海軍機関科問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/18 01:21 UTC 版)
海軍機関科問題(かいぐんきかんかもんだい)とは、海軍の士官制度において、兵科の士官と機関科の士官に設けられた区別に関する対立のことである。19世紀前半の蒸気推進軍艦導入以降、海軍には動力装置を操作する機関要員が必要になったが、その幹部である機関科士官は、制度上で戦闘要員である兵科士官と区別されることがあった。指揮権の有無や階級制度、給与、養成課程など様々な面において異なった取り扱いがされていたが、軍艦における動力装置の重要度の高まりや機関科士官らの抗議などにより制度変更が行われた。教育制度を中心とした兵科・機関科の制度統合のことを兵機一系化(へいきいっけいか)ともいう。
- ^ 機関学校教官の議論を傍聴した兵学校長の谷口尚真(海兵19期)は、一系化には同調しなかった。中村義彦は、谷口が属する海兵19期が機関学校廃止期間にあたることから、同期多数が機関科に強制転科させられて苦労した経験をふまえ反対したのではないかと推測している[17]。
- ^ この頃、相談を受けた東郷平八郎が、「罐焚きどもがまだそんなことを言うとるのか。今後この問題に一切口を出さすな」と返し、差別撤廃案は現状維持となったという逸話がある[18]。
- ^ 例として田中實(相模野海軍航空隊司令、追浜海軍航空隊司令、のち第百一航空戦隊司令官)、篠崎礒次(第一相模野海軍航空隊司令、第二相模野海軍航空隊司令)、向山聰男(西ノ宮海軍航空隊司令)、守弘作郎(第二相模野海軍航空隊司令)、津村慶四郎(第二台南海軍航空隊司令)、宮下省吾(三澤海軍航空隊司令)、藤村正亮(倉敷海軍航空隊司令)、山田慈郎(岡崎海軍航空隊司令)など。
- ^ a b 中村(1984)、98頁。
- ^ a b Potter (1960), p.120
- ^ 戸高(2009)、131頁。
- ^ Morrison, D. B., The British Naval Engineer: His Present Position and Influence on Our Sea Power, Transactions of the North East Coast Institute of Engineers, 30 March 1900, pp. 183-237
- ^ Morrison, D. B., The Engineering Crisis of the Navy, Transactions of the Institute of Engineering and Shipbuilders in Scotland, 18 December 1900, pp.102-156
- ^ a b c d 中村(1985)、360頁。
- ^ 中村(1985)、361-362頁。
- ^ a b 中村(1985)、366頁。
- ^ a b 中村(1984)、104頁。
- ^ 戸高(2011)、330頁。
- ^ 戸高(2009)、116頁。
- ^ 雨倉(2007)、185頁。
- ^ a b 中村(1984)、99頁。
- ^ a b 中村(1984)、100頁。
- ^ 雨倉(2007)、270頁。
- ^ 雨倉(2007)、272-273頁。
- ^ a b 中村(1985)、365頁。
- ^ 手塚(2012)
- ^ 戸高(2009)、128頁 末国正雄発言。
- ^ 戸高(2009)、132-133頁。
- ^ 中村(1984)、103頁。
- ^ 中村(1984)、108頁。
- ^ a b 中村(1984)、107頁。
- ^ 雨倉(2007)、287頁。
- ^ 中村(1984)、109頁。
- ^ a b c d 雨倉(2007)、284-286頁。
- ^ 戸高(2011)、323頁。
- ^ 雨倉(2007)、286-287頁。
- ^ a b c d 雨倉 1997, pp. 56–58, "軍需局長"は機関科専用
- ^ a b c d 雨倉 1997, pp. 58–59, 最高ポストは艦政本部長
- ^ 秦 2005, p. 217, 渋谷隆太郎
- ^ 秦 2005, p. 180, 井上成美
- ^ 雨倉 1997, pp. 163–164, 大将の定年
- ^ 軍事研究(昭和49年10月号)「空幕長は海軍機関大尉」,p122~131
- 1 海軍機関科問題とは
- 2 海軍機関科問題の概要
- 3 大日本帝国海軍
- 4 参考文献
- 5 関連文献
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