倉敷海軍航空隊とは? わかりやすく解説

倉敷海軍航空隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/12 15:10 UTC 版)

倉敷海軍航空隊跡地の空中写真(1948年)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

倉敷海軍航空隊(くらしきかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。岡山県児島郡福田村(現在の倉敷市水島)に所在した。4500人もの志願者を募った予科練乙飛第22期の生徒を教育するため、最後に新設された予科練教育航空隊である。緊急に開隊するために農地・集落を収用し、3ヶ月で兵舎・教育施設の落成に漕ぎつけた。

沿革

  • 1944年(昭和19年)11月1日 - 開隊。第19連合航空隊に編入。三重海軍航空隊から乙飛第21期500名・第22期500名転入
  • 1945年(昭和20年)
    • 2月1日 - 三重空から乙飛第23期800名が疎開転入
    • 3月1日 - 19連空解散。呉鎮守府隷下第21連合航空隊に転籍
    • 3月20日 - 乙飛第21期卒業(唯一の卒業生)
    • 6月1日 - 予科練教育凍結。水上・水中特攻訓練に教程変更。
    • 6月22日 - 水島空襲により、隣接する三菱重工業水島航空機製作所から類焼。以後、重工を標的とする空襲により類焼被害多数
    • 昭和20年7月15日 - 21連空解散。呉鎮守府部隊に転籍
    • 終戦後武装解除

空襲による物的被害は大きかったが、生徒・教官の犠牲者は少なかった。呉鎮守府が管轄する各部隊に振り分けられることになり、震洋伏龍の訓練に明け暮れるうちに終戦を迎え、戦線投入には至らなかった。

主要機種

教育訓練部隊のため、航空機の配属はない。

歴代司令

  • 藤村正亮:昭和19年11月1日 -
  • 森本丞 予備少将:昭和20年7月10日 - 武装解除・解隊

関連項目

参考文献

  • 『日本海軍編制事典』(芙蓉書房出版 2003年)
  • 『航空隊戦史』(新人物往来社 2001年)
  • 『日本海軍航空史2』(時事通信社 1969年)
  • 戦史叢書 海軍航空概史』(朝雲新聞社 1976年)
  • 『海軍飛行豫科練習生1』(国書刊行会 1983年)
  • 『連合艦隊海空戦戦闘詳報別巻1』(アテネ書房 1996年)

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「倉敷海軍航空隊」の関連用語

倉敷海軍航空隊のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



倉敷海軍航空隊のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの倉敷海軍航空隊 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS