士官 大日本帝国海軍の士官

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士官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/07 07:40 UTC 版)

大日本帝国海軍の士官

基本的な階級

制度上は兵から下士官、准士官、士官と順次進級できる可能性がある陸軍と異なり、学歴至上主義の海軍では士官と学歴が無い下士官兵では全く別の階層だった。海軍士官と言っても職種と任用前の経歴により大別すると、正規の養成教育を受けた「士官」、商船学校出身や予備学生出身の「予備士官」、それと下士官兵から累進した「特務士官」に分けられていた。

その内、「士官」は戦闘要員を主体とする兵科士官(「将校」)と戦闘要員を支援する技術士官(「将校相当官」)に更に分けられた。兵科士官は海軍兵学校海軍機関学校で3年間教育を受けたあと、海軍少尉候補生に命ぜられ、練習艦隊の訓練、つづいて艦隊での実地勤務を経ると海軍少尉に任用されて、正式な兵科士官となって配属される。少尉、中尉の間は広く知識と経験を得させるため、甲板士官、砲術士、通信士など一通り何でもやらされるが、おおむね大尉に進級すると、各種術科学校(砲術、水雷、通信、航海、潜水、飛行)の高等科学生に入校して、特性に応じた教育を平時の場合は約1年間(太平洋戦争中は大幅に短縮)受けた。術科学校の高等科学生を卒業すると改めて勤務する軍艦において、教育された各科の科長、つまり砲術長、水雷長、通信長、航海長、内務(1943年12月に新設。それまでの運用科、工作科と機関科の電気部門、補助機械部門を統合)長についた[12]。技術科士官は造船科、造機科(艦船のエンジン)、造兵科(兵器)、水路科の4科の士官を総括していう。大学令による大学(主として東京帝国大学)の工学部、理学部在学中の学生から試験で採用、海軍学生または海軍委託学生として毎月一定の手当てを支給。卒業と同時に造船中尉、造兵中尉に任官する。1942年(昭和17年)11月、前述の4科は技術科に一本化、官職名は海軍技術中尉になった。

このほか、主計科・軍医科薬剤科歯科医科法務科看護科軍楽科も「将校」でなく「将校相当官」である(時期により異なる)。

兵科士官のみが「将校」とし、その他の科に属する士官は「将校相当官」とし、指揮権はなく、昇進も中将どまりである。なお、1904年(明治37年)以降は、東京高等商船学校や神戸高等商船学校の生徒について入校即日に海軍予備生徒(海軍予備員)に任じ、卒業後は予備少尉あるいは予備機関少尉に任官させた。高等商船学校生徒は、在校中、海軍砲術学校に6ヶ月間入校し初級予備士官としての教育を受けた。予備士官は、制度上は最終的に大佐まで昇進できるようになっていた。これらは海軍の兵科・機関科の関係の変遷や階級呼称の変遷に伴い、それに準じて制度が改正された。

海軍士官の階級・兵科将校(兵科将校という表現は厳密には1920年-1942年(大正9年-昭和17年)のみ用いられている)の場合:大将-中将-少将-大佐-中佐-少佐-大尉-中尉-少尉-少尉候補生

昭和期の海軍においては、習慣的な呼称として大佐を“だいさ”、大尉を“だいい”と呼ぶことがあった[注 1]。ただし、大将は陸軍と同じ“たいしょう”であった。大将のみ“たいしょう”と読む理由は、司令官たる大佐(本来は少将ポストだが今後昇任予定、もしくは特例による大佐)が座乗する旗艦については少将旗ではなく代将旗だいしょうき)を掲揚するので、これと大将とを混同しないようにするためである。

1870年(明治3年)から日本の海軍はイギリス海軍の兵制を斟酌して編制してきたが[14]1912年以前のイギリス海軍には中佐及び中尉に相当する官が無く、各国海軍の官制でも大将(アドミラル)以下少尉(サブリフテナント)までを7官階とするものが多かった[15] [注 2]。 このため1886年(明治19年)までの官階にては大佐・中佐を以てケピテン (Captain) に相当し、大尉・中尉を以てレフテナント (Lieutenant) に相当すると定めてきたところ[15] [19]、外国海軍で同一の官であるものが日本では異なる官名に別れていると外交上不都合が多いとして、1886年(明治19年)7月12日に大中佐を合わせ大佐とし大中尉を合わせて大尉とし大将以下7官名とした[20]。ただし、官等は陸軍武官及び文官との比較ができるように大佐は奏任一等二等とし大尉は奏任四等五等とした[21]。 その後、海軍の技術が著しく進歩して軍艦に一大変遷を来したために、これを指揮・操縦する武官の責任の重さや資格及び待遇に著しい差が生まれたことから、1897年(明治30年)9月16日に責任の軽重に応じた資格あるものを補職できるように再び中佐及び中尉の官を置き職課に対する官階の適合を期した[22]

