プロ野球に関するエピソードとは? わかりやすく解説

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プロ野球に関するエピソード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 01:46 UTC 版)

深井瞬」の記事における「プロ野球に関するエピソード」の解説

プロ野球実況インタビューにおいて、いくつかの初物珍事携わっている。 2008年6月18日広島東洋カープ-北海道日本ハムファイターズ試合で、前田健太プロ勝利を実況した。 2009年4月11日広島東洋カープ-中日ドラゴンズ試合で、この年開場したマツダスタジアムにおける初めてのヒーローインタビュー行った相手前田健太2009年6月18日広島東洋カープ-東北楽天ゴールデンイーグルス試合で、マツダスタジアムにおける広島東洋カープ初のサヨナラ勝利を実況した。勝利打点石原慶幸サヨナラホームラン2011年5月14日広島東洋カープ-読売ジャイアンツ試合で、9回裏同点場面からサヨナラデッドボールを受けた石原慶幸ヒーローインタビュー行った2012年5月19日広島東洋カープ-北海道日本ハムファイターズ試合で、共に交流戦初登となった野村祐輔斎藤佑樹投げ合い実況した。またこの試合北海道文化放送北海道にも地上波放送されデーゲームながら視聴率24.6%を記録している。 2013年4月26日広島東洋カープ-中日ドラゴンズ試合で、日本新記録となる廣瀬純15打席連続出塁実況した。 2015年5月4日広島東洋カープ-読売ジャイアンツ試合で、プロ野球では24年振り起きたインフィールドフライ落球によるサヨナラゲーム実況した。 2016年6月18日広島東洋カープ-オリックスバファローズ試合で、鈴木誠也史上10人目の2試合連続サヨナラホームラン打った勝利試合実況した。 2017年7月7日東京ヤクルトスワローズ-広島東洋カープ試合で、カープ5点差を9回表逆転した、カープファンからは俗に七夕奇跡」と呼ばれる試合広島ローカル放送実況した。 2018年9月26日広島東洋カープ-東京ヤクルトスワローズ試合で、カープ球団史上初となる3年連続セントラル・リーグ優勝、かつ1991年以来27年ぶりとなる広島での優勝決定試合実況した。 2018年10月28日日本シリーズ第2戦・広島東洋カープ-福岡ソフトバンクホークス試合で、自身初の日本シリーズ実況した。テレビ新広島アナウンサー日本シリーズ実況するのは、1986年の日本シリーズ第6戦で実況担当した神田康秋以来32年ぶり。

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プロ野球に関するエピソード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 04:55 UTC 版)

