直訳と意訳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/23 16:25 UTC 版)
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本記事では直訳(ちょくやく)と意訳(いやく)について解説する。
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概説
直訳とは、外国語を別言語に翻訳する際に、原文の文法構造のまま、原文の語と翻訳先の語を一対一で置き換えてゆくものである。法律文書や学術論文など、もともと専門用語や専門家の文章が、単純な造語法や単純な文章構成法の組み合わせで人工的に構成されたような文章は、他言語でも同様の単純な造語法・構成法になっていることが多いので、こうした特定分野の専門的文章を翻訳する場合は、直訳方式で事足りることも多い。
これに対して意訳とは、発話者(書き手)の意図、感情、ニュアンス、語感の込められた文章を、文脈や文化的背景も考慮して、深く調査して訳すものである。原文の表面的な文法構造や個々の語にとらわれず、母語話者がするであろう自然な表現であることを優先し、母語話者の持つ蓄積された自然な表現の記憶と直感を駆使して、適切な言い回しを選び出す。
意訳は、翻訳元の言語と翻訳先の言語の両方で、実際の人生での豊富な言語使用経験が無いと、なかなかできない。
直訳
- 直訳は、あまりに原文の文法的構造や単語との一対一対応を重視するために、翻訳後の言語の母語話者から見ると違和感や稚拙さを感じる表現となる場合がある。
- また、「直訳」は、翻訳先の母語話者にとって、まったく意味が不明になったり、おかしな意味や全然異なった意味、間違った文章になってしまうことがある。
多くの場合、初学者の一対一の言葉は全くの間違いというわけではないが、先述のCarefullyを「ていねいに」や「たんねんに」、Thoughを「~だが」のように訳したほうが自然な場合もある。
個々の語の意味は、その語だけでは確定せず、あくまで発話された状況・背景、文脈やイディオムとの関連があってはじめて定まるもので、場合に応じて指す内容は異なる。最近の言語研究では、個々の語自体より言い回しや文章全体が、意図やニュアンスを持つということが明らかになってきている。
端的に言えば、直訳は誤訳に陥ってしまう可能性が高い[2][要ページ番号]。初級の不自然な例文を扱っているうちは直訳の問題点は気付かれづらいが、段階が進むごとにその問題点はやがて明らかになる。
意訳
意訳は、母語話者の意図するところや母語の聞き手の心に起きるはずのことを深く調査し、その機能をできるだけ忠実に再現しようとした翻訳と言える。
意訳は、外国映画の日本語字幕でよく使われている。これには字幕の文字数規制(セリフ1秒当たり、4文字までが適正と言われている)が大きな原因であるが、直訳では作者が意図している表現にならないことも多いからでもある。
なお、"意訳"が裏目となってしまう場合もある。例えば、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの作品であるドイツ語原題の"Das Wohltemperierte Clavier"に対する和訳の「平均律クラヴィーア」は、「宜しく調律された("Wohltemperierte")」に対して、習慣化された「平均律」という訳が採用されている。しかし近年の研究では「平均律」を意図しているわけではないという説が有力である。
直訳ロックブーム
1995年、ロック歌手の王様がディープ・パープルの曲を直訳し「深紫伝説」としてカヴァーしたのが火種となり、女王様(パッパラー河合とサンプラザ中野くん)が「女王様物語」の名でクイーンの直訳カヴァーを出す等した。また、ブームに便乗して大工可憐がカーペンターズのナンバーを関西弁でカヴァーしたのも話題になった。
脚注
出典
- ^ Robert Spence, "A Functional Approach to Translation Studies. New systemic linguistic challenges in empirically informed didactics", 2004, ISBN 3-89825-777-0, thesis. A pdf file
- ^ 『直訳という名の誤訳』
関連書
関連項目
直訳と意訳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 04:55 UTC 版)
詳細は「直訳と意訳」を参照 単純な逐語的な置き換えや、熟語単位の置き換えだけで済ませている翻訳などで、文章が状況や文脈ごとに持っている機能に十分に注意を払っていないような翻訳を「直訳」と言う。初心者や不完全な機械翻訳では、起点言語から目標言語へ、個々の語彙水準で辞書などにある目標語に置き換えてしまうことで目標言語における表現の体系(コロケーションや多義性など)を無視することがある。 これに対して、文章が発話された状況や文脈において果たす機能や本当の意味(意図)に焦点を当てて、目標言語でほぼ同等の機能や意味作用を持つ文章を、多数の文章の記憶(言語の使用経験に裏打ちされた、文脈ごとの、適切な発話事例に関する記憶)の中から見つけ出して翻訳文とすることを「意訳」と呼ぶ。 このような二種類の翻訳が現れる原因として、両言語から対応する語・句を選定する直訳作業において、単語は言語間で一対一の対応があるとは限らないことがある。例えば、起点言語では1語で表される概念が、目標言語では複数の語(複数の概念)にまたがっていたり、逆に起点言語で複数の語であるものが、目標言語では1語となってしまう場合である。これは、文学作品でのニュアンスや語感の再現や、言語による色の表現などで顕著になる問題である。例えば、虹の色の数は、日本では7色とされているが、他の地域や文化によっては7色とは限らない。また、日本語で「青」と呼ばれるものに緑色の植物や緑色の信号灯が含まれるのも、単純に単語を置き換えることができない顕著な例である。
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