他の寺院
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覚苑寺 安養寺にある元禄11年(1698年)に毛利綱元によって建立された黄檗宗の寺院である。山号は法輪山。本尊は釈迦如来。前身は綾羅木にあった利済寺で悦山道宗和尚が観音像を移して中興した。3代藩主綱元のほか、6代藩主毛利匡広、13代藩主毛利元周の墓がある。創建されるより前は和同開珎の鋳銭所であった。 また、覚苑寺の本堂は下関市指定有形文化財に指定されており、昭和61年(1986年)5月10日に指定された。 日頼寺 侍町にある臨済宗東福寺派の寺院。山号は大雲山。本尊は阿弥陀如来。前身は小比叡山極楽寺という天台宗の寺院であったが、建立年などはよく分かっていない。開山は瑞雲と言われる。建立年は不明であるが、応永9年(1402年)3月18日の大内氏からの裁許状が残っている。毛利元清(穂井田元清)が元号が慶長のときに臨済宗に改宗し、日頼寺に寺号を改めた。この日頼は毛利元就の戒名に由来する。明治2年(1869年)には一度廃寺となったが明治4年(1871年)5月に極楽寺として復活した後、明治22年(1889年)に日頼寺に戻った。寺宝として仲哀天皇聖跡地の綸旨、足利尊氏・大内義隆・毛利元就・毛利元清・毛利秀元の古文書などがある。 また、日頼寺は仲哀天皇の殯斂地(遺体の一時的な安置場所)である。これについては先史時代節の仲哀天皇節を参照。天皇の殯斂地は明治35年(1902年)10月以降は宮内省の管轄となっている。 笑山寺 川端にある曹洞宗の寺院。山号は蓬萊山。本尊は如意輪観音。前身は亀の甲にあった潮音院。元和のとき、毛利秀元が実母(=穂井田元清妻)松渓妙寿の名前から妙寿寺に寺号を改めた。そして承応元年(1652年)に毛利元清の戒名にちなんで寺号を改めた。2代藩主毛利光広や7代藩主毛利師就の墓所である。笑山寺にある十三重塔は昭和50年(1975年)2月27日に下関市指定文化財に指定された。 立善寺 中之町にある天文2年(1533年)4月に浄念によって建立された浄土真宗の寺院。山号は光栄山。本尊は阿弥陀如来。もとは惣社町の方にあったが、元号が元禄のときに現在の場所に移された。寺号である立善寺が本願寺から許可されたのは建立から約1世紀後となる元号が寛永で住職が3世教存のときであった。長府の大火では全焼し、それ以前にも火災に遭うことはしばしばあったが、阿弥陀如来の絵像は焼けることが無かったため、火除如来と言われている。長府の大火の後、昭和29年(1954年)12月5日には本堂が竣工した。 徳応寺 金屋町にある元号が元亀のときに建立された浄土真宗の寺院。山号は称名山。本尊は阿弥陀如来。もともと加賀国にあったものを徳応寺4世の了恵が新設してできた。その後、長府に移ってきてからの3代目住職了念のときに本願寺から寺号が許可された。境内には田上菊舎の文塚がある。 正円寺 中之町にある元号が文亀のころに建てられた元真言宗、現浄土真宗の寺院。山号は鼓石山。本尊は阿弥陀如来。開基は浄信。樹齢千年といわれる大イチョウは県指定天然記念物に指定されている。 福昌寺 松小田にある曹洞宗の寺院。山号は東光山。本尊は薬師如来。大同2年(807年)に海面にあった薬師如来を得てこの松小田の場所に安置したのが発端であると伝えられている。承応から明暦 (1652-1658) のころに東福寺の僧、会下恵禅が再興しため「東福」から東光山福昌寺となった。寺院を建立したのは万治のころで、功山寺の基外嶺雄大による。 本覚寺 中之町にある浄土宗の寺院。山号は法性山。本尊は阿弥陀如来。開山は圓譽上人琳琢。かつては称名寺と呼ばれていたが、文亀元年(1501年)、土肥山から現在地に移転したのち明暦3年(1657年)に本覚寺に改称した。明治29年(1896年)および明治33年(1900年)には類焼(別の家屋等からの延焼)により被害を受けたが明治35年(1902年)には再建した。境内には田上菊舎と松田さつの墓がある。 大乗寺 金屋町にある浄土宗の寺院。山号は願海山。本尊は阿弥陀如来。開山は中譽(忠誉)一得上人。開基は毛利秀元。初めは専称寺として永禄元年(1558年)に建立された。元和3年(1617年)には毛利秀元の弟、毛利宮吉丸の戒名から浄巌寺となり、明治5年(1872年)になって大乗寺に改称した。 法華寺 金屋町にある日蓮宗の寺院。山号は妙光山。本尊は十界曼荼羅。旧国分尼寺と伝えられており、光明皇后の発願で建立された寺院であると伝えられている。もとは安養寺付近にあったが元和元年(1615年)に日就により現在の場所まで移された。一度、住職が2世日伝のときに諦玄寺に改名したが、明治3年(1870年)には法華寺に戻った。昭和31年(1956年)1月8日には一度火災を経験し、昭和39年(1964年)11月に再建された。 妙真寺 印内町にある昭和13年(1938年)に日順が建立した日蓮宗の寺院。山号は影鏡山。本尊は日蓮上人。松田さつの生誕地でもある。 慈雲寺 前田にある曹洞宗の寺院。山号は旭光山。本尊は十一面観音。安永2年(1773年)に建立された。文久3年(1863年)、下関戦争によりフランスに一時占領されたときに全焼した。その後、下村繁参という人物により再建された。 円光寺(幡生に移動) かつて長府にあった寺院で、もともとは念正という僧が大永元年(1521年)に建てたものである。 修禅寺(狗留孫山の方へ統合) かつて長府に別院として設置された真言宗の寺院。文保元年(1317年)乗行上人により建立され、元応2年(1320年)には後醍醐天皇により勅願所に指定された。寛永21年(1644年)と元禄元年(1688年)には修復された記録がある。 国分寺(南部町に移動) かつて長府にあった国分寺。開山は行基。跡地からは礎石や瓦が発見されている。本尊は薬師如来であった。元号が宝亀のときには一度火災に遭い、貞観15年(873年)8月20日になってやっと再建が許可された。江戸初期にはすでに荒れ果てており元和元年(1615年)には毛利秀元が修理し、寛政5年(1793年)には本堂が再建されたが、明治23年(1890年)4月11日にに南部町に移転した。 国分寺が創建された時代の瓦は主に本瓦葺が主流であったため、発掘された瓦は軒平瓦と軒丸瓦である。国分寺から出土した瓦は均整唐草文の軒平瓦と複弁八葉蓮華文の軒丸瓦とよばれる種類の瓦であった。 律成寺(りつじょうじ)(廃) かつて長府にあった寺院。別名は雲巌院(うんかんいん)。忌宮神社の古文書である「二宮社領幷社頭掟書」の天正16年(1588年)5月13日の部分には二宮(=忌宮神社)について「存知」と書かれており、神宮寺や別当寺であったと考えられている。また、律成寺は国分寺と仲が悪かったといわれている。 勧学院(廃) かつて長府にあった寺院。山号は菅原山。菅原道真が左遷されて泊まった場所である(伝承の節参照)。現在の長府毛利邸の位置にあって、明治維新のときに廃寺になったと言われているが、詳細不明。
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総本山 長久山本成寺(新潟県三条市) 関西教区 京別院 光了山本禅寺(京都府京都市) この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。 この項目は、福岡県に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:日本の都道府県/福岡県)。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
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