲木、西山研修所内東端。 碑の形状:横87cm、縦220cmの黒灰色の大理石。 この地は旧久昌寺の付属施設「三昧堂檀林」があった場所であり、近隣には佐竹寺、白鳥寺などの寺院があった。 村松晴嵐 (むらまつのせいらん)北緯36度27分05秒 東経140度35分54秒 / 北緯36.45127度 東経140.59844度 / 36.45127; 140.59844 (水戸八景「村松晴嵐」碑) 碑のある場所:那珂郡東海村村松、村松虚空蔵尊裏手の砂丘。 碑の形状等:横95cm、縦90cmの黒褐色の自然石。 かっては、この地から太平洋を見ることができた。「村松晴嵐」の碑は東海村の指定文化財(記念物)である。 水門帰帆 (みなとのきはん)北緯36度20分37秒 東経140度36分00秒 / 北緯36.34355度 東経140.60013度 / 36.34355; 140.60013 (水戸八景「水門帰帆」碑) 碑のある場所:ひたちなか市和田町、ひたちなか市役所那珂湊総合支所(旧那珂湊市役所)裏手。 碑の形状等:横120cm、縦214cmの大理石。 この地域は古くから"湊"と呼ばれ、"水門"は"湊"をもじったものである。この地は高台にあり、那珂湊漁港を見下ろす眺望があった。「水門帰帆」碑の横に、明治期の「水門帰帆」碑改修記念碑と藤田東湖の七言絶句を刻んだ碑がある。「水門帰帆」はひたちなか市指定文化財(名勝)である。 巌船夕照 (いわふねのゆうしょう、いわふねのせきしょう)北緯36度20分07秒 東経140度34分59秒 / 北緯36.33538度 東経140.58316度 / 36.33538; 140.58316 (水戸八景「巌船夕照」碑) 碑のある場所:東茨城郡大洗町祝町、願入寺裏の西側。 碑の形状等:横170cm、縦148cmの大理石。 涸沼川と那珂川の合流地点で、周辺に水田、西に筑波山、加波山の眺望があった。"巌"は資料によって"岩"とも表記される。 広浦秋月 (ひろうらのしゅうげつ)北緯36度17分06秒 東経140度31分15秒 / 北緯36.28511度 東経140.52088度 / 36.28511; 140.52088 (水戸八景「広浦秋月」碑) 碑のある場所:東茨城郡茨城町下石崎涸沼湖畔キャンプ場湖岸。 碑の形状等:横70cm、縦263cmの黒灰色の自然石。 "広浦"は、当時の地元民による涸沼の呼称である。かってこの地は砂州であり、周囲には老松が茂っており、涸沼の湖面、西に筑波山の眺望があった。「広浦秋月」碑の横に、水戸八景選定経過等を記した副碑「保勝碑」が1基建立されている。「広浦」は茨城県指定文化財(名勝)である。"広"は資料によって"廣"とも表記される。 僊湖暮雪 (せんこのぼせつ)北緯36度22分25秒 東経140度27分13秒 / 北緯36.37352度 東経140.45363度 / 36.37352; 140.45363 (水戸八景「僊湖暮雪」碑) 碑のある場所:水戸市常磐町、偕楽園南崖。 碑の形状等:横119cm、縦128cmの自然石。 "僊湖"は水戸市の千波湖のこと。"僊"は資料によって"仙"、"千"とも表記される。 「青柳夜雨」碑 「太田落雁」碑 「山寺晩鐘」碑 「村松晴嵐」碑 「水門帰帆」碑 「巌船夕照」碑 「広浦秋月」碑 「僊湖暮雪」碑
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八景の一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/15 10:02 UTC 版)
弘道館周辺と水戸城の壕 場所は三の丸1、2、3丁目。藩校「弘道館」と水戸城の壕跡が水戸藩の歴史を感じさせる界隈である。近年では域内の水戸市立三の丸小学校や水戸市立第二中学校が城内を思わせる風格ある景観に改修され、より趣きが増している。2月~3月には弘道館公園の梅、4月には壕の上に植えられた桜が楽しめる。 保和苑と周辺史跡 場所は松本町、愛宕町、八幡町。紫陽花の名所である保和苑周辺には古墳から神社仏閣まで様々な史跡が点在しており、「水戸のロマンチックゾーン」とも呼ばれている。 周辺にある史跡 愛宕山古墳、桂岸寺(通称「二十三夜尊」)、水戸八幡宮、常磐共有墓地、回天神社、祇園寺、曝井(さらしい) 偕楽園公園と千波湖周辺 場所は常磐町、千波町、見川1丁目。