阪神甲子園球場」の記事における「プロ野球に関するエピソード」の解説

球場初の日本シリーズ当時日本ワールドシリーズ)は阪神試合ではなく1950年11月25日松竹ロビンス毎日オリオンズ第3戦である。この年フランチャイズがまだ正式に制度化されておらず、シリーズ1試合ごとに会場代えて行われた1953年10月12日にも日本ワールドシリーズ南海巨人の第6試合開かれたが、有料入場者は6,346人でシリーズワースト記録となった。これは当時規定に「第1・第3・第5・第7試合と第2・第4・第6試合使用球場毎年リーグ交互にこれを指定する。ただし、第1・第2試合第3第4試合と第5・第6試合使用球場それぞれ連続して同一地域にある球場指定する」とあったためで、この年偶数試合球場指定セ・リーグ、つまり巨人にあったためである。 1972年9月19日阪神巨人22回戦の試合中2020分に「三塁アルプススタンド2040分に爆破する」という電話があり、5回裏2死で8番代安藤統夫打席2038分に試合一時中断不審物は発見されず、12分後試合再開された。 1973年10月22日阪神巨人戦勝ったチームセ・リーグ年度優勝決め試合で、巨人9-0で勝ち、日本プロ野球記録9年連続リーグ優勝決めた。ところが試合終了後余りに不甲斐ない試合激怒した阪神ファングラウンド内に乱入したため、巨人胴上げ宿舎行った前年1972年巨人甲子園球場リーグ優勝決めているが、このときも阪神ファングラウンド内に乱入したため、球場での胴上げ中止となっている。これが後に各地球場フェンス高くなった一因とも言われている[要出典]。さらに2002年9月24日巨人リーグ優勝決めた際も、警備員通常より多く配置された。 阪神による日本シリーズの開催1962年(対東映)、1964年(対南海)、1985年(対西武)、2003年(対ダイエー)、2005年(対千葉ロッテ)、2014年(対福岡ソフトバンク)の6度となっている。このうち3度1962年1964年2005年)は甲子園球場相手チーム胴上げ見ている一方で阪神唯一日本一になった1985年西武ライオンズ球場日本一になったため、阪神日本一胴上げ甲子園球場では一度行われていない。 1985年の日本シリーズ第4戦の有料入場者数51,554人で、これは日本シリーズ最多入場者数記録である。 1992年9月11日阪神対ヤクルト18回戦では、日本プロ野球史上最長試合が行われた。3-3同点のまま9回裏に入り、2死走者1塁の場面で阪神八木裕放った打球は一旦は本塁打判定がなされ、ヒーローインタビューお立ち台まで用意されたものの、ヤクルト側の抗議を受け審判団協議した結果判定が覆えり二塁打となり得点認められなかった。今度阪神抗議始めたため試合中断し、のちに阪神側が二塁打判定受け入れ試合再開されたが、結局は延長15引き分け試合時間6時26分(中断37分を含む)にも及んだ2000年9月12日阪神巨人26回戦は、前日東海豪雨東海道新幹線ストップし列車内に巨人選手閉じ込められ甲子園球場到着できなくなり中止となった2011年3月11日、この日発生した東日本大震災の影響により、楽天本拠地球場として使用している宮城球場当時愛称は「日本製紙クリネックススタジアム宮城」)が損壊し修繕のため同球場での試合開催4月28日まで不可となったため、阪神球団厚意もあり、4月15日 - 同17日楽天オリックス戦が当球場代替開催され、3日間で計63千人来場した。パシフィック・リーグ球団主催による公式戦開催は、現行の2リーグ分立し1950年以来、初の出来事であった場内アナウンス日本製紙クリネックススタジアム宮城準じて行われオリックスラッキー7では、当時阪神主催では演奏されなかった『SKY』も演奏された。なおリリーフカー使用されず、リリーフ投手はアイビーシートとアルプス席との間の通路から登場そのまま走ってマウンド向かった。翌2012年前年開催好評だったことを受けて4月10日楽天西武戦を当球場開催し平日ながら2万2千人来場した(当初は翌11日も同カード開催予定であった雨天中止となったため、10月4日日本製紙クリネックススタジアム宮城にて振替試合行った)。楽天当初2013年以降も当球場主催試合開催する意向示していたが、2013年以降組まれていない2011年10月19日、この日行われていた横浜戦で、阪神選手ゴロ打った際に折れたバットスタンド飛び込んできて、女性観客顔面直撃し女性傷跡が残るほどの怪我をした。女性側は「ネットなど安全設備不備があった上に、観客への注意喚起足りなかった」などとして、試合主催していた阪神タイガース対し、約1,300万円損害賠償求め神戸地裁尼崎支部提訴した2014年1月30日同地裁は「球団側の過失認められない」として女性訴え棄却した。 2016年5月8日、この日行われた東京ヤクルトスワローズ戦で、空から死骸落ちてくるトラブル発生し試合一時中断した。過去には、2003年8月27日(対巨人戦)では5回裏途中が、2013年8月31日(対広島戦)では5回表の直前イタチが、それぞれグラウンド乱入し試合一時中断している。 2017年5月5日から7日の対広島戦では、こどもの日因んで日本人選手審判員についてはスコアボード平仮名表記とした。2018年以降同様の企画実施している。 2017年9月8日の対DeNA戦で、鳥谷敬通算2000安打達成した阪神生え抜き選手甲子園球場2000安打達成したのはこれが初である。また他球団では王貞治巨人)と若松勉ヤクルト)が甲子園球場2000安打達成しているが、奇遇にも甲子園球場2000安打達成した3選手はいずれ背番号1の左打ち選手である。 2018年9月9日の対巨人戦では、小雨が降る中で試合強行したが、途中から雨脚強くなり4回表終了時一時中断。一旦は雨脚弱くなったものの再び強くなり、結局はノーゲーム宣告された。中断時間1時間28分にも及び、甲子園球場における降雨での中断としては過去最長となった2018年シーズンにおいて、甲子園球場ホームランを最も多く打った選手DeNAソト10試合で6本)であり、阪神以外のチーム選手同一シーズンで最も多く甲子園球場ホームラン打ったのは61年ぶりであった同年阪神選手では福留孝介糸井嘉男の5本が最多であり、阪神選手合計20本、一方で阪神以外のチーム選手合計48打っており、このマイナス28本差ラッキーゾーン撤去後1992年以降では最悪であった同年阪神甲子園球場での戦績2139敗2分で借金18であったが、これも球団史最悪であった2020年10月19日、対ヤクルト21回戦で、藤浪晋太郎が7回表2死から松本友投じた2球直球甲子園球場最速自身最速記録かつ球団最速記録更新)となる162km/hを記録したまた、この日の試合では、ヤクルトアルバート・スアレス(兄)が先発し一方阪神9回表クローザーロベルト・スアレス(弟)が登板した。敵と味方分かれて外国人兄弟による同一試合登板は、プロ野球史上初めての出来事となった

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