二十八部衆像の配置換えと像名変更とは? わかりやすく解説

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二十八部衆像の配置換えと像名変更

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 20:26 UTC 版)

三十三間堂」の記事における「二十八部衆像の配置換えと像名変更」の解説

二十八部衆は、千手観音眷属28からなる群像である。三十三間堂安置される木造二十八部衆28体の各像の名称については、長い年月の間に混乱生じ、必ずしも本来の像名ではないものが含まれていた。このため三十三間堂管理する妙法院では、2018年平成30年)、千手観音立像1,001体の修理完了国宝指定機に二十八部衆像の配置換え一部の像の名称変更行い学術的により正確な名称と配置改めた二十八部衆は、伽梵達摩訳『千手経』の偈(げ)や『金光明経』「鬼神品」に列挙される護法神にそのルーツ求められる。しかし、2018年平成30年)に名称変更が行われる以前三十三間堂二十八部衆像の像名(以下、「従来の像名」という)は、これらの経典登場するものとは必ずしも一致せず混乱生じていた。従来の像名には、「満仙王」、「金大王」、「摩和羅女」など、『千手経』・『金光明経』のいずれにも登場しない典拠不明のものが含まれていた。また、江戸時代初頭慶長年間1600 - 1605年)に仏師康正二十八部衆像の修理行っているが、その際康正残した修理銘には、従来の像名とは異なる名称が記されているものがあった。 美術史家伊東史朗は、1997年刊行著書において、滋賀常楽寺木造二十八部衆像や京都禅林寺所蔵千手観音二十八部衆画像南北朝時代)との比較通して三十三間堂像の正しい像名復元試みた彫像場合は、長い年月の間に各像の持物手先などが後補のものに変わっている場合があるが、画像場合はそのおそれがなく、像名が添え書きされた画像比較することは、正確な像名を知るための有効な手段となる。ただし、伊東比較用いた禅林寺本は南北朝時代の作で、三十三間堂像の創建から約200年後現存する二十八部衆像の制作から約100年後の画像であることから、禅林寺本との比較によってすべての問題解決するには至らなかった。 2018年平成30年)の像名変更際し妙法院では、前述伊東研究成果加え解体修理時に見出された各像の彩色痕跡前述慶長期の修理銘、細見美術館所蔵千手観音二十八部衆画像前述禅林寺画像より古い、鎌倉時代の作)との比較などを踏まえて像名を決定した。それとともに堂内における各像の配置変更された。なかでも注目されるのは四天王像配置場所である。2018年以前は、本尊千手観音坐像周囲には二十八部衆のうちの四天王像4体が安置され、他の24体は須弥壇最前列に横一列配置されていた。2018年配置換え後は、本尊周囲近侍するのは婆籔仙、大弁功徳天大梵天王帝釈天王の4体となり、四天王4体は、須弥壇最前列の、本尊もっとも近い位置左右2体ずつ配置されるようになった。これは、敦煌壁画などにおける千手観音眷属像の配置参照した結果よるものである。 以下は、二十八部衆の像名一覧である(2018年の像名変更以前以後対照表)。(*)印を付した13体は、2018年に像名が変更されたもの。なお、他の15体についても一部漢字表記変更がある。 二十八部衆の像名一覧 像名(新)読み方像名(旧)像容特色那羅延堅固 ならえんけんご 那羅延堅固 上半身裸形力士形、開口し、右手は掌を開いて下げ左手は肩の辺に上げ拳をつくる 金剛力士仁王)の阿形に相当。 難陀龍王 なんだりゅうおう 難陀竜王 武装像、両手で竜の体部支える 『千手経』の受持者を守る龍王摩睺羅 まごら 摩睺羅迦王 五眼をもつ異相琵琶(後補)を弾く姿に表す、頭上乗る 八部衆の一。 緊那羅(*) きんなら 神母天 女神、両手を胸の辺に上げ鈸子(ばっし、シンバル似た楽器、後補)を持つ 八部衆の一。 迦楼羅 かるら 迦楼羅半人異形横笛吹き右足つま先上げてリズムを取る姿で表す 八部衆の一。 