斑鳩寺 (兵庫県太子町)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/04 07:32 UTC 版)
歴史
伝承によれば、推古天皇14年(606年)、聖徳太子が推古天皇から播磨国揖保郡の土地360町歩を賜り、大和国斑鳩宮から移住し当地を斑鳩荘(鵤荘)と命名、政所と寺院を建立したとされる。これが斑鳩寺の始まりと伝える。推古天皇14年(606年)に聖徳太子が推古天皇に法華経を講義して、播磨国の水田を賜ったことは史実と認められ、その縁で当地に斑鳩寺が建てられたものと思われる。
長らく七堂伽藍と数十の坊庵を誇る大寺院であったが、室町時代後期の天文10年(1541年)4月7日、播磨国に攻め込んできた出雲国の守護大名である尼子氏の戦禍を受け、灰燼に帰した。後に龍野城主・赤松政秀とその子赤松広英、中興・楽々山円勝寺(現・たつの市)の円光院昌仙などの発願で徐々に復興していった。また復興を機に、従来法隆寺別院であったのを天台宗へ改めている。
豊臣秀吉から300石を寄進され、江戸時代には歴代将軍の御朱印地となった。
境内
- 講堂(太子町指定有形文化財) - 弘治2年(1556年)再建。明和6年(1769年)大修理。
- 聖徳殿前殿(兵庫県指定有形文化財) - 天文20年(1551年)再建。寛文5年(1665年)大修理。
- 聖徳殿中殿(国登録有形文化財) - 1916年(大正5年)建立。
- 聖徳殿後殿(国登録有形文化財) - 1916年(大正5年)建立。太子十六歳像を祀る。法隆寺夢殿を参考にした裳階付八角二重円堂となっている。
- 天神社(太子町指定有形文化財) - 天保6年(1835年)再建。
- 宝勝院 - 本坊となっている。
- 聖宝殿 - 宝物館。
- 聖霊権現社(太子町指定有形文化財) - 稗田神社御旅所。文政10年(1827年)再建。
- 東門
- 鐘楼(兵庫県指定有形文化財) - 天正20年(1592年)に赤松広英によって再建。元禄6年(1693年)大修理。
- 三重塔(重要文化財) - 永禄8年(1565年)に龍野城主赤松政秀によって再建。
- 弥勒堂
- 聖徳太子尊像
- 山王社(兵庫県指定有形文化財) - 明暦2年(1656年)再建。
- 仁王門(兵庫県指定有形文化財) - 寛文13年(1673年)再建。
文化財
重要文化財
以上三尊は講堂に安置される秘仏で、2月22・23日の太子忌に開帳される。これらの像を止利仏師の作とするのは伝承にすぎず、実際には室町時代の斑鳩寺復興時の造立であるが、着衣の形式などが古様で、飛鳥時代の古像を手本に造られたものと推定される。
- 木造日光・月光菩薩立像 - 鵤荘北方の楽々山円勝寺から移す。
- 木造十二神将立像 8躯
- 紺紙金泥釈迦三尊十六羅漢像 5幅
- 絹本著色聖徳太子勝鬘経講讃図
- 峯相記 永正八年慶紹書写奥書(1511年)
- 鵤庄引付
国登録有形文化財
- 聖徳殿中殿
- 聖徳殿後殿
兵庫県指定有形文化財
- 聖徳殿前殿
- 鐘楼
- 仁王門
- 山王社
- 庫裏
- 絹本著色八葉曼荼羅図
太子町指定有形文化財
太子町指定史跡
- 斑鳩寺境内 附:富の小川
太子町指定天然記念物
- 斑鳩寺のさざんか
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