直訳と意訳
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/10 06:57 UTC 版)
本記事では直訳(ちょくやく)と意訳(いやく)について解説する。
- 1 直訳と意訳とは
- 2 直訳と意訳の概要
意訳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 18:59 UTC 版)
逐語訳と対極にあるのが意訳である。たとえば新約聖書は2000年前のパレスチナ周辺を主な舞台としているが、時代も社会も異なる背景で書かれた文書は、たとえ逐語訳を行ったところで、その文章が意味するところは伝わり辛くなっている。そうであるならば、読者にとって正しく理解できるように意訳するべきだという立場が存在する。代表的なのはユージン・ナイダの動的等価翻訳理論であろう。つまり、文脈に応じて言葉は変えるが意味するところは同じになるように訳するということである。(これに対して逐語訳的方法は形式的等価翻訳と呼ばれる。)ナイダの理論は一時期 アメリカ聖書協会の翻訳事業を主導し、今日流通しているToday's English Bible:TEV(グッドニューズバイブル:GNBとも称する)やContemporary English Bible:CEBなどを生み出した。日本語では共同訳聖書の作業にあたってこの理論が指針として採用され、ナイダが来日して講演するなどしている。しかし、動的等価翻訳理論は翻訳者の判断で原文を大きく捻じ曲げているに過ぎないという批判もあり評価は分かれる。共同訳聖書でも批判が相次ぎ、作業をやり直した新共同訳聖書の翻訳委員会では動的等価翻訳を指針から外している。 もっと過激な意訳を志す立場も存在し、『リビングバイブル』(TLB)のように原文がそもそもどの程度の難易度の文章であったかどうかも度外視して、とにかく分かりやすく翻訳した聖書もある。学問的な正確さは二の次にされているから、聖書学者などからの評判は悪い。しかし、こうした聖書翻訳事業は「一人でも多くの人に分かりやすく神の言葉を届けることこそが重要だ」と考える立場の人々によって支えられてきた。前述のTEVやCEBはアメリカ聖書協会が発行し、安価で大量に配布されてきたし、世界中に作られた各国の聖書協会の多くがこの翻訳に準拠した各国語の聖書を作って、その国々で配布されてきたのである。 ともあれ意訳と逐語訳を二つの極として、今までに行われてきた聖書翻訳のほとんどはこの二つの立場をケースバイケースで使い分けてきたといってよい。
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意訳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 20:34 UTC 版)
「国が安定せず災難が起こるならば、修行僧を呼び、法に従って道場を作り、仏像を安置し、結界を作り、加持して香華灯燭を相応に供養すれば、生きとし生けるものが幸福になること無量で、その災いはたちまちになくなるだろう。」 日本語 のーもーさんまんだー もとなん おはらーちー ことしゃー そのなん とーじーとー えん ぎゃーぎゃー ぎゃーきー ぎゃーきー うんぬん しふらー しふらー はらしふらー はらしふらー ちしゅさー ちしゅさー ちしゅりー ちしゅりー そはじゃー そはじゃー せんちーぎゃー しりえー そーもーこー
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意訳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/25 07:46 UTC 版)
意訳は、母語話者の意図するところや母語の聞き手の心に起きるはずのことを深く理解し、その機能をできるだけ忠実に再現しようとした翻訳と言える。 意訳は、外国映画の日本語字幕でよく使われている。これには字幕の文字数規制(セリフ1秒当たり、4文字までが適正と言われている)がある為、直訳では長くなり過ぎてしまうことが大きな原因であるが、映画のセリフは直訳では作者が意図している表現にならないことも多いからである。 なお、"意訳"が裏目となってしまう場合もある。例えば、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの作品であるドイツ語原題の"Das Wohltemperierte Clavier"に対する和訳の「平均律クラヴィーア」は、「宜しく調律された("Wohltemperierte")」に対して、習慣化された訳(これを「意訳」と呼んでよいのかどうかについては様々な見解があるが)「平均律」という訳が採用されている。しかし近年の研究では「平均律」を意図しているわけではないという説が有力である。また英語の"compatible"は、文脈によっては「互換しても宜しく動作する」という意図で使われ、「互換性」と意訳されることが多いが、直訳調の「(二つのものが)宜しく共存する、また、そのように配慮がされている」がまんざら悪くない訳だという場合があるわけである。
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意訳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 13:44 UTC 版)
それ、世間のことがらの浮々(うかうか)として定まりの無いありさまをよくよく考えて見ますと、およそ何が儚(はかな)いかと言って、人間の生まれてから死ぬまでの間、幻のような人の一生ほどはかないものはありません。 それゆえに、いまだ一万年の寿命を授かった人がいたなどということを聞いた事がありません。人の一生涯は過ぎ去りやすいものです。今までに誰が百年の肉体を保ったでしょうか。〔人の死とは、〕私が先なのか、人が先なのか、今日かもしれないし、明日かもしれない、遅れて死に、先立ってゆく人は、草木の根元に雫(しずく)が滴(したた)るよりも、葉先の露が散るよりも数多いといえます。 それゆえに、朝には血色の良い顔をしていても、夕暮れには白骨となる身であります。もはや無常の風が吹いてしまえば、たちどころに眼を閉じ、一つの息が永く絶えてしまえば、血色の良い顔がむなしく変わってしまう、桃やすもものような美しい姿を失ってしまえば、すべての親族・親戚が集まって嘆き悲しんでも、どうする事もできません。 そのままにはしておけないので、野辺に送り荼毘(だび)に付し、夜更けの煙と成り果ててしまえば、ただ白骨だけが残るだけです。哀れと言っただけでは言い足りません。世間のことのはかない事は、老少(ろうしょう)不定(ふじょう)の境遇でありますから、どのような人も後生(ごしょう)の一大事を心に留めながら、心から阿弥陀仏を恃(たの)み申上げて、念仏申すべきであります。
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意訳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 09:04 UTC 版)
「中国語における外国固有名詞の表記」の記事における「意訳」の解説
日本語には表音文字の仮名があるため、外国固有名詞を意訳することはあまり多くないが(後述の「真珠湾」のほか、「金門橋」、「象牙海岸」など少数例のみ)、表音表記が面倒な中国語では、意訳をする例が意外に多い。たとえばドイツのフォルクスワーゲン社は「大衆汽車公司」、米国のゼネラルモーターズ社は「通用汽車公司」と訳される。なお、日本語ではパールハーバーを「真珠湾」と意訳するが、中国語では「珍珠港」と意訳する。ただし真珠については日中間での用字の違いにすぎない。
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意訳
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