プロ野球に関するエピソード
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「深井瞬」の記事における「プロ野球に関するエピソード」の解説
プロ野球の実況やインタビューにおいて、いくつかの初物や珍事に携わっている。 2008年6月18日、広島東洋カープ-北海道日本ハムファイターズの試合で、前田健太のプロ初勝利を実況した。 2009年4月11日、広島東洋カープ-中日ドラゴンズの試合で、この年開場したマツダスタジアムにおける初めてのヒーローインタビューを行った。相手は前田健太。 2009年6月18日、広島東洋カープ-東北楽天ゴールデンイーグルスの試合で、マツダスタジアムにおける広島東洋カープ初のサヨナラ勝利を実況した。勝利打点は石原慶幸のサヨナラホームラン。 2011年5月14日、広島東洋カープ-読売ジャイアンツの試合で、9回裏同点の場面からサヨナラデッドボールを受けた石原慶幸にヒーローインタビューを行った。 2012年5月19日、広島東洋カープ-北海道日本ハムファイターズの試合で、共に交流戦初登板となった野村祐輔と斎藤佑樹の投げ合いを実況した。またこの試合は北海道文化放送で北海道にも地上波で放送され、デーゲームながら視聴率24.6%を記録している。 2013年4月26日、広島東洋カープ-中日ドラゴンズの試合で、日本新記録となる廣瀬純の15打席連続出塁を実況した。 2015年5月4日、広島東洋カープ-読売ジャイアンツの試合で、プロ野球では24年振りに起きたインフィールドフライの落球によるサヨナラゲームを実況した。 2016年6月18日、広島東洋カープ-オリックスバファローズの試合で、鈴木誠也が史上10人目の2試合連続サヨナラホームランを打った勝利試合を実況した。 2017年7月7日、東京ヤクルトスワローズ-広島東洋カープの試合で、カープが5点差を9回表に逆転した、カープファンからは俗に「七夕の奇跡」と呼ばれる試合を広島ローカル放送で実況した。 2018年9月26日、広島東洋カープ-東京ヤクルトスワローズの試合で、カープの球団史上初となる3年連続セントラル・リーグ優勝、かつ1991年以来27年ぶりとなる広島での優勝決定試合を実況した。 2018年10月28日、日本シリーズ第2戦・広島東洋カープ-福岡ソフトバンクホークスの試合で、自身初の日本シリーズを実況した。テレビ新広島のアナウンサーが日本シリーズを実況するのは、1986年の日本シリーズ第6戦で実況を担当した神田康秋以来32年ぶり。
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プロ野球に関するエピソード
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「阪神甲子園球場」の記事における「プロ野球に関するエピソード」の解説
球場初の日本シリーズ(当時は日本ワールドシリーズ)は阪神の試合ではなく、1950年11月25日の松竹ロビンス対毎日オリオンズの第3戦である。この年はフランチャイズがまだ正式に制度化されておらず、シリーズは1試合ごとに会場を代えて行われた。 1953年10月12日にも日本ワールドシリーズ・南海対巨人の第6試合が開かれたが、有料入場者は6,346人でシリーズワースト記録となった。これは当時の規定に「第1・第3・第5・第7試合と第2・第4・第6試合の使用球場は毎年両リーグが交互にこれを指定する。ただし、第1・第2試合と第3・第4試合と第5・第6試合の使用球場はそれぞれ連続して同一地域にある球場を指定する」とあったためで、この年の偶数試合の球場指定権はセ・リーグ、つまり巨人側にあったためである。 1972年9月19日の阪神対巨人22回戦の試合中20時20分に「三塁側アルプススタンドを20時40分に爆破する」という電話があり、5回裏2死で8番代打安藤統夫の打席の20時38分に試合が一時中断。不審物は発見されず、12分後試合は再開された。 1973年10月22日の阪神対巨人戦、勝ったチームがセ・リーグ年度優勝を決める試合で、巨人が9-0で勝ち、日本プロ野球記録の9年連続リーグ優勝を決めた。ところが試合終了後、余りに不甲斐ない試合に激怒した阪神ファンがグラウンド内に乱入したため、巨人は胴上げを宿舎で行った。前年の1972年も巨人は甲子園球場でリーグ優勝を決めているが、このときも阪神ファンがグラウンド内に乱入したため、球場での胴上げは中止となっている。これが後に各地の球場のフェンスが高くなった一因とも言われている[要出典]。さらに2002年、9月24日に巨人がリーグ優勝を決めた際も、警備員は通常より多く配置された。 阪神による日本シリーズの開催は1962年(対東映)、1964年(対南海)、1985年(対西武)、2003年(対ダイエー)、2005年(対千葉ロッテ)、2014年(対福岡ソフトバンク)の6度となっている。このうち、3度(1962年、1964年、2005年)は甲子園球場で相手チームの胴上げを見ている一方で、阪神が唯一日本一になった1985年は西武ライオンズ球場で日本一になったため、阪神の日本一の胴上げは甲子園球場では一度も行われていない。 