将校相当官から機関科将校へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 04:28 UTC 版)
「海軍機関科問題」の記事における「将校相当官から機関科将校へ」の解説
イギリス海軍におけるフィッシャー第一海軍卿による兵機一系化改革を見た帝国海軍は、八代六郎海相の下での海軍改革の一環として機関科問題に取り組み、1915年(大正4年)12月、機関科士官を将校相当官から将校に準じた「機関将校」に格上げした。同時に「軍令承行に関する件」も廃止され、新たに制定された「軍令承行令」によって、16年ぶりに機関科士官にも軍令承行権が与えられた。1919年(大正8年)9月には、軍医科や主計科などの将校相当官の改称と合わせて、兵科将校と並ぶ将校カテゴリーの一種としての機関科将校に変更された。もっとも、機関科士官に軍令承行権が認められたと言っても、兵科士官に次ぐ序列とされ、兵科最下位の少尉の次に機関科最高位の中将に指揮権が移行するという順位に過ぎなかった。同時に、士官教育の一系化や機関大将の階級創設も検討されたが、不採用となった。 また、1916年(大正5年)3月には、機関科の軍政の総元締めとして、海軍省に機関局を設置した。機関局長は、機関科将校の最高ポストとなった。
※この「将校相当官から機関科将校へ」の解説は、「海軍機関科問題」の解説の一部です。
「将校相当官から機関科将校へ」を含む「海軍機関科問題」の記事については、「海軍機関科問題」の概要を参照ください。
- 将校相当官から機関科将校へのページへのリンク