機関科

明治初期は、直接戦闘に従事する高等武官(海軍兵学校出身者が中心)のみを将校として、それ以外(機関官を含む)は乗組文官であった。1872年(明治5年)に機関官などが武官に転換して士官となる。1906年(明治39年)の「明治39年1月26日勅令第9号」により、機関官の階級呼称を兵科のそれにならう(機関総監・機関大監・機関中監・機関少監・大機関士・中機関士・少機関士を、機関中将・機関少将・機関大佐・機関中佐・機関少佐・機関大尉・機関中尉・機関少尉と改める)。

1915年、大正4年12月2日勅令第216号により、機関官が機関将校(将校とは異なる区分)と改められる(この時点では将校・機関将校の2種が置かれる)。 1920年(大正9年)に大正8年9月22日勅令第427号により「機関将校」及び「予備機関将校」が、「将校」に統合されて「将校」(機関科)及び「予備将校」(機関科)となる(機関科将校)。 1924年(大正13年)に少将以上の兵科・機関科の区別を廃止する。 1942年(昭和17年)に将校の兵科・機関科の区別を廃止する。

長らく、戦闘に直接従事する高等武官と、機関科に属する士官とを区別していたのは、有事の際に指揮権継承の優先権を軍令承行令に基いて、戦闘指揮の教育を受けている海軍兵学校出身者に与えるためであった。

特務士官

軍艦など高度な科学技術を用いて設計、製造、配備、操作、運用、整備される武器、装備品や機関を取り扱うため、海軍の下士官兵はそれら兵器類の取り扱いに習熟していなければならない。准士官の兵曹長が、砲術科、水雷科など各科での実務面のリーダーである掌砲長、信号長、電信長、掌整備長などになっていた[23] が、下士官からの叩き上げでは兵曹長より上には名誉進級か戦死に伴った昇進の場合を除いて進級できなかった。

日露戦争が終わると海軍は、棍棒外交方針により巨大な海軍力を建設しつつ太平洋へも進出を企てているアメリカを仮想敵国に定め、1907年(明治40年)に初度決定された帝国国防方針を元にした大建艦計画の一環として、1915年(大正4年)から八四艦隊案の予算化整備が始まる。増加する新鋭艦艇へいずれ下士官兵が多数必要となるが、要員の熟練度を上げる養成は短期間では不可能だった。それで下士官兵が習熟すべき実務に熟達している兵曹長をそのまま退役させるのではなく、陸軍にはない「特務士官」という独自の官階を新たに作って移し現役定限年齢も50歳に延ばして海軍に留めておこうとした。

特務士官は、実際は海軍兵学校を頂点とするエリート意識がアイデンティティである海軍の学閥偏重主義、学歴至上主義のため、叩き上げの優秀なエキスパートであっても将校とはされず、正規の士官より下位とされた[24]ため、時に『スペ公』という蔑称で呼ばれ、大田正一のように自身の意見が聞き入れられない事に不満を抱く者もいた。

軍令承行令での有事における指揮権の委譲では階級に関係なく

  1. 兵科将校
  2. 機関科将校
  3. 兵科予備士官
  4. 機関科予備士官
  5. 兵科特務士官
  6. 機関科特務士官
  7. 主計科士官
  8. 主計科予備士官
  9. 軍医科士官
  10. 薬剤科士官
  11. 歯科医科士官

の順であった。

制度の変遷

1897年(明治30年)12月1日に明治30年勅令第310号を施行して海軍武官官階表を改正したがこのときはまだ特務士官の名称がなく、士官の欄に海軍兵曹長、海軍軍楽長、海軍船匠長、海軍機関兵曹長、海軍看護長、海軍筆記長を加え、少尉と同等(高等官八等:奏任)とした[注 3]。 明治30年勅令第313号により海軍高等武官進級条令を改正し、兵曹長及び機関兵曹長は特選により中尉及び中機関士に進級させることができるとした[28]。 明治30年勅令第314号海軍高等武官補充条例を定め、この条例で兵曹長相当官と称するのは軍楽長・船匠長・機関兵曹長・看護長及び筆記長を言い、海軍兵曹長及びその相当官は現役准士官中技量抜群であって実役停年6箇年を超えた者より選抜任用するとした[注 5]

