他の寺院とは? わかりやすく解説

他の寺院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 04:41 UTC 版)

長府」の記事における「他の寺院」の解説

覚苑寺 安養寺にある元禄11年1698年)に毛利綱元によって建立され黄檗宗寺院である。山号法輪山。本尊釈迦如来前身綾羅木にあった利済寺で悦山道宗和尚が観音像移して中興した。3代藩主綱元のほか、6代藩主毛利匡広13藩主毛利元周の墓がある。創建されるより前は和同開珎鋳銭であったまた、覚苑寺本堂下関市指定有形文化財指定されており、昭和61年1986年5月10日指定された。 日頼寺 侍町にある臨済宗東福寺派寺院山号は大雲山本尊阿弥陀如来前身小比叡極楽寺という天台宗寺院であったが、建立年などはよく分かっていない。開山瑞雲と言われる建立年は不明であるが、応永9年1402年3月18日大内氏からの裁許状残っている。毛利元清穂井田元清)が元号慶長のときに臨済宗改宗し日頼寺寺号改めた。この日頼は毛利元就戒名由来する明治2年1869年)には一度廃寺となった明治4年1871年5月極楽寺として復活した後、明治22年1889年)に日頼寺戻った寺宝として仲哀天皇聖跡地の綸旨足利尊氏大内義隆毛利元就毛利元清毛利秀元古文書などがある。 また、日頼寺仲哀天皇殯斂地(遺体一時的な安置場所)である。これについては先史時代節の仲哀天皇節を参照天皇殯斂地は明治35年1902年10月以降宮内省管轄となっている。 笑山寺 川端にある曹洞宗の寺院山号蓬萊山本尊如意輪観音前身亀の甲にあった潮音院元和のとき、毛利秀元実母(=穂井田元清妻)松渓妙寿の名前から妙寿寺寺号改めた。そして承応元年1652年)に毛利元清戒名にちなん寺号改めた2代藩主毛利光広7代藩主毛利師就墓所である。笑山寺にある十三重塔昭和50年1975年2月27日下関市指定文化財指定された。 立善寺 中之町にある天文2年1533年4月に浄念によって建立され浄土真宗の寺院山号光栄山。本尊阿弥陀如来。もとは惣社町方にあったが、元号元禄のときに現在の場所に移された。寺号である立善寺が本願寺から許可されたのは建立から約1世紀後となる元号寛永住職3世教存のときであった長府大火では全焼しそれ以前にも火災遭うことはしばしばあったが、阿弥陀如来絵像焼けることが無かったため、火除如来と言われている。長府大火の後、昭和29年1954年12月5日には本堂竣工した徳応寺 金屋町にある元号元亀のときに建立され浄土真宗の寺院山号称名山。本尊阿弥陀如来。もともと加賀国にあったものを徳応寺4世の了恵が新設してできた。その後長府移ってきてからの3代目住職了念のときに本願寺から寺号許可された。境内には田上菊舎文塚がある。 正円寺 中之町にある元号文亀のころに建てられ元真言宗、現浄土真宗の寺院山号は鼓石山本尊阿弥陀如来開基は浄信。樹齢千年といわれる大イチョウ県指定天然記念物指定されている。 福昌寺 松小田にある曹洞宗の寺院山号東光山本尊薬師如来大同2年807年)に海面にあった薬師如来得てこの松小田の場所に安置したのが発端であると伝えられている。承応から明暦 (1652-1658) のころに東福寺の僧、会下恵禅が再興しため「東福」から東光山福昌寺となった寺院建立したのは万治のころで、功山寺の基外嶺雄大による。 本覚寺 中之町にある浄土宗の寺院山号法性山。本尊阿弥陀如来開山は圓譽上人琳琢。かつては称名寺呼ばれていたが、文亀元年1501年)、土肥山から現在地移転したのち明暦3年1657年)に本覚寺改称した明治29年1896年)および明治33年1900年)には類焼別の家屋等からの延焼)により被害受けた明治35年1902年)には再建した境内には田上菊舎松田さつの墓がある。 大乗寺 金屋町にある浄土宗の寺院山号は願海山本尊阿弥陀如来開山は中譽(忠誉)一得上人開基毛利秀元初め専称寺として永禄元年1558年)に建立された。元和3年1617年)には毛利秀元の弟、毛利宮吉丸戒名から浄巌寺となり、明治5年1872年になって大乗寺改称した法華寺 金屋町ある日蓮宗寺院山号妙光山。本尊十界曼荼羅旧国尼寺伝えられており、光明皇后発願建立され寺院であると伝えられている。もとは安養寺付近にあったが元和元年1615年)に日就により現在の場所まで移された。一度住職2世日伝のときに諦玄寺に改名したが、明治3年1870年)には法華寺戻った昭和31年1956年1月8日には一度火災経験し昭和39年1964年11月再建された。 妙真寺 印内町にある昭和13年1938年)に日順が建立した日蓮宗の寺院山号は影鏡山本尊日蓮上人松田さつの生誕地でもある。 慈雲寺 前田にある曹洞宗の寺院山号旭光山。本尊十一面観音安永2年1773年)に建立された。文久3年1863年)、下関戦争によりフランス一時占領されたときに全焼したその後下村繁参という人物により再建された。 円光寺幡生移動) かつて長府にあった寺院で、もともとは念正という僧が大永元年1521年)に建てたのである修禅寺狗留孫山の方へ統合) かつて長府別院として設置され真言宗寺院文保元年1317年)乗行上人により建立され元応2年1320年)には後醍醐天皇により勅願所指定された。寛永21年1644年)と元禄元年1688年)には修復され記録がある。 国分寺南部町移動) かつて長府にあった国分寺開山行基跡地からは礎石や瓦が発見されている。本尊薬師如来であった元号宝亀ときには一度火災遭い貞観15年873年8月20日になってやっと再建許可された。江戸初期にはすでに荒れ果てており元和元年1615年)には毛利秀元修理し寛政5年1793年)には本堂再建されたが、明治23年1890年4月11日にに南部町移転した国分寺創建された時代の瓦は主に本瓦葺主流であったため、発掘された瓦は軒平瓦軒丸瓦である。国分寺から出土した瓦は均整唐草文軒平瓦と複弁八葉蓮華文軒丸瓦よばれる種類の瓦であった。 律成寺(りつじょうじ)(廃) かつて長府にあった寺院。別名は巌院(うんかんいん)。忌宮神社古文書である「二宮社領社頭掟書」の天正16年1588年5月13日部分には二宮(=忌宮神社)について「存知と書かれており、神宮寺別当寺であった考えられている。また、律成寺は国分寺と仲が悪かったといわれている。 勧学院(廃) かつて長府にあった寺院山号菅原山。菅原道真左遷され泊まった場所である(伝承の節参照)。現在の長府毛利邸位置にあって明治維新のときに廃寺になったと言われているが、詳細不明

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水城寺」の記事における「他の寺院」の解説

総本山 長久山本成寺新潟県三条市関西教区別院 光了山本禅寺京都府京都市) この項目は、日本の歴史関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。 この項目は、福岡県関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者求めています(Portal:日本の都道府県/福岡県)。 この項目は、仏教関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。

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