二十八部衆像の配置換えと像名変更
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「三十三間堂」の記事における「二十八部衆像の配置換えと像名変更」の解説
二十八部衆は、千手観音の眷属28体からなる群像である。三十三間堂に安置される木造二十八部衆像28体の各像の名称については、長い年月の間に混乱が生じ、必ずしも本来の像名ではないものが含まれていた。このため、三十三間堂を管理する妙法院では、2018年(平成30年)、千手観音立像1,001体の修理完了と国宝指定を機に、二十八部衆像の配置換えと一部の像の名称変更を行い、学術的により正確な名称と配置に改めた。 二十八部衆は、伽梵達摩訳『千手経』の偈(げ)や『金光明経』「鬼神品」に列挙される護法神にそのルーツが求められる。しかし、2018年(平成30年)に名称変更が行われる以前の三十三間堂の二十八部衆像の像名(以下、「従来の像名」という)は、これらの経典に登場するものとは必ずしも一致せず、混乱が生じていた。従来の像名には、「満仙王」、「金大王」、「摩和羅女」など、『千手経』・『金光明経』のいずれにも登場しない、典拠不明のものが含まれていた。また、江戸時代初頭の慶長年間(1600 - 1605年)に仏師康正が二十八部衆像の修理を行っているが、その際に康正が残した修理銘には、従来の像名とは異なる名称が記されているものがあった。 美術史家の伊東史朗は、1997年刊行の著書において、滋賀・常楽寺の木造二十八部衆像や京都・禅林寺所蔵の千手観音二十八部衆画像(南北朝時代)との比較を通して、三十三間堂像の正しい像名復元を試みた。彫像の場合は、長い年月の間に各像の持物や手先などが後補のものに変わっている場合があるが、画像の場合はそのおそれがなく、像名が添え書きされた画像と比較することは、正確な像名を知るための有効な手段となる。ただし、伊東が比較に用いた禅林寺本は南北朝時代の作で、三十三間堂像の創建から約200年後、現存する二十八部衆像の制作から約100年後の画像であることから、禅林寺本との比較によってすべての問題を解決するには至らなかった。 2018年(平成30年)の像名変更に際し、妙法院では、前述の伊東の研究成果に加え、解体修理時に見出された各像の彩色痕跡、前述の慶長期の修理銘、細見美術館所蔵の千手観音二十八部衆画像(前述の禅林寺の画像より古い、鎌倉時代の作)との比較などを踏まえて像名を決定した。それとともに、堂内における各像の配置も変更された。なかでも注目されるのは四天王像の配置場所である。2018年以前は、本尊千手観音坐像の周囲には二十八部衆のうちの四天王像4体が安置され、他の24体は須弥壇の最前列に横一列に配置されていた。2018年の配置換え後は、本尊の周囲に近侍するのは婆籔仙、大弁功徳天、大梵天王、帝釈天王の4体となり、四天王4体は、須弥壇最前列の、本尊にもっとも近い位置に左右2体ずつ配置されるようになった。これは、敦煌壁画などにおける千手観音と眷属像の配置を参照した結果によるものである。 以下は、二十八部衆の像名一覧である(2018年の像名変更以前と以後の対照表)。(*)印を付した13体は、2018年に像名が変更されたもの。なお、他の15体についても一部漢字表記の変更がある。 二十八部衆の像名一覧 像名(新)読み方像名(旧)像容特色那羅延堅固 ならえんけんご 那羅延堅固 上半身裸形の力士形、開口し、右手は掌を開いて下げ、左手は肩の辺に上げ拳をつくる 金剛力士(仁王)の阿形に相当。 難陀龍王 なんだりゅうおう 難陀竜王 武装像、両手で竜の体部を支える 『千手経』の受持者を守る龍王。 摩睺羅 まごら 摩睺羅迦王 五眼をもつ異相、琵琶(後補)を弾く姿に表す、頭上に蛇が乗る 八部衆の一。 緊那羅(*) きんなら 神母天 女神、両手を胸の辺に上げ、鈸子(ばっし、シンバルに似た楽器、後補)を持つ 八部衆の一。 迦楼羅 かるら 迦楼羅王 半人半鳥の異形、横笛を吹き、右足のつま先を上げてリズムを取る姿で表す 八部衆の一。 