梅、萩等四季折々の花が楽しめる偕楽園公園と、そこから望む千波湖は斉昭の時代から続く景勝地である。のみならず、湖畔には散歩やジョギングをする市民が多く集い、また、湖に住む白鳥と間近に戯れることができる市民の憩いの場でもある。 水戸芸術館 場所は五軒町2丁目。音楽、美術、演劇の発信地である水戸芸術館は、また街中のオアシスとして芝生広場での休憩等で親しまれている。夏には広場の噴水(カスケード)で水遊びする子供でにぎわう。空にクネクネと伸びる銀色のアートタワーは夜間ライトアップされ、芸術的な装いをより高める。 備前堀 場所は柳町1丁目の水門から約12km。市内では下市と呼ばれる地区を流れる備前堀は江戸時代の商人街の雰囲気を伝えている。近年は公園等が整備され、より魅力ある景観へと生まれ変わっている。 水戸市森林公園と楮川ダム 場所は田野町、成沢町。里山の自然を残す水戸市森林公園は、実物大恐竜模型や、山羊とふれあえる場所などがあり、近くの楮川ダムと共に、水戸市のレジャースポットである。 ダイダラボウと大串貝塚ふれあい公園 場所は塩崎町。旧常澄村からは唯一の選出である。国道51号からも見える巨大なダイダラボウ像と、縄文時代の暮らしを紹介した大串貝塚ふれあい公園は古代のロマンを感じさせる場所である。 大塚池公園 場所は大塚町。大塚池は白鳥の飛来地として有名である。冬には白鳥の優雅な姿を目にすることができる。
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八景の一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/29 17:43 UTC 版)
八景の一覧は以下のとおりである。案内する資料により名称の読みや、景色の解釈に若干違いがある。 七面山秋月 読み:しちめんさんのしゅうげつ、しちめんざんのしゅうげつ 七面山は今の偕楽園の好文亭辺りにあった山である。 神崎寺晩鐘 読み:かみさきじのばんしょう 神崎寺は現在も水戸市天王町にある寺である。かって湖面はこの寺のすぐ近くまであった。千波湖の南西部に浮かべた舟上から神崎寺を眺んだ景観と案内する資料もある。 梅戸夕照 読み:うめとのゆうしょう、うめどのゆうしょう 資料によっては"梅戸崎夕照"と呼んでいる。 かって”梅戸崎”と呼ばれる岬が千波湖にはあり、千波大橋の市街よりの袂に見える切り立った崖がその名残である。"梅戸夕照"はその岬辺りから見た夕日の景観とする資料と、梅戸橋(1984年時点)の付近から見た景観とする資料がある。現在でも両地点付近からは壮麗な夕日を見ることができ、かつての佳景を偲ばせる。 下谷帰帆 読み:したやのきはん 「下谷」は旧町名の奈良屋町(現在の宮町3丁目)辺りのことを指す。かつては舟着場があった。 柳堤夜雨 読み:りゅうていのやう 柳堤は「新道」とも呼ばれていた、かつての千波湖の北東に存在していた、湖中に作られた土手道のことで、土手には柳が植えられていた。柳を植えたのは徳川光圀である。 藤柄晴嵐 読み:ふじがらのせいらん 吉田神社の東辺りは、かつて藤柄と呼ばれており、この地区の松並木道の際まで湖面は迫っていた。現代では埋め立てられている、かつての千波湖東側に浮かべた舟上から吉田神社及び松並木を眺めたものと案内する資料もある。 葑田落雁 読み:やぶたのらくがん、ほうでんのらくがん、かりたのらくがん "葑(ホウ)"は「マコモの根」の意味を持ち、マコモの根が絡み合い積み重なった状態を"葑田"とし、"葑田落雁"が示す景観は場所は未定であるが千波湖周辺の湿地帯であろうと案内する資料がある。一方、湿地帯があった場所を下市(水戸市の台町、紺屋町、藤柄町、檜物町、江戸町、七軒町、本、通、裡辺りは下市と呼ばれており、現在でも同界隈は下市の通称で地元では通じる。)の町端とする資料もあり、現在は埋め立てられてしまっている、かっての千波湖東側に浮かべた舟上からその町端を臨んだものと案内する資料もある。 緑岡暮雪 読み:みどりおかのぼせつ "緑岡"は現在の水戸市見川町の護国神社、徳川ミュージアム辺りの丘陵を指す。千波湖の南西部に浮かべた舟上から眺んだ景観とする説もある。千波湖と雪の組合せた景観は、徳川斉昭が水戸八景のひとつ「僊湖暮雪 (せんこのぼせつ)」でも称えている。
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