乾闥婆 (*) けんだつば 緊那羅王 腹前に羯鼓(かっこ、後補)を構え両手で叩く動作をする 八部衆の一。 毘舎闍(*) びしゃじゃ 乾闥婆上半身裸形右手は肩の辺に上げ輪宝(後補)を捧げ持ち左手は胸辺に上げる(持物欠) 屍肉喰らう悪鬼散支大将(*) さんしたいしょう 満仙王 武装像、右手は腰辺に構え独鈷杵(後補)を持ち左手で戟(後補)を支える 『金光明経』に説かれる夜叉神。 満善車鉢(*) まんぜんしゃはつ 毘勒叉天 武装像、右手は肩辺に上げ独鈷杵(後補)を持ち左手体側下げる 満善と車鉢羅婆の二尊夜叉神合わせた尊格摩尼跋陀羅(*) まにばだら 金大武装像、右手は胸の辺に上げ独鈷杵(後補)を持ち左手は腰にあてる 八大夜叉大将の一。 毘沙門天 びしゃもんてん 毘沙門天 武装像、右手で戟(後補)を支え左手宝塔(後補)を捧げる 四天王の一で北方守護多聞天)。 毘勒叉(*) びるろくしゃ 東方天 武装像、右手振り上げ、剣または独鈷を持つ構え左手は腰にあてる 四天王の一で南方守護婆藪仙 ばすせん 婆藪仙人 上半身裸形老人右手(後補)をつき、右腕の上左腕乗せ経巻(後補)を持つ 千手観音脇侍大弁功徳天 だいべんくどくてん 大弁功徳天 唐装の女神じょしん)、両手を胸の辺に上げる、元は右手に剣、左手宝珠を持つか 千手観音脇侍大梵天王 だいぼんてんおう 大梵天王 唐装、右手は胸辺に上げ持物欠)、左手下げ掌に小壺載せる 帝釈天一対安置されることが多い。古代インドブラフマー由来帝釈天たいしゃくてんおう 帝釈天 衣の下に甲を着する右手に宝鏡(後補)を持ち左手は腰辺に構え梵天一対安置されることが多い。インドインドラ神に由来。 提頭頼吒王(*) だいずらたおう 五部浄居天 武装像、腹前で両腕交叉させ、左手短刀(柄のみ当初のもの)を持ち右手太刀(後補)を地面に突く 四天王の一で東方守護。 毘博叉 びるばくしゃ博叉天 武装像、冑を被り右手は腰前に構え独鈷杵(後補)を持ち左手で戟(後補)を支え四天王の一で西方守護。 薩遮摩和羅(*) さしゃまわら 摩醯首羅上半身裸形右手は肩の高さで掌を開き左手頂部付いた(後補)を支える その由来には諸説ある謎の尊格五部浄居(*) ごぶじょう金色孔雀王 武装像、右手体側下げ左手は胸辺で剣(後補)を縦に構え興福寺では八部衆の「天」に相当。 金色孔雀王(*) こんじきくじゃくおう 散脂大将 武装像、顔面裂け、中から別の顔が現れる異相右手振り上げ剣(後補)を持ち左手は腰辺に構え孔雀明王騎乗する孔雀独立した尊格したものとされる。顔が割れて中から別の顔が現れるという姿に関しては、鳥類によく見られる雌雄モザイク表しているのではないかという見解三十三間堂示している。 神母女(*) じんもにょ 摩和羅女 俗形老女合掌する姿に表す 鬼子母神の名で知られる安産子育て女神金毘羅 こんぴら 金毘羅武装像、冑(かぶと)を被り両手を腰の辺で構え右手に矢、左手に弓を持つ 神・海神。 畢婆伽羅 ひばから 畢婆迦羅武装像、右手は腰辺に構え左手は剣または独鈷執る構えとする その由来には諸説ある謎の尊格阿修羅 あしゅら 阿修羅王 三面六臂異形 八部衆の一。 伊鉢羅(*) いはつら 満善車王 武装像、両手を胸の辺に上げ右手小槌左手を持つ 『千手経』の受持者を守護する龍王。 娑伽羅龍王 さがらりゅうおう 沙羯羅竜王 武装像、頭上に5匹のがあり、右手に剣、左手(後補)を持つ 興福寺では八部衆の「竜」に相当。 密迹金剛みっしゃくこんごう密迹金剛 上半身裸形力士形、閉口右手は腹の高さに上げ掌を開き左手は腰の辺で拳をつくる 金剛力士仁王)像の内の吽形像に相当。

※この「二十八部衆像の配置換えと像名変更」の解説は、「三十三間堂」の解説の一部です。
「二十八部衆像の配置換えと像名変更」を含む「三十三間堂」の記事については、「三十三間堂」の概要を参照ください。

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