1915年(大正4年)12月15日、大正4年勅令第216号を施行して改正した別表の海軍武官官階表では、海軍兵曹長、海軍機関兵曹長、海軍軍楽長、海軍船匠長、海軍看護長、海軍筆記長についてこれに特務士官なる名称を設けた[31] [注 6]。海軍武官官階表の海軍機関兵曹長の位置を海軍兵曹長の次に移動した[31]

1920年(大正9年)4月1日、大正9年勅令第10号を施行して次のように改称、海軍兵曹長 → 海軍特務少尉、海軍機関兵曹長 → 海軍機関特務少尉、海軍軍楽長 → 海軍軍楽特務少尉、海軍船匠長 → 海軍船匠特務少尉、海軍看護長 → 海軍看護特務少尉、海軍筆記長 → 海軍主計特務少尉、海軍予備兵曹長 → 海軍予備特務少尉、海軍予備機関兵曹長 → 海軍予備機関特務少尉[35]
特務士官で最も上の階級を大尉と同等に改め、特務大尉と特務中尉を新設[35]

1942年(昭和17年)11月1日、特務士官の階級名から「特務」との呼称が削除され、特務大尉 → 大尉、特務中尉 → 中尉、特務少尉 → 少尉 と改められたが、実際は海軍廃止まで特務士官制度は存続し必要に応じて「特務士官たる~尉」と区別されていた[注 7]

日本海軍の特務士官及び准士官の階級呼称の変遷(1897年から1946年解隊まで)[22] [31] [35] [37]
[注 8] 1897年(明治30年) 1915年(大正4年) 1920年(大正9年) 1942年(昭和17年)
高等官 六等 士官[注 5] 特務士官[注 6] 特務大尉 大尉
七等 特務中尉 中尉
八等 兵曹長[注 3] 兵曹長 特務少尉 少尉
九等
判任官 一等 准士官 上等兵曹 准士官 上等兵曹 兵曹長 兵曹長

特選制度

明治30年12月1日に兵曹長及び同相当官を置いた際に[22]、海軍高等武官進級条令の改正により兵曹長及び機関兵曹長は特選により中尉・中機関士に任用することができる道が開かれた[28]1900年(明治33年)に初めての中尉が誕生している。しかし、名誉進級か戦死に伴った昇進であり、中尉として勤務できたものはいなかった。1920年(大正9年)の大改正までに昇進できたものも約100名程度にとどまっている。大改正により特務中尉・特務大尉の階級を新設し、特務大尉・機関特務大尉及び主計特務大尉は特選により各少佐・機関少佐及び主計少佐に任用することができるとしたが[47]、従来は少尉と同等であった特務士官が特務大尉まで進級できるようになったため、大正年間には特選任用されたものは出ていない。1927年(昭和2年)になり主計特務大尉から士官たる主計少佐に昇進したものが現れた。1934年(昭和9年)に整備科を設けた際に海軍武官任用令を改正し、特務大尉及び航空特務大尉は少佐に、機関特務大尉及び整備特務大尉は機関少佐に、主計特務大尉は主計少佐に特選により各これを任用することができるとした[注 9]。当初は、予備役編入寸前に特進する名誉少佐であったが、1937年(昭和12年)に至り、現役中に昇進する者がでてきた。海軍消滅までに、戦死者を含め各科約1800名が少佐に昇進している。1938年(昭和13年)に工作科を設けた際に海軍武官任用令を改正し、機関特務大尉及び整備特務大尉に加えて工作特務大尉も機関少佐に特選により各これを任用することができるとした[49]。1942年(昭和17年)の海軍武官官階改正に伴い海軍武官任用令を改正し、軍楽少佐及び衛生少佐の特選に関する規定を設けて、特務士官である各科大尉は特選により当該科の少佐にこれを任用することができるとした[50]。 また、1942年(昭和17年)に、兵科2名、機関科1名の現役中佐への昇進者がでた。

