入門前~関脇とは? わかりやすく解説

入門前~関脇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 15:29 UTC 版)

琴欧洲勝紀」の記事における「入門前~関脇」の解説

2人兄弟次男で4人家族。レスリング経験者で、欧州ジュニアチャンピオンの実績も持つ。レスリング始める前はサッカーストライカー夢見たこともあったが、大き体格のせいでゴールキーパーしかやらせてもらえなかったという。大きな体は家系のようであり、自身含めて実家の家族4人の体重合計が400kgを超えたこともあった。少年時代には父からもレスリング基礎の手ほどきを受けた当初オリンピック目指すが、レスリング競技において無差別級廃止となった事もあってレスリングの道を断念したレスリング練習一環として行ったことが相撲との出会いとなっており、当時130であった自身大学内の相撲大会小柄な相手負けた悔しさ相撲打ち込んだきっかけとなった2001年ドイツ相撲選手権大会優勝ヨーロッパ相撲選手権大会個人3位団体優勝などの成績を残す。ドイツ大会会場佐渡ヶ嶽親方当時=元横綱琴櫻)のドイツ在住知人実業家中本部屋の元床山)にスカウトされ来日。翌2002年秋に佐渡ヶ嶽部屋入門する四股名ヨーロッパ出身であることに由来し下の名前の“勝紀”は師匠現役時代四股名である“琴櫻 傑將”の名前の読み(まさかつ)の一部本名鎌谷 紀雄”から一文字ずつ取った師匠佐渡ヶ嶽停年前、横綱昇進の際には自身現役名(琴櫻)から譲り琴櫻州(読み方そのまま)』への改名考え土俵入りの型も決めていたが、後に改名について撤回した2002年11月場所に初土俵踏んだ本人夏休み利用して体験入門行ったつもりであったが、部屋着いた途端パスポート没収され関取になるまで返さない宣告され騙されたような形で入門決まったのが真相である。佐渡ヶ嶽部屋周辺松戸市田舎のような風景には当初大都会想像していた琴欧州面食らい上位力士済ませるまで風呂ちゃんこを待つ大相撲しきたりには「これがプロスポーツ団体なのか?」と驚愕した当時新弟子食べ順番の時までちゃんこのおかずが残っているかどうか日によってまちまちちゃんこ鍋中身まで無い日もあり(一部報道によると汁すらなかったようであり、米にをかけて食べた日もあったという)、そんな中で冷たい白米食べるのは琴欧州にとって苦痛であったレスリング代表の合宿の際に医師トレーナー栄養士チーム帯同してコーチ練習内容組み立ててくれたことを思えば琴欧州にとって当時力士養成員扱いいつまで経って我慢できる代物ではなかったため、1日でも早く出世してやろうと思ったという。 日本語単語から覚えノートローマ字発音書きブルガリア語併記して半年ほど経過して日常会話ができるようになった部屋近く公衆電話国際電話故郷掛ける1000円テレホンカードを1分で使い切ってしまうた新弟子時代はほとんど故郷電話しなかった。下位時代当時既に関取であった部屋琴光喜付け人行っていた。 入門当初から部屋序二段互角に相撲を取っていたが当初三段目には敵わなかった。だが次第頭角現し初土俵から僅か8場所のスピード出世2004年5月場所新十両昇進この間負け越しはおろか3敗以上を喫することさえなかった。2003年2月に右膝を亜脱臼し、3月場所直前までギプス患部固めて松葉杖突いている状況であったが、当時部屋ルール三段目上でないと携帯電話自転車パソコン所持許されなかったため、序二段昇進した3月場所はそれらを目当て強行出場した十両2場所目の同年7月場所では13勝を挙げて十両優勝果たし、僅か2場所で十両通過して場所後の同年9月場所新入幕果たした入幕2場所目で11勝を挙げて自身初の三賞(敢闘賞)を獲得、さらにそこから2場所後の2005年3月場所では早くも新三役(西小結)となったが、この場所は4勝11敗と上位の壁に大きく跳ね返され自身初の負け越しとなった。(最も、前場前頭4目での9勝6敗によるやや幸運な昇進であったため、致し方ない面もあった)。2005年7月場所で小結復帰すると、8日目当時4場所連続優勝中で春場所から24連勝中だった朝青龍破り千秋楽まで2敗の相星朝青龍との優勝争い展開するも、千秋楽極度緊張から自分を見失いあっけなく黒星喫し、後に朝青龍勝利したため優勝逃した。それでも12勝3敗の好成績残して自身初の殊勲賞を獲得当時連勝であった朝青龍破ったことが切っ掛け朝青龍からは巡業かわいがりを受けるようになったが、琴欧州本人は「そこで逃げていると強くなれない」と耐え、後に「さんざん可愛がられた。それで強くなった」と振り返っている。 翌2005年9月場所には関脇昇進果たしそれまで大鵬千代の富士持っていた、年6場所制における新関脇での初日からの連勝記録(8連勝)を大幅に上回る12連勝新記録を樹立した。しかし13日目、朝青龍敗れ連勝ストップ。その翌日14日目には当時前頭16目ながら優勝争い加わっていた稀勢の里呆気なく敗れ12連勝のあと2連敗千秋楽大関千代大海勝って13勝2敗の成績とし、先場所果たせなかった朝青龍との優勝決定戦持ち込んだ13日目の本割続いて敗戦史上最速での初優勝は成らなかった。しかし史上1位タイとなる新関脇での13勝(過去1940年5月場所五ツ嶌1950年9月場所吉葉山新関脇13勝をあげている、後に2015年3月場所の照ノ富士並んだ)を挙げ自身2度目敢闘賞獲得。翌11月場所早くも大関獲りをかける場所となった大関挑戦の場所となった11月場所初日垣添敗れたものの、横綱朝青龍大関千代大海破り11勝4敗の成績挙げ殊勲賞と敢闘賞受賞三役での直近3場所を合計36勝を文句なし好成績で場所後に大関昇進佐渡ヶ嶽部屋では1981年昇進した琴風以来大関であり、外国人では史上5人目入門からわずか19場所での大関昇進は年6場所が定着した1958年以降では幕下付出除き史上最速であった

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