1985年の日本シリーズ第4戦の有料入場者数は51,554人で、これは日本シリーズの最多入場者数記録である。 1992年9月11日の阪神対ヤクルト18回戦では、日本プロ野球史上最長試合が行われた。3-3と同点のまま9回裏に入り、2死走者1塁の場面で阪神・八木裕が放った打球は一旦は本塁打の判定がなされ、ヒーローインタビューのお立ち台まで用意されたものの、ヤクルト側の抗議を受け審判団が協議した結果、判定が覆えり二塁打となり得点も認められなかった。今度は阪神が抗議を始めたため試合が中断し、のちに阪神側が二塁打の判定を受け入れ試合が再開されたが、結局は延長15回引き分け、試合時間は6時間26分(中断37分を含む)にも及んだ。 2000年9月12日の阪神対巨人26回戦は、前日の東海豪雨で東海道新幹線がストップし、列車内に巨人の選手が閉じ込められて甲子園球場に到着できなくなり中止となった。 2011年3月11日、この日発生した東日本大震災の影響により、楽天が本拠地球場として使用している宮城球場(当時の愛称は「日本製紙クリネックススタジアム宮城」)が損壊し、修繕のため同球場での試合開催が4月28日まで不可能となったため、阪神球団の厚意もあり、4月15日 - 同17日に楽天対オリックス戦が当球場で代替開催され、3日間で計6万3千人が来場した。パシフィック・リーグ球団主催による公式戦の開催は、現行の2リーグに分立した1950年以来、初の出来事であった。場内アナウンスは日本製紙クリネックススタジアム宮城に準じて行われ、オリックスのラッキー7では、当時阪神主催では演奏されなかった『SKY』も演奏された。なおリリーフカーは使用されず、リリーフ投手はアイビーシートとアルプス席との間の通路から登場、そのまま走ってマウンドに向かった。翌2012年も前年の開催が好評だったことを受けて、4月10日に楽天対西武戦を当球場で開催し、平日ながら2万2千人が来場した(当初は翌11日も同カードを開催予定であったが雨天中止となったため、10月4日に日本製紙クリネックススタジアム宮城にて振替試合を行った)。楽天は当初2013年以降も当球場で主催試合を開催する意向を示していたが、2013年以降は組まれていない。 2011年10月19日、この日行われていた横浜戦で、阪神の選手がゴロを打った際に折れたバットがスタンドに飛び込んできて、女性の観客の顔面を直撃し、女性は傷跡が残るほどの怪我をした。女性側は「ネットなど安全設備に不備があった上に、観客への注意喚起が足りなかった」などとして、試合を主催していた阪神タイガースに対し、約1,300万円の損害賠償を求め神戸地裁尼崎支部に提訴した。2014年1月30日、同地裁は「球団側の過失は認められない」として女性の訴えを棄却した。 2016年5月8日、この日行われた東京ヤクルトスワローズ戦で、空から魚の死骸が落ちてくるトラブルが発生し、試合が一時中断した。過去には、2003年8月27日(対巨人戦)では5回裏途中に猫が、2013年8月31日(対広島戦)では5回表の直前にイタチが、それぞれグラウンドに乱入し試合が一時中断している。 2017年5月5日から7日の対広島戦では、こどもの日に因んで、日本人選手と審判員についてはスコアボードで平仮名表記とした。2018年以降も同様の企画を実施している。 2017年9月8日の対DeNA戦で、鳥谷敬が通算2000安打を達成した。阪神の生え抜き選手が甲子園球場で2000安打を達成したのはこれが初である。また他球団では王貞治(巨人)と若松勉(ヤクルト)が甲子園球場で2000安打を達成しているが、奇遇にも甲子園球場で2000安打を達成した3選手はいずれも背番号1の左打ち選手である。 2018年9月9日の対巨人戦では、小雨が降る中で試合を強行したが、途中から雨脚が強くなり4回表終了時に一時中断。一旦は雨脚が弱くなったものの再び強くなり、結局はノーゲームが宣告された。中断時間は1時間28分にも及び、甲子園球場における降雨での中断としては過去最長となった。 2018年のシーズンにおいて、甲子園球場でホームランを最も多く打った選手はDeNAのソト(10試合で6本)であり、阪神以外のチームの選手が同一シーズンで最も多く甲子園球場でホームランを打ったのは61年ぶりであった。同年の阪神選手では福留孝介と糸井嘉男の5本が最多であり、阪神選手は合計で20本、一方で阪神以外のチームの選手は合計で48本打っており、このマイナス28本差はラッキーゾーン撤去後の1992年以降では最悪であった。同年の阪神は甲子園球場での戦績は21勝39敗2分で借金18であったが、これも球団史上最悪であった。 2020年10月19日、対ヤクルト21回戦で、藤浪晋太郎が7回表2死から松本友へ投じた2球目直球が甲子園球場最速(自身最速記録かつ球団最速記録も更新)となる162km/hを記録した。また、この日の試合では、ヤクルトはアルバート・スアレス(兄)が先発し、一方の阪神は9回表にクローザーのロベルト・スアレス(弟)が登板した。敵と味方に分かれての外国人兄弟による同一試合登板は、プロ野球史上初めての出来事となった。
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