1944年(昭和19年)に海軍武官任用令を改正し、飛行予科練習生出身(操縦練習生・偵察練習生出身者を含む)の特務士官たる大尉は特選により士官たる大尉にこれを任用することができるとした[注 10]。その後、1945年(昭和20年)の海軍武官任用令改正により、飛行予科練習生出身の兵科特務士官は中尉、少尉も特選により同官等の兵科士官にこれを任用することができるよう制度が拡充した[52]。しかし適用をうけられたのは大尉への任用のみで10名に満たない。戦後の自衛隊では旧日本軍の予科練制度を航空学生として引き継いでいるが特務士官制度は廃止したため、防大や一般大学の卒業者との区別なく幹部候補生学校で教育を受け幹部となる。ただし、一般幹部とは昇進のスピードが違うなどのキャリアパスに格差が残っている。


注釈

  1. ^ 海軍省監修書籍では振り仮名に「たいさ」「たいい」を用いており「だいさ」「だいい」の表記が出てくることはない。NHKメディア研究部によれば、正式の読み方ではなく昭和期の旧海軍での習慣的呼称とされる[13]
  2. ^ イギリス海軍における階級章の袖章の線は大佐が4条線となり以下1条ずつ減ぜられることとなっていた。また、コマンダーは陸軍少佐と同等の階級として扱われていたが[16]、1912年にレフテナントのうち先任者が「レフテナント・コマンダー」として少佐と同等に扱われるようになると、コマンダーは中佐相当となった[17]。ただし、中尉に相当するものはその後もイギリス海軍には設けられていない。 なお、フランス海軍も大将以下中尉までの7官階としていたが、ただしイギリス海軍とは異なり中佐及び中尉に相当する官があり少佐及び少尉と同等の官が無かった[18]
  3. ^ a b 閣議の趣旨説明によると、日清戦争後、経営の要務として海軍の規模を拡張しており、従って軍事諸機関の増大を来たし、かつ甲鉄戦艦の新造に伴い従来の准士官のみでは職務責任の上に於いて衡平を得ない場合を生ずる状況になり准士官の上になお上級の官を設ける必要があるのに加え、日清戦争後に一般海事上で異常に長足の進歩を来たし海員を要すること益々多くなったため、海軍下士卒であって民間に移ろうとする者が増加する傾向にあるので、この際に兵曹長等の諸官を置きその官等は少尉と同等にすることで、一つは職務に対する官等の衡平を得させ、一つは下級軍人の進路に好ましい望みを与えかつ積年の勤労とその技能の熟練とに対し一層の奨励を加えることにした[22]。なお、このときは「特務士官」の区分はなく兵曹長等は少尉等と同等の官即ち士官であった[25] [26] [27]
  4. ^ 明治30年勅令第314号海軍高等武官補充条例に於いて少尉相当官と称するのは少機関士、少軍医、少薬剤士、少主計、造船少技士、造兵少技士及び水路少技士を言い、兵曹長相当官を称するのは軍楽長、船匠長、機関兵曹長、看護長及び筆記長を言う[29]
  5. ^ a b 海軍高等武官補充条例の「第三章 士官ノ補充」の第16条で「但し兵曹長及び其の相当官の任用は第四章に依る」とあり、兵曹長及び其の相当官の分類は士官とした上でその取り扱いは少尉及び其の相当官[注 4]とは区別する形となる[30] [29]
  6. ^ a b 閣議の趣旨説明によると、兵曹長同相当官には従来総合的な名称がなかったのでこれに特務士官なる名称を設けることが適当と判断したとある[32]。海軍武官官階表の見出し「士官」は尉官・機関尉官・尉官相当官・特務士官・予備尉官・予備機関尉官及び予備特務士官の全部に係るように見える[31]。また、このとき海軍高等武官補充条例を改正して「兵曹長及び其の相当官」などを「特務士官」に改めたので、「第三章 士官ノ補充」の第16条但書は「但し特務士官の任用は第四章に依る」となり、特務士官の分類は士官とした上でその取り扱いは少尉・機関少尉及び少尉相当官とは区別する形となる[33]。大正7年10月1日勅令第265号により海軍高等武官任用令を制定して高等武官補充条例を廃止したことにより、「第三章 士官ノ任用」では特務士官の記述は無くなり「第四章 特務士官ノ任用」とは当然に区別する形となる[34]
  7. ^ 法制局参事官宛の審査資料によると、特務士官の官名を変更する理由は、(A)特務士官に期待することは益々大と成りつつあって、速やかに特務士官の素質素養を向上して特務士官を将校とすることが適当である。(B)陸軍との釣り合いからも特務士官を将校とすることが適当である。(C)時局柄一挙に特務士官を将校とすることは素養等の関係より見ても適当ではなく、だからといって現状のまま放任しておくことは理由(A)(B)によってまた適当ではなく、結局特務士官を将校とするその準備的改正とも称すべき過渡期な今回の改正を必要とする。(1)現在例えば海軍特務大尉を海軍大尉の配置に充てて海軍大尉としての職務を執らせつつあるものが相当多数あり殊に航空関係に於いてはその数非常に多い。(2)陸軍との釣り合い等より見ても官名だけでも改正することが適当である。(3)志願兵の素質向上のためにも官名だけでも改正することが適当である。とした[36]
  8. ^ 明治27年文武判任官等級表改正[38]。明治30年高等官官等俸給令中改正[39]。明治37年文武判任官等級表改正[40]。明治43年文武判任官等級令制定[41]。大正4年勅令第217号高等官官等俸給令改正[42]。大正4年勅令第218号文武判任官等級令改正[43]。大正9年勅令第12号高等官官等俸給令改正[44]。大正9年勅令第13号文武判任官等級令改正[45]。昭和17年勅令第692号海軍武官官階及海軍兵職階ノ改正ニ際シ高等官官等俸給令外六勅令中ヲ改正[46]
  9. ^ 閣議の趣旨説明によると、航空科に対し他の科と同様少佐に任用の道を拓き、かつ整備科の新設により整備特務大尉より機関少佐に任用する規定を設ける必要があるとした[48]
  10. ^ 閣議の趣旨説明によると、飛行予科練習生出身の特務士官には極めて優秀な者があり、これらの者については武官任用令第18条の4の規定により特選により少佐に任用した者の現役定限年齢及び給与につき規定を整備する必要があるとした[51]

