バスク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/10 15:57 UTC 版)
詳細は「バスク人」を参照 彼ら自身の言葉で言えばエウスカディ人となるバスク地方の人々は、スペインのみならず世界に良く知られた独立精神を持っている。凄惨なテロ行為や内戦すら恐れない彼らの強烈な自尊心は、一般に知られる言語の特異性だけを理由としている訳ではない。むしろその言語の特異性を生んだ、古代から今日に至るまで一貫して他者と交わらず、征服者に抵抗してきた歴史が背景にある。 今日こそ領域・人口数共に少数派へと転じてはいるが、バスク人はイベリアで最も古くから存在している民族集団である。それは他のイベリア系諸民族がローマ帝国に飲み込まれラテン人化されていく中、ただ唯一事実上の独立を勝ち得ていた古代の時代が終わりを迎えてからのことになる。イスラム帝国やフランク王国など、ローマに代わる外国勢力が入り込み始めた中世初期、バスク人は族長イニゴ・アリスタ(英語版)に率いられてフランクとイスラム双方へ反旗を翻し、彼らを破ってバンプローナ王国を築いた。代を重ねてナバラ王国と名を改めたバスク人の国は、アリスタ王の血を引く大王サンチョ3世時代にイスラム勢の一部を従え、更に婚姻外交でアラゴン王国・カスティーリャ王国を併合してイベリア北部を席巻し、イベリア王の称号を得るほどの権勢を誇った。 また前後して、バンプローナから多くのバスク人が、フランク王国と微妙な関係にあった南フランスの一部地域に移住、これがきっかけとなってその地域はバスコニアなる独自勢力として台頭した。このバスコニアが後にガスコーニュの語源となり、ガスコーニュ語もバスク語とラテン語の混交により生じたとされている。 しかしナバラ王国は、サンチョ3世死後に4人の息子が分割相続したことでナバラ・アラゴン・カスティーリャに再分裂する。同じバスク人王家(ヒメノ王朝)によって治められた3国のうち、最初の宗主国であったレオン王国(アストゥリアス王国)を併合してレコンキスタを主導したカスティーリャ王国や、カタルーニャと連合して大勢力化したアラゴン連合王国の間に挟まれたナバラ王国は、元の勢威を取り戻すことが出来ないままに衰退する。近世にカスティーリャがイベリアを統一してスペイン王国が成立すると、隣国フランスとスペインの双方に分割併合され、バスク人は国家を失った。 近代に入って民族主義が勃興すると、バスク住民の間でも独立を回復しようとする機運が高まり始める。特にマヌエル・ラメンディにより広められたバスク国運動は、バスク地方が重工業化の成功で経済的に豊かになっていたが故に他地域の住人が移住し、地元住民と軋轢を引き起こしたのも後押しになって大いに盛り上がった。1923年にバスク民族主義党がリーフ戦争の動乱でクーデターを起こしたプリモ・デ・リベラ将軍に弾圧された際も、バスク青年団などの秘密結社が暗躍してバスク独立への工作を続けた。そして独裁政権後の人民戦線政府は自治政府の設立に同意し、バスク青年団のホセ・アントニオ・アギーレが初代大統領に選出された。 だが同年に人民戦線政府に反対するフランシスコ・フランコ将軍が反乱を起こし、スペイン内戦が発生する。内戦の最中、レンダカリに選ばれたホセ・アントニオ・アギーレはゲルニカにあるバスク人の聖地で「祖先の記憶と共に、私の職務を全うすることを誓う」と宣誓を行った。これによりバスク自治政府が成立、数百年ぶりにバスク人の独立が回復した。バスク人は恩義ある政府側について戦ったが、戦争は反乱軍の勝利に終わり、自治政府は海外に亡命し、再びバスク人は自由を失う。 フランコ政権ではバスク人は厳しく弾圧され、独自の文化や言語は禁止された。この弾圧下で急速に人心を得たのが1959年に結成されたバスク祖国と自由で、バスク民族主義党の強硬派からなる同組織は各地でテロ事件を引き起こし、スペイン人を震撼させる存在となる。政府側もテロリスト掃討作戦を繰り返し、報復の応酬が際限なく繰り返される中で、一層にバスク人の民族主義は強固な物へと変化していく。 フランコ死後の民主政権下でバスク自治政府が復活したことで、この戦いには一応の決着が付いたものの、大バスク主義的な「バスク人領域の拡大」「完全な独立」も意見として残っており、これを背景としてバスク祖国と自由もテロ行為を継続している。2006年には同組織が武装解除に応じるとの報道がなされたが、まだ先行きは不透明である。
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バスク(声:山口健)
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「クライムクラッカーズ2」の記事における「バスク(声:山口健)」の解説
通称「カラスのバスク」。銀河全域に広域指名手配されている大物海賊。ギャラクシーポリスの輸送船を襲撃するなどの派手な事件を起こしており、一部の海賊たちからは英雄視されている。「銀河では強いが正しい」がモットーであり、大型マシーン「ガンクロウ」に乗り込み幾たびもグッピーチームと戦いを繰り広げる。
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バスク
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詳細は「バスク料理」を参照 バスクの料理は、スペイン各地の郷土料理の中で最も美味な料理としてよく挙げられる。バスクからはヌエバ・コシーナ(新しいスペイン料理)を牽引する料理人たちが現れ、彼らの後に続こうとする若い料理人も多い。こうしたバスク料理の発展の基盤には、男性だけが入会できる料理クラブの存在がある。 バスクではタラやメルルーサなどの新鮮な魚介類を使用した料理、肉や野菜を使った料理が食べられている。味付けは塩が中心であり、スパイスはあまり使われない。油はオリーブオイルのほかにひまわり油が使われる。 バスク地方が発祥の料理としては、ウナギの稚魚のニンニク炒め、イカの墨煮などが挙げられる。メルルーサの喉肉から取ったゼラチン質ココチャは、バスク独自の珍味である。 バスクで食べられている軽食ピンチョ(ピンチョス)は、スペイン各地に普及している。 アラバ県のリオハ・アラベサは、バスク地方の中ではフランス領バスクのバス=ナヴァールと並ぶワインの産地として有名である。ギプスコア県とビスカヤ県沿岸部では、チャコリという微発泡ワインが醸造されている。本来はチャコリは農民の自家用酒だったが知名度が上がり、バスクの名産品として認知されるようになった。バスクではリンゴ酒も造られており、バスク語ではシャガルドと呼ばれている。
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バスク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 16:53 UTC 版)
「北斗の拳 (ファミリーコンピュータ)」の記事における「バスク」の解説
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