レイテ決戦とは? わかりやすく解説

レイテ決戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 00:44 UTC 版)

太平洋戦争」の記事における「レイテ決戦」の解説

詳細は「フィリピンの戦い (1944-1945年)」を参照 日本軍占領されていたフィリピン奪還については、アメリカ陸軍は「戦略必要なし」と判断しており、アメリカ海軍もそれに同意する意見多かった統合参謀本部は、マッカーサー東京へ進撃スピード張り合っていたアメリカ太平洋艦隊司令長官太平洋戦域最高司令官チェスター・ニミッツ提督進行中であったマリアナ諸島及びパラオ諸島攻略作戦であるフォレイジャー作戦成功すればB-29により直接東京攻撃できるうになるため、フィリピン占領遥かに低い軍事的優先順位となるものであった。しかし、開戦初頭フィリピンの戦い敗北しオーストラリア脱出させられマッカーサー名誉挽回のため、フィリピン奪還主張したマッカーサーマスコミ使ってフィリピン奪還必要性主張し続け世論味方につけたマッカーサー同意する軍関係者増えてアメリカ軍内の意見真っ二つ割れていた。ルーズベルトこのような状況業を煮やして、マッカーサーニミッツ直接意見聞いて方針決めこととし1944年7月26日両名ハワイ召喚したマッカーサー1944年大統領選見据えて、「アメリカ国民激し怒りは貴方への反対となって跳ね返ってくる」と脅迫するなど熱弁振るって体調芳しくなかったルーズベルト押し切ってフィリピン奪還承諾させた。 攻略目標は、偵察結果日本軍配備兵力少なレイテ島とされた。その作戦準備のために台湾近海進出してきた第38任務部隊日本軍の間で激戦繰り広げられ1944年10月には沖縄十・十空襲台湾沖航空戦展開したこの頃には、ノルマンディー上陸作戦成功ヨーロッパ戦局最終段階入ったものと見なされてルーズベルトチャーチルといった連合国指導者たちは太平洋戦局重大な関心を持つようになっており、膨大な戦力の準備が必要であったマッカーサーにとっては追い風となった連合軍基本方針であった「まずはドイツを叩く」はキングマッカーサー太平洋の軍有力者反論で既に有名無実化されていたが、フィリピン作戦マッカーサー政治力発揮し大量兵力確保したことで、逆にヨーロッパ戦線への補充減らされる一方となっており、このことがのちのドイツ軍最後反撃である「バルジの戦い」を招くこととなった10月には、アメリカ軍フィリピンレイテ島への進攻開始したレイテ島の戦い)。日本軍台湾沖航空戦アメリカ軍機動部隊大打撃与えたという虚報振り回されており、大本営の横やりで現地第14方面軍司令官山下奉文大将反対押し切りレイテ決戦場としてアメリカ軍決戦挑むこととし捷一号作戦発動した。連合艦隊主力アメリカ輸送艦隊を撃滅次いで陸軍ルソン島より順次増援レイテ派遣し上陸軍を撃滅しようという作戦だった。連合艦隊はこの大本営方針従いレイテ島向かって出撃レイテ沖海戦発生した連合艦隊空母「瑞鶴」主力とする機動部隊を、米機動部隊ひきつけるための囮として使い栗田健男中将率い戦艦大和」「武蔵」を主力とする戦艦部隊栗田艦隊)による、レイテ島の上部隊乗せた輸送船隊の殲滅期した。しかし、既に作戦期日3日の遅れが生じていたため、栗田艦隊レイテ湾目前反転し失敗終わった。この海戦日本海軍空母4隻と武蔵以下主力戦艦3隻、重巡6隻など多数艦艇失い事実上壊滅し組織的な作戦能力はほぼ喪失したまた、この戦いにおいて第一航空艦隊司令長官大西瀧治郎中将神風特別攻撃隊編成し指揮官関行男大尉指揮によって初の航空機による組織的な特別攻撃が行われ、アメリカ海軍護衛空母撃沈などの戦果上げている。 マッカーサーは「I shall return」の宣言通りレイテ島上陸し日本軍政苦しめられていた多くフィリピン国民熱狂的にマッカーサー帰還歓迎した。しかしアメリカ軍苦境はなおも続きレイテ沖海戦連合艦隊撃退したものの、レイテ島上陸直後アメリカ軍飛行場確保苦労しており、唯一確保したタクロバン飛行場雨が降るまともに使用できないなど、航空戦力十分に活用できていなかった。第4航空軍司令官富永恭次中将はその好機活かしてアメリカ軍飛行場連日連夜猛攻撃をかけた。アメリカ軍一晩100機の作戦機撃破されたり100名の搭乗員戦死するなど大損害を被った富永アメリカ軍の上陸拠点への攻撃命じ11月第1週には、揚陸たばかりの2,000トンガソリンや1,700トン弾薬爆砕し、上陸したアメリカ軍補給線脅かしたまた、マッカーサーのいる司令部にも猛攻加えてマッカーサー幕僚たちは何度も命の危機曝されるなど、第4航空軍一時レイテ島制空権確保していた。昭和天皇第4航空軍善戦報告を受けると「第4航空軍がよく奮闘しているが、レイテ島地上の敵撃滅なければ勝ったとはいえない。今一息だから十分第一線激励せよ」と富永激励すると共にレイテ島での決戦指示している。 大本営レイテ島での決戦のため、海路援軍送り込む多号作戦命令富永指揮下の戦闘機部隊輸送船団全力護衛することを命じて第1師団など多数部隊物資レイテ島逆上陸に成功している。陸海でのアメリカ軍苦戦トーマス・C・キンケイド中将は、「戦史上めったに類を見ない大惨事招きかねません」という理由で、この後予定されていたルソン島上陸作戦中止マッカーサー求めたフィリピン全域奪還目標であったマッカーサーキンケイド勧告聞き入れることはなかったが、この後マッカーサー予想外日本軍戦力相手苦戦し、後のルソン島上陸作戦スケジュールの見直し余儀なくされた。 しかし、レイテ島アメリカ軍飛行場整備が進むと、数が勝るアメリカ軍対し作戦機補充ままならない第4航空軍制空権次第喪失してゆき、多号作戦輸送艦アメリカ軍機の空襲により多大な損害被って海上輸送は困難となってレイテ島への増援補給滞ってしまった。富永作戦機による地上部隊への補給物資空輸や、制空権奪還のための空挺作戦義号作戦」など積極的な作戦命じアメリカ軍一時的な混乱生じさせたが、制空権取り戻すことはできず、やがて、マッカーサーレイテ島攻略一気進めるため、多号作戦揚陸港でもあったオルモック上陸作戦命じたことにより、レイテ島日本軍は完全に孤立しアメリカ軍包囲下で飢餓疫病によって多数将兵死亡して組織的抵抗力失い日本軍決戦の地と定めたレイテ島アメリカ軍の手落ちた日本軍激し抵抗計画よりは遅れたものの、マッカーサーレイテ島起点としてフィリピン諸島攻略進めていった。

※この「レイテ決戦」の解説は、「太平洋戦争」の解説の一部です。
「レイテ決戦」を含む「太平洋戦争」の記事については、「太平洋戦争」の概要を参照ください。

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