乾闥婆 (*) けんだつば 緊那羅王 腹前に羯鼓(かっこ、後補)を構え、両手で叩く動作をする 八部衆の一。 毘舎闍(*) びしゃじゃ 乾闥婆王 上半身裸形、右手は肩の辺に上げ輪宝(後補)を捧げ持ち、左手は胸辺に上げる(持物欠) 屍肉を喰らう悪鬼。 散支大将(*) さんしたいしょう 満仙王 武装像、右手は腰辺に構え独鈷杵(後補)を持ち、左手で戟(後補)を支える 『金光明経』に説かれる夜叉神。 満善車鉢(*) まんぜんしゃはつ 毘楼勒叉天 武装像、右手は肩辺に上げ独鈷杵(後補)を持ち、左手は体側に下げる 満善と車鉢羅婆の二尊の夜叉神を合わせた尊格。 摩尼跋陀羅(*) まにばだら 金大王 武装像、右手は胸の辺に上げ独鈷杵(後補)を持ち、左手は腰にあてる 八大夜叉大将の一。 毘沙門天 びしゃもんてん 毘沙門天 武装像、右手で戟(後補)を支え、左手に宝塔(後補)を捧げる 四天王の一で北方を守護(多聞天)。 毘楼勒叉(*) びるろくしゃ 東方天 武装像、右手は振り上げ、剣または独鈷を持つ構え、左手は腰にあてる 四天王の一で南方を守護。 婆藪仙 ばすせん 婆藪仙人 上半身裸形の老人、右手で杖(後補)をつき、右腕の上に左腕を乗せ、経巻(後補)を持つ 千手観音の脇侍。 大弁功徳天 だいべんくどくてん 大弁功徳天 唐装の女神(じょしん)、両手を胸の辺に上げる、元は右手に剣、左手に宝珠を持つか 千手観音の脇侍。 大梵天王 だいぼんてんおう 大梵天王 唐装、右手は胸辺に上げ(持物欠)、左手は下げ掌に小壺を載せる 帝釈天と一対で安置されることが多い。古代インドのブラフマーに由来。 帝釈天王 たいしゃくてんおう 帝釈天 衣の下に甲を着する、右手に宝鏡(後補)を持ち、左手は腰辺に構える 梵天と一対で安置されることが多い。インドのインドラ神に由来。 提頭頼吒王(*) だいずらたおう 五部浄居天 武装像、腹前で両腕を交叉させ、左手に短刀(柄のみ当初のもの)を持ち、右手は太刀(後補)を地面に突く 四天王の一で東方を守護。 毘楼博叉 びるばくしゃ 毘楼博叉天 武装像、冑を被り、右手は腰前に構え独鈷杵(後補)を持ち、左手で戟(後補)を支える 四天王の一で西方を守護。 薩遮摩和羅(*) さしゃまわら 摩醯首羅王 上半身裸形、右手は肩の高さで掌を開き、左手は頂部に鳥の付いた杖(後補)を支える その由来には諸説ある謎の尊格。 五部浄居(*) ごぶじょうご 金色孔雀王 武装像、右手は体側に下げ、左手は胸辺で剣(後補)を縦に構える 興福寺では八部衆の「天」に相当。 金色孔雀王(*) こんじきくじゃくおう 散脂大将 武装像、顔面が裂け、中から別の顔が現れる異相、右手は振り上げ剣(後補)を持ち、左手は腰辺に構える 孔雀明王が騎乗する孔雀を独立した尊格としたものとされる。顔が割れて中から別の顔が現れるという姿に関しては、鳥類によく見られる雌雄モザイクを表しているのではないかという見解を三十三間堂は示している。 神母女(*) じんもにょ 摩和羅女 俗形の老女、合掌する姿に表す 鬼子母神の名で知られる安産、子育ての女神。 金毘羅 こんぴら 金毘羅王 武装像、冑(かぶと)を被り、両手を腰の辺で構え、右手に矢、左手に弓を持つ 鰐神・海神。 畢婆伽羅 ひばから 畢婆迦羅王 武装像、右手は腰辺に構え、左手は剣または独鈷を執る構えとする その由来には諸説ある謎の尊格。 阿修羅 あしゅら 阿修羅王 三面六臂の異形 八部衆の一。 伊鉢羅(*) いはつら 満善車王 武装像、両手を胸の辺に上げ、右手に小槌、左手に蛇を持つ 『千手経』の受持者を守護する龍王。 娑伽羅龍王 さがらりゅうおう 沙羯羅竜王 武装像、頭上に5匹の蛇があり、右手に剣、左手に蛇(後補)を持つ 興福寺では八部衆の「竜」に相当。 密迹金剛士 みっしゃくこんごうし 密迹金剛 上半身裸形の力士形、閉口、右手は腹の高さに上げ掌を開き、左手は腰の辺で拳をつくる 金剛力士(仁王)像の内の吽形像に相当。
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