UWFインターナショナル
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「高山善廣」の記事における「UWFインターナショナル」の解説
大学卒業後、フジサンケイグループで営業マンをやっていたが、プロレスラーの夢を捨てられず悩んでいたところ、宮戸に声を掛けられ旗揚げ間も無いUWFインターナショナルに再入門。1992年6月、金原弘光戦でデビュー。 1995年10月9日に始まったUインターvs新日本プロレスの対抗戦の流れから、安生洋二、山本健一(現:山本喧一)と「ゴールデン・カップス」を結成。 8月17日、Uインター神宮球場大会で行われたバーリトゥード戦でキモと対戦し、チョークスリーパーで一本負け。 9月11日、Uインター神宮球場大会で全日本プロレスの川田利明との対戦が実現するも、ジャンピング・ハイキックで敗れる。 12月のUインター解散後、Uインター関係者が立ち上げた受け皿団体のキングダムに移籍する。
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UWFインターナショナル
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「田村潔司」の記事における「UWFインターナショナル」の解説
UWF崩壊後、UWFインターナショナルに籍を移し、頭角を現す。1992年5月8日、異種格闘技戦でボクシング世界ランカーのマシュー・サード・モハメッドに裸絞めで一本勝ち。同年末に渡米し、ルー・テーズのもとでレスリング技術などを学ぶ。 帰国後、UWFインターの中心選手に成長する中で、1993年に旗揚げされたパンクラスの影響によりシュート(真剣勝負)への渇望を募らせる。一方、ベイダー参戦に見られるUWFインターのプロレス回帰にジレンマを感じ、垣原賢人を相手にシュート志向の試合を行った。 1995年6月18日、ゲーリー・オブライトに勝利するが、オブライトの無気力かつ不可解な戦い方に「お客さんに見せる試合ではない」と涙を流す。同日、団体エースの高田延彦が突然引退宣言、翌7月には参院選に出馬するなどして周囲を困惑させる。代わってメインを務めた田村は、試合後のコメントで高田への反感を露にした。 8月18日にオブライトと再戦、勝利した直後、リングサイドにいた高田へ「俺と真剣勝負してください」とアピールする。しかし実現することなく、UWFインターは新日本プロレスとの対抗戦へと突入した。田村はこの対抗戦への参加を拒否したため(ただしリングス移籍後、山崎一夫、垣原賢人の引退試合で花束を渡すゲストとして、新日本のリングに上がったことがある)、同団体を干される格好となる。またこの年、資金難にあえぐ会社側と契約の問題で揉めたこともあり、数か月間ノーギャラで過ごし、練習も一人でスポーツジムに通って行っていた。この頃は「いつ対抗戦に出るのか」「なぜ出ないのか」と同じ質問ばかりをされ、身近な人を含めて周囲からは自身を気に掛ける言葉もなかった。唯一『週刊ファイト』のUWF担当記者だった波々伯部哲也が「おこめ券」をくれたため、今でも田村は波々伯部に感謝している。 同年12月9日、K-1のリングで約4か月ぶりの試合を行う。UWFインターの所属選手として出場し、お互い素手と裸足によるアルティメット特別ルールでパトリック・スミスと対戦。この試合は消滅が秒読みであったUWFの最後の希望としての試合であり、田村は自分の性格上、負けたら格闘界を去っていたと後年振り返っている。開始すぐにタックルを決め、ヒールホールドで秒殺一本勝ち。後の対談では相手の玉袋筋太郎から「パトスミ戦なんてバーリ・トゥードの本当の先駆けだったわけだしね」とこの試合について語られている。この試合は、バーリ・トゥードにおける日本人プロレスラーの初勝利である。 その後、UWFインターの大会に出場させてもらえるようになったが、後輩の桜庭和志や格下外国人との試合ばかり、それも第1試合や第2試合という前座の扱いになる。また、新日本との対抗戦以来続いていた旧プロレス的な試合を続ける団体との方向性の違いにより、田村は退団の決意を固める。1996年5月27日の桜庭戦で勝利した後、レガースを脱いで客席に放り込み、同団体を去った。
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UWFインターナショナル
