第一美保海軍航空隊
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「美保海軍航空隊」の記事における「第一美保海軍航空隊」の解説
甲飛第13期は空前の30000人規模の募集を図った。これを収容するため、海軍は3個教育航空隊を増設する。美保空・松山海軍航空隊・三重海軍航空隊奈良分遣隊である。比較的整備された美保飛行場を活かすべく、若干の機上練習機を投入し、航空術訓練に充当した。 昭和18年(1943年) 10月1日 開隊 美保を原隊とする第三八一海軍航空隊が開隊。 10月5日 甲飛第13期入隊(19年7月25日卒業) 昭和19年(1944年) 4月6日 甲飛第14期入隊(10月31日卒業延期) 9月8日 小松海軍航空隊開隊にともない、14期の一部転出。 9月20日 甲飛第15期前期入隊 10月20日 甲飛第15期生後期入隊 12月2日 15期前期の一部、小松空へ転出。 昭和20年(1945年) 3月1日 第十九連合航空隊解隊。二十三連合航空隊に転籍。 3月3日 14期・15期転出(美保飛行場拡張・新川基地建設など) 4月5日 甲飛第16期入隊 5月29日 14期第一次特攻隊員、蛟龍訓練のため柳井潜水学校へ転出。 6月13日 14期第二次特攻要員、秋水訓練のため三重海軍航空隊へ転出。 6月14日 16期退隊。 6月20日 14期第三次特攻要員、佐伯防備隊へ転出。 6月23日 14期残留隊員、特攻予備員として倉敷海軍航空隊へ転出。 6月30日 美保海軍航空隊解隊 予科練教育の凍結を期に、14期・15期は他の部隊に派遣され、解隊を前に美保空から生徒はすべて転出した。空になった美保飛行場は、乙飛行隊の山陰海軍航空隊の作戦基地として充てられたが、本土決戦を迎えることなく終戦となった。
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