出典

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  29. ^ a b 「御署名原本・明治三十年・勅令第三百十四号・海軍高等武官補充条例制定海軍高等武官任用条例海軍高等武官候補生規則及明治二十八年勅令第六十三号(戦時事変ニ際シ海軍高等武官任用ノ件)廃止」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020305600、御署名原本・明治三十年・勅令第三百十四号・海軍高等武官補充条例制定海軍高等武官任用条例海軍高等武官候補生規則及明治二十八年勅令第六十三号(戦時事変ニ際シ海軍高等武官任用ノ件)廃止(国立公文書館)(第2画像目から第4画像目まで、第8画像目、第10画像目から第11画像目まで、第14画像目)
  30. ^ 「海軍高等武官補充条例ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15113148500、公文類聚・第二十一編・明治三十年・第十四巻・官職八・任免(外務省~雑載)(国立公文書館)(第1画像目から第2画像目まで、第21画像目から第23画像目まで、第25画像目から第26画像目まで、第28画像目から第29画像目まで)
  31. ^ a b c d 「御署名原本・大正四年・勅令第二百十六号・海軍武官官階表改正」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03021050200、御署名原本・大正四年・勅令第二百十六号・海軍武官官階表改正(国立公文書館)
  32. ^ 「明治三十年勅令第三百十号海軍武官官階ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A13100163700、公文類聚・第三十九編・大正四年・第六巻・官職門五・官制五(官等俸給及給与~庁府県)(国立公文書館)(第8画像目)
  33. ^ 「御署名原本・大正四年・勅令第二百二十号・海軍高等武官補充条例中改正」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03021050600、御署名原本・大正四年・勅令第二百二十号・海軍高等武官補充条例中改正(国立公文書館)
  34. ^ 「御署名原本・大正七年・勅令第三百六十五号・海軍高等武官任用令制定高等武官補充条例廃止」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03021161000、御署名原本・大正七年・勅令第三百六十五号・海軍高等武官任用令制定高等武官補充条例廃止(国立公文書館)
  35. ^ a b c 「御署名原本・大正九年・勅令第十号・大正四年勅令第二百十六号(海軍武官官階表)改正」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03021234800、御署名原本・大正九年・勅令第十号・大正四年勅令第二百十六号(海軍武官官階表)改正(国立公文書館)
  36. ^ 「大正九年勅令第十号海軍武官官階ノ件〇大正九年勅令第十一号海軍兵職階ニ関スル件ヲ改正ス・(機関科ヲ兵科ニ、造船、造機、造兵等ノ各科ヲ技術科ニ廃止統合等並官名改正ノ為)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03010008700、公文類聚・第六十六編・昭和十七年・第十五巻・官職十一・官制十一(海軍省)(国立公文書館)(第1画像目から第22画像目まで)
  37. ^ 「御署名原本・昭和十七年・勅令第六一〇号・大正九年勅令第十号海軍武官官階ノ件改正ノ件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03022751000、御署名原本・昭和十七年・勅令第六一〇号・大正九年勅令第十号海軍武官官階ノ件改正ノ件(国立公文書館)
  38. ^ 「御署名原本・明治二十七年・勅令第四十三号・文武判任官等級表改正」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020173300、御署名原本・明治二十七年・勅令第四十三号・文武判任官等級表改正(国立公文書館)
  39. ^ 「高等官官等俸給令中ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15113143500、公文類聚・第二十一編・明治三十年・第十三巻・官職七・官制七・官等俸給及給与二(海軍省二~旅費)(国立公文書館)
  40. ^ 「文武判任官等級表中ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A01200938500、公文類聚・第二十八編・明治三十七年・第四巻・官職四・官制四・官等俸給及給与(外務省~旅費)(国立公文書館)
  41. ^ 「文武判任官等級令ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15113760100、公文類聚・第三十四編・明治四十三年・第六巻・官職門五・官等俸給及給与~旅費(国立公文書館)(第3画像目から第6画像目まで)
  42. ^ 「高等官官等俸給令中ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A13100162700、公文類聚・第三十九編・大正四年・第六巻・官職門五・官制五(官等俸給及給与~庁府県)(国立公文書館)
  43. ^ 「文武判任官等級令中ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A13100162800、公文類聚・第三十九編・大正四年・第六巻・官職門五・官制五(官等俸給及給与~庁府県)(国立公文書館)
  44. ^ 「高等官官等俸給令中ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A13100424200、公文類聚・第四十四編・大正九年・第十二巻・官職十一・官制十一・官等俸給及給与一(内閣~陸軍省)(国立公文書館)
  45. ^ 「文武判任官等級令中ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A13100424300、公文類聚・第四十四編・大正九年・第十二巻・官職十一・官制十一・官等俸給及給与一(内閣~陸軍省)(国立公文書館)
  46. ^ 「海軍武官官階及海軍兵職階ノ改正ニ際シ高等官官等俸給令外六勅令中ヲ改正ス・(制度ノ改正ニ伴フ為)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A14101005800、公文類聚・第六十六編・昭和十七年・第五十六巻・官職五十二・官制五十二官等俸給及給与附手当一(国立公文書館)
  47. ^ 「海軍高等武官任用令中ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A13100432900、公文類聚・第四十四編・大正九年・第十四巻・官職十三・任免一(外務省~鉄道省)(国立公文書館)
  48. ^ 「海軍武官服役令中○海軍志願兵令中○海軍武官任用令中○大正十四年勅令第二百五十六号海軍兵転科ニ関スル件中ヲ改正ス・(航空兵制度ノ改正ニ伴フモノ等)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A14100427300、公文類聚・第五十八編・昭和九年・第三十六巻・軍事・陸軍・海軍、学事(大学~雑載)、産業一・農事(国立公文書館)(第21画像目から第22画像目まで)
  49. ^ 「海軍武官任用令中○海軍武官進級令中ヲ改正シ○海軍所属ノ技師又ハ技手ノ職ニ在リタル者ヨリ海軍士官ニ任用等ニ関スル件ヲ定ム・(工作特務大尉ノ機関少佐ニ特選任用・召集中ノ予後備准士官等ノ任用進級)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A02030053700、公文類聚・第六十二編・昭和十三年・第五十巻・官職四十八・任免(内閣~雑載)(国立公文書館)(第1画像目から第7画像目まで)
  50. ^ 「海軍武官任用令中ヲ改正ス・(官階ノ改正ト依託学生生徒令制定ニ伴フ為)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03010032600、公文類聚・第六十六編・昭和十七年・第五十八巻・官職五十四・任免(内閣~試験)(国立公文書館)(第1画像目から第11画像目まで)
  51. ^ 「海軍武官任用令外三勅令中ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03010177100、公文類聚・第六十八編・昭和十九年・第三十九巻・官職三十九・任免(内閣・大蔵省・陸海軍省~関東局)(国立公文書館)(第1画像目から第10画像目まで)
  52. ^ 「海軍武官任用令外四勅令中ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03010238700、公文類聚・第六十九編・昭和二十年・第三十七巻・官職三十一・任免(内閣・内務省・大蔵省~都庁府県)(国立公文書館)






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