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「髙田延彦」の記事における「UWFインターナショナル」の解説
UWFインターナショナルを設立し、社長に就任。「最強」を肩書きにした高田は団体の絶対的エースとして、ゲーリー・オブライト、北尾光司、スーパー・ベイダー、サルマン・ハシミコフら強豪選手との対戦などで人気を博し、1992年にはプロレス大賞のMVPである年間最優秀選手に選ばれる。1982年の北尾光司戦(格闘技世界一決定戦)では、北尾がハダシであるのに対して、高田はブーツという凶器の所持が許され、終始、ブーツ(凶器)を使用した攻撃を繰り出し、最後は、ブーツの先端で北尾の頭を攻撃し勝利している。 1994年4月からはフジテレビのスポーツニュース番組「スポーツWAVE」のキャスターを務めるまでになる(試合があった日も生放送に出演していた)。1994年1月にタレントの向井亜紀と挙式した。 高田以外に知名度のある選手がほとんどおらず、スポンサーやテレビもついていないUWFインターの経営は1994年頃に苦しくなり、社長業が高田を精神的に苦しめるようになる。1995年6月に「近い将来、引退します」とマイクで宣言し、さらに同年7月の参議院選挙にはさわやか新党から比例名簿順位2位で出馬するも落選。8月には田村潔司から「僕と真剣勝負してください」と挑戦を受けるが拒否した。数々のトラブルと選手離脱により倒産が現実味を帯びたUWFインターは新日本プロレスとの対抗戦に踏み切り、1995年10月9日「新日本プロレス VS UWFインターナショナル全面戦争」における大将戦・武藤敬司(IWGPヘビー級王者)戦に敗北したことで、最強を標榜してきた高田とUWFインターは決定的なイメージダウンを受ける。1996年1月4日、東京ドームで武藤を破ってリベンジに成功。第18代IWGPヘビー級王者となり、IWGPすべての王座を獲得した。3月1日には、UWFインターナショナルのリングで防衛戦が行われ、越中詩郎を破って初防衛に成功したが、4月29日、橋本真也に敗れ王座陥落となった。その後、WARに参戦して交流試合を行い、天龍源一郎と2度のシングルマッチを行い天龍との試合はプロレス大賞の年間最高試合に選ばれる。しかし、UWFインターの運営は混迷し、山崎に続いて、6月には田村潔司や中野龍雄が退団。8月17日には、プロレス史上初となる真夏の昼間の神宮球場大会開催。メインイベントで高田延彦が安生洋二に完全勝利してしまいザ・ゴールデン・カップスが急失速。10月にはインディー団体「東京プロレス」に参戦し、従来の路線からすればありえないマッチメイクであったブッチャーとのシングルマッチを行ってまでなんとか団体の存続を図ったが、1996年12月にUWFインターナショナルは解散した。
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UWFインターナショナル
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「桜庭和志」の記事における「UWFインターナショナル」の解説
1992年7月にUWFインターナショナルへ入門した。当初桜庭はプロフェッショナルレスリング藤原組の入団試験を受けるつもりだったという。UWFインターではレスリング技術に加えて、打撃と関節技を習得する。1993年8月13日の日本武道館大会でスティーブ・ネルソンを相手にプロデビューする、Uインター在籍中はキックボクサーのレネ・ローゼ、UFCファイターのキモらとも対戦した。95年には新日本プロレスとの対抗戦に度々出場。金原弘光と組んで永田裕志、石澤常光とのタッグマッチも経験している。この試合は、4人が卓越したレスリングの技術を駆使したことで完成度は高く、以降「伝説の第一試合」と呼ばれている。またこの時期はサソリ固めを得意技にしており、さらに技を掛ける時は大声を出して気合を入れるなど、総合格闘技時代の冷静な試合運びとは対照的な戦い方をしていた。一夜限りのプロレス復帰を果たした2000年12月31日のINOKI BOM-BA-YE 2000でも技をかける際に大声を出している。K-1のリングで行われたパトリック・スミス戦から半年ぶりにUWFインターのリング復帰となった田村潔司の刺客として前座で3連戦を行った。Uインターは1996年12月に解散している。
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