人事局
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1941年(昭和16年)11月16日、海軍省人事局第1課先任局員。大井は当時の担当参謀として、人事局が予備士官に海防艦やその他護衛艦艇長としての教育を行わなかったことで、戦争が進むにつれ護衛隊幹部の予備士官が増大し、中下級予備将校が不足し召集の余地がなくなったことに関して「海軍部隊の急増で欠陥が暴露した」と反省している。 また、後に実現した徴兵の適齢低下、朝鮮人、台湾人の人員取得を発案したのは大井であった。大井によれば、「陸軍では造船工の召集を提案したことがあった。かかることはとんでもないことで、それよりも学徒動員その他を早期断行すべきである。それは国民に対し大きな衝撃を与えるが、衝撃は早い時機に与え、要すれば後から緩和するほうがよい。最初に思い切った施策を施行すべきであると考え、海軍はこれを主張した。学徒動員の問題などは昭和17年1月頃海軍から提案して閣議で検討されたが厚生省大臣小泉親彦氏の反対があって当時は実現できなかった」という。大井らによって予備学生制度も提案されて後に実現されている。 1941年12月、太平洋戦争勃発。1943年(昭和18年)3月1日、第21特別根拠地隊参謀。7月1日、軍令部第1部甲部員戦争指導班長。
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人事局
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1900年(明治33年)5月20日、大臣官房人事課を拡張。軍人軍属の人事管理、身分保障を分掌する。 歴代人事局長 (心得)橋元正明 大佐:1900年5月20日 - 三須宗太郎少将:1901年7月3日 - 橋元正明少将:1903年12月28日 - 1905年11月13日 (事務取扱)橋元正明中将:1905年11月13日 - 12月20日 小倉鋲一郎少将:1905年12月20日 - 1908年8月28日 (事務取扱)小倉鋲一郎中将:1908年8月28日 - 12月10日 土屋保少将:1908年12月10日 - 1911年3月11日 江頭安太郎少将:1911年3月11日 - 1912年4月20日 山屋他人少将:1912年4月20日 - 1913年12月1日 鈴木貫太郎少将:1913年12月1日 - (兼)鈴木貫太郎少将:1913年12月1日 - 1914年5月27日 (心)向井弥一 大佐:1914年5月27日 - 1915年12月13日 岡田啓介少将:1915年12月13日 - 1917年12月1日 谷口尚真少将:1917年12月1日 - 古川鈊三郎少将:1920年10月1日 - 山梨勝之進少将:1923年2月1日 - 左近司政三少将:1924年12月1日 - 1926年12月1日 藤田尚徳少将:1926年12月1日 - 松下元少将:1928年12月10日 - 阿武清少将:1930年12月1日 - 小林宗之助少将:1933年11月15日 - 清水光美少将:1936年12月1日 - 伊藤整一少将:1938年12月15日 - 中原義正少将:1940年11月28日 - 中澤佑少将:1942年12月10日 - 三戸寿少将:1943年6月15日 - 大野竹二少将:1945年5月7日 - 川井巌少将:1945年11月24日 - 11月30日
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人事局
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明治5年に陸軍省が創設された際には兵科別に局が作られ、人事は夫々別々に行っていた。明治12年10月の官制改正で人員局が創設され、所掌事務は「将官、参謀並びに歩兵、騎兵、憲兵、輜重兵の各兵科及び獣医部、軍楽部の人員調査」であったが砲兵局・工兵局ともに人員課を持ち、人事については統一されていなかった。明治19年3月に人員局が廃止され人事については総務局第四課が掌った。この時には権限が全軍人に亘るが、騎兵局・砲兵局・工兵局では別個に人員調査を掌り将校名簿を管理していた。翌年6月には人事課に改称され、明治23年3月各兵科別の局が廃止され軍務局に一本化され、人事については大臣官房人事課が一括して掌握した。明治33年5月初めて人事局が創設された。所属課は補任課と恩賞課。この体制が長く続いたが、昭和11年8月、徴募課が新設された。昭和13年新たに功績調査部が設置された。昭和14年には先の徴募課が兵務局兵備課に移管され、1部2課体制で終戦を迎える事となる。昭和20年11月30日に陸軍省が廃止され、外地の軍人及び邦人の引揚に係る第一復員省に改組されるが、陸軍省人事局は業務局として残った。これは復員庁に改組縮小されても第一復員局業務部として残った。 1900年(明治33年)5月20日:人事局創設、補任課・恩賞課を置く 1936年(昭和11年)8月1日:徴募課新設 1938年(昭和13年)7月15日:功績調査部を新設 1939年(昭和14年)1月16日:徴募課を兵務局へ移管 歴代人事局長(※階級は就任時のもの、前身の人事課長も掲げた) 総務局第四課長沖原光孚:明治19年3月1日 総務局人事課長沖原光孚:明治20年6月3日 大臣官房人事課長沖原光孚:明治23年3月28日/中佐 田村寛一:明治24年6月18日/大佐 村山邦彦:明治27年10月25日/中佐 真鍋斌:明治28年3月18日/大佐 山内長人:明治30年7月12日/大佐 新井晴簡:明治30年9月28日/大佐 中岡黙:明治31年2月2日/歩兵大佐 人事局長中岡黙:明治33年5月20日/歩兵大佐 本郷房太郎:明治38年9月5日/少将 (扱)石本新六:明治42年9月3日/中将(陸軍次官) 山田忠三郎:明治42年11月30日/少将 河合操:明治45年4月12日/少将 菊池慎之助:大正4年1月25日/少将 白川義則:大正5年8月18日/少将 竹上常三郎:大正8年1月15日/少将 長谷川直敏:大正12年8月6日/少将 川島義之:大正15年3月2日/少将 古荘幹郎:昭和4年8月1日/少将 中村孝太郎:昭和5年12月22日/少将 松浦淳六郎:昭和7年2月29日/少将 今井清:昭和10年3月15日/中将 後宮淳:昭和10年8月13日/少将 阿南惟幾:昭和12年3月1日/少将 飯沼守:昭和13年11月9日/少将 野田謙吾:昭和14年10月2日/少将 富永恭次:昭和16年4月10日/少将 (扱)富永恭次:昭和18年3月11日/中将(陸軍次官) 岡田重一:昭和19年7月28日/少将 額田坦:昭和20年2月1日/少将
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人事局
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人事局は人事に関する事務を司った。 人事局長 川井巌 元海軍少将(1945年(昭和20年)12月1日 - 1946年(昭和21年)6月15日) 復員庁に改組後、第二復